- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061492417
作品紹介・あらすじ
自己の解放は内なる「実感」を感じとることから始まる。重く停滞した心を開くフォーカシングの技法を、心理臨床の現場から解説。
カウンセリングと実感――「気持ち」という場合、悲しい、寂しい、嬉しい、など特定の内容をもった感情を指すが、「実感」はそれらよりも複雑で漠然とした、実際に感じられる体験という意味で用いる。たとえば、悲しい「気持ち」といっても、実際に「実感」してみると、そこには悲しきの「質」とか「色」のように、状況によって微妙にことなるトーンがあることがわかるだろう。それを表現してみるとすると、それはおそらく「悲しいような、暗い、重たい……何とも表現しにくい雨音が胸に染み込むようなじーんとした感じ」という具合に複雑で、簡単に「悲しみ」という一言では表現しにくい性質であることがわかるだろう。このような体験をここでは「実感」と表現しておく。――本書より
感想・レビュー・書評
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〈こころの悩みとは…〉
P53
…心理的な困難とは,「実感としての心のメッセージが,素直にアタマで受け止められない状態である」と言えるのである。
P125
「間をおく」とは,けっして荷物を「捨てる」ことや「置き忘れる」ことではない。それは荷物をいったん置いて,リフレッシュすることなのである。
P128
嫌なことから距離がおけなくなったとしたら,その状況を「悩む」と言うのである。
〈真の答え〉
P69
どう成長していったらいいのか。
どう選択したらいいのか。
どう生きたらいいのか。
本当に自分らしい答は,アタマで考える概念的なものではない…グッと感じるもの,ハラで感じるもの,からだが反応するもの,そこに間違いのない「実感」がある。そこで「正しい」と実感できるものが,その人にって,「今,ここ」でのもっとも妥当な方向なのである。
ロジャーズの有名な言葉に“Experience is the highest authority”(「体験は最高の権威である」)というのがあるが…「実感」は人の成長の道標と…いえるだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
フォーカシングについて
ロジャーズのカウンセリングマインド
ジェンドリン 心のモヤモヤを言語化 -
心理
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フォーカシングの入門書として最適。創始者であるジェンドリンの本には、フォーカシングの手順しか書かれていない。
「実感」というのは、フェルトセンスを著者が訳したものである。言葉の前に、前駆動的な「…」(フェルトセンス)があるという前提で、フォーカシングは成り立っている。
もしそれが真実ならば、トラウマを言葉にすることなく、前言語的な駆動体の状態で処理できるかもしれぬ。そのほうがCl.に対する負担がないよね。
増井武士先生や田嶌誠一先生と共通するものがあり、併読を推奨。 -
心のメッセージを聴く 池見陽
フォーカシング 心の実感
本当の実感に基づかなければ適切な支援はできない。主訴(実感、本当はどうしたいのか、どうなりたいのか)がクライエント自身分かっていないこともある。
p164
いわゆる「作業工程」を示すマニュアルには現れにくい、心の「構え」のようなものが、これらの変化を促進していると言えるのである。
P212
実は、相談とは二者択一的な結論を求める行為ではない。それは「話につき合う」行為なのである。
p214
聴き手の方に色々な心配事や先入観があり、頭が忙しすぎて聞けないこともある。絵の前にいる人に集中できず、その人の話よりも別の個人的な心配事や気がかりが押し寄せてくる。そういう時も、まず「聴き手」が自分自身の心を曇らせているものから「間をおき」、湯呑みを空にする必要があるだろう。そして、開かれた「間」のなかに話し手の話を注ぎ込むのである。
このような「開かれた間」は、日常の中では多くは存在しない。相談に行っても、ある「結論に導こう」と誘導するような聞き方や、相手を支配し、思い通りにさせようという聞き方、「教えてやろう」という聞き方、町では商品をなんとかして「売ってやろう」とする聞き方など、「間」の中から聴いてくれる人や状況は意外と少ない。
p221
「5W 1H」的な聞き方は情報収集となり、「現状報告」をエスカレートさせてしまうことになる。したがって、それは話して自身に施行させることを邪魔する結果となりかねない。
「最近、お酒の量が増えたんですよ。」
「いつから?」
「半年前からです。」
「どこで飲むの?」
「家です」
「誰と飲むの?」
「一人で飲みます」
「何を飲むの?」
「バーボンです」
「どうやって飲むの?」
「水割りにして」
「なぜ飲むの?」
「わかりません」
このような具合になってしまうと、話しては情報提供者になってしまい、主体的に考えることができなくなってしまう。
また、このような展開になれば、話しては利き手の次の質問を待つようになり、聞き手の方が次々と質問を考えなくてはならない苦しい羽目に陥る恐れがある。
それでは、本人に施行させるような応答とはどういう応答なのだろうか。
「お酒の量が増えたことについて、もっと話してください。」
「お酒の量が増えたこと、どう思いますか?」
このような応答をすると、破穴して本人が主体的に考え始めるだあろう。また、このように問うと、話しては自由にどこからでも話を始められる。対照的に、「いつから」と聞かれると「時」を答えなければ成らないというように、答えが限定されてしまうのである。
このような応答は「オープン•リード」と呼ばれている。それは話し手が考え始め、語ることを「リード」しているにも関わらず、答えを限定せず、自由に、どこからでも話せるように、「オープン」であることが特徴的 -
「実感」「現象」「経験」とはなにか? という問いかけに対して、フォーカシングの本でありながら、フェルトセンスという直観的に理解しづらい言葉を極力使わずに、わかりやすく「言語化」した優れた一冊。
なぜ1995年のむかしから版を重ねているのか読んでわかった。
ちなみにAmazonの写真では講談社新書の旧カバーですが、送られてきたのは今の四角マークのついたカバーでした。 -
≪目次≫
プロローグ―心の「実感」を求めて
第1章 「実感」が開かれるとき
第2章 「心の実感」と心理療法
第3章 「心の実感」とカウンセリング・マインド
第4章 「実感」に触れる話し方
第5章 「実感からのメッセージ」の見分け方
第6章 フォーカシングの実際
第7章 フォーカシングの奥に流れるもの
第8章 自分らしさの根源―「からだ」「アタマ」「実感」
第9章 気づきのための傾聴
あとがき
≪内容≫
フォーカシングによるカウンセリング、と言ってもカウンセラーと話しながら、自分でその問題を見つけ、自分で対処法を考えていく、そのイメージを語った本。今、CDAの勉強をしているので、とても役に立つ。ただし、「語った」本と書いたのは、役立つが即戦力ではなく、これについてはしっかりとした訓練をした人からカウンセリングを受けたほうがいいと思うので、自分でも「フォーカシング」をしてみると、その一部に触れることができる、と言っておこう。 -
自然的人間と社会的人間の葛藤からうまれる症状のひとつが心身症。シフニオスがとなえた失感情症は、ジェンドリンのからだの実感へのフォーカシングへ橋を渡した。実感は創造の源であるとする考え方は体験過程の時間性として「時間=自己」と考える木村理論に通じる。もちろんこの通底には病因論からの変革をはかり現象に本質があらわれるというロジャーズがいるのだ。
心理学ネットワークの整理に役立ったばかりでなく、豊富な用例は実践にも即活用化。 -
94年に書かれた本で、冒頭のワークショップの風景描写など、まだワークショップそのものが認知されていなかった時代の空気感に若干の古臭さを感じつつも、フォーカシングやカウンセリングについて体系的にまとめられており興味深く読んだ。
特に第4・5章の体験過程にどれくらい触れながら言語化できているのかを測定するEXPスケールの話が興味深かった。これはカウンセリングの成功要因は何かを明らかにしようとした研究で作られたもので、どの程度内面的な感覚に触れながら話をしているかを、数値化して測定するためのもの。カウンセリングの記録から4分間程度を抽出し、クライアントの話し方を7段階に分類するのだが、ある研究では平均して3.5ポイント以下だった場合、ほとんどカウンセリングが成功することはなかったという。
しかも、キースラーらによる研究では、この数値はカウンセリングの過程で多少変動はするものの、大きく変化することはほとんどなかったのだそうだ。つまり、カウンセリングが成功するかどうかは、クライアントがどのような人かで最初から決まっており、カウンセリングの過程でそれが変化するようなケースは非常に少ないということだ。
じゃあ、EXPスケールの低い人(感じていることに触れることが難しい人)はどうしたら良いのか。そこで出てくるのがそれを習得できるように体系化したフォーカシングだ。
と、こういった話が、フロイトの精神分析、ロジャーズのクライエント中心療法、ジェンドリンのフォーカシングという心理学史の流れを踏まえつつ語られ、その方法論やどのように行われるか、どう応用可能かまでがまとめられており、一冊でもかなり理解しやすくまとめられていると感じた。特に最終章のカウンセリングやフォーカシングの考え方などを、人が成長し自己を発見する話の聞き方にまで発展させるところが面白い。
古さも感じるが、興味深い本だった。