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この作品に関連する談話室の質問
この作品からのみんなの引用
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診断や投薬は主役ではない。(中略)目の前に現れた利用者は「病人」ではなく「苦悩する人」「生活に困窮をきたした人」とみる。だから病気に大きなスポットを当てずに、患者の危機的状況を招いた社会的な問題、経済的な問題、人間関係の問題、の解決に主眼を置く。
― 117ページ -
この第5部に登場した人々には、素晴らしい共通項がある。それは「重い統合失調症の人々に社会の中で暮らしてもらおう」という心意気である。「重い病気の人も在宅で支えることができる」という自信と技術である。この先覚者たちの気概やアイディアが見殺しにされるようでは、日本の精神保健に未来はない。
― 232ページ -
脱・病院化は、結果的に精神病院を閉鎖すること、あるいは精神病院は現に占めている中心的位置をかなり縮小させること、を指している。脱・施設化とは、精神医療制度の場面と構造を当たらししくすることによって精神障害にかかっている人びとの個人的、社会的な疎外を継続させない仕組みにすること、を意味している。われわれは皆、精神障害は本来何らかの社会的脈絡の中で個人が経験する苦悩や混乱として存在する、と考える。それはまさに個人的なものと社会的なものが合わさって生じたものである。
― 193ページ
みんなの感想・レビュー・書評
(9レビュー)昨日観たイタリア映画「人生、ここにあり」(原題:Si Puo Fare やればできるさ)の副読本として。べてるの家からもお薦め本として提供されていました。
イタリアが患者当人の人権・人間性を尊重して、隔離・収容・拘束を主とした精神病院の廃止に、全国民が問題意識を持ち、高い関心を持って行動、実現したのに対し、日本の意識の低さ・無さ、尚逆行する精神科医療の向かう先を考えるとぞっとした。
海外と国内の精神医療の歴史を知ると、目を背けたくなるような事実ばかりだった。自分が患者だったらそんな場所にいたくないというだけでなく、そんな場所で働きたくないという気持ちも強く抱いた。 イタリアが精神病院を廃絶し、精神障害者を地域で支えていく仕組みを作って現在に至るまでの流れから、改革に携わった人の勇気と信念を感じた。 日本でも、精神科病床を減らそう、地域で支えていこうという言葉は聞くが、実際... 続きを読む »
臭い物に蓋をする。異物を隔離して無かったことにする。 そんなおかたづけを、治療などとは呼べない。 理解できない(する気もない)狂人を見えない場所にしまっておくだけの治療効果の無い「治療」は、矯正効果も意味も無い規律を強いる監獄に似ている。 イタリアでは1998年までに精神病院を全廃したという。 それが有効な手段になるのは、患者の人生をサポートする体制を整えてこその話。 家族に丸投げす... 続きを読む »
ここまでの改革を日本では望めないにしても、海外での成功例は励みになるだろう。同じような試みを実践している地域が、数は少ないけれど確かにある。「精神病院がない」=「家族で全部抱える」ということではない。家族や患者本人が、さまざまな助けを求めやすくするのだ。精神疾患だけでなく、貧困や介護の問題の解決の糸口になるかもしれない。
その昔、「ルポ・精神病棟」で物議をかもした著者による、いわば解決編を目指した著書。国内の歴史を詳述した部分も知らないことが多かったが、メインは豪州と並んで精神科病床が少ないことで知られるイタリアのトリエステにおける取組みについて。コムニタという医療・看護つきのグループホームが多く、やはりある程度の受け皿は必要そうであるが、地域精神保健サービスを充実することで病棟解放が進んでいるようだ。日本のように... 続きを読む »
武見太郎は気になりました。ジェネラルルージュの凱旋を読みたくなりました。日本が世界的な潮流に逆行してることは分かりましたが、イタリアでも家族に負担をすべて負わせるのか?!って反対意見もあるようなないようなことが書かれていたので、もう一方の意見も取り上げて欲しかったです(・Д・*)
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