- Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062584593
作品紹介・あらすじ
宣教師も驚いた戦国日本人の高度な精神性。その「ゆるやかな宗教性」のバックボーンとしての「天道」思想をキーワードに、一向一揆、キリシタン論争から島原の乱まで、日本人の心性に新たな光を投げかける。
感想・レビュー・書評
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専門的な内容だけど、読みやすくわかりやすかった。
当時の日本人は「天道」概念(おてんとさまが見てるよ、みたいな感じ)を持っていた。
信長や秀吉も然り。
彼らは宗教弾圧をしたわけではない。
むしろ戦国時代は宗教の並存が当たり前で、他を暴力的に排斥しようとする行為がだめだった。
為政者はどうしようもなく排他的なグループがいた場合に、武力で持って制圧したのであり、教義に反対したり、そのグループの存在を否定しようとしたのではなかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦国時代において、宗教が当時の戦乱にどう関わってきたか、戦国大名達(主に信長、秀吉)がどう対処してきたかを数々の文献から探る。
前半は信長と本願寺との争い、後半は秀吉の伴天連追放令や島原の乱などキリスト教の話題が多い。数々の戦や一揆に各宗教が持つ排他性(かなり苛烈なもの)が原因になっているという分析だ。他の文献ではキリスト教宣教師達は人身売買をはじめとした闇貿易の尖兵という見方もあるが、本書ではキリスト教内の対立が欧米でも激化している排他性がピークに達していた頃の日本での布教活動、という見方だ。
宗教に限らず、自分と異なる考えの者を排除しようとする人間の行動は今も昔も変わらない。しかし生活も文化の水準も全く異なる中世を考える時、当時の人間の倫理観やら死生観やらを理解しておくべきだろう。戦や飢餓の恐怖に怯えながら、しかし戦で逆に自らが生き残る糧を得るのも重要だった時代と現代とでは根本的に価値観が異なる。 -
KCa
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政治との関わり合いから宗教の影響・弾圧・果ては天草四郎時貞まで
日本独自の宗教(八百万の神っていうもんだし、まぁそりゃそうよな)って
凄い独特であって海を越えてきたキリシタンの方々は
うん、日本の宗教って意味不明!!ってなるのもまぁ分からんでもない。
カトリックが日本の寺社仏閣をバンバン破壊して日本の天道・王道を否定。
もう何でもかんでも否定よ。
結局は切支丹禁止に繋がっていったのではないかという話。
一番勉強になったというか
ほぉ~!!!って思い知らされたのは島原の乱。
弾圧したって一括りになる理由がやっとわかった感じ。
他教の信者を認める・認めないって今でも宗教争いは世界規模であるけども
こんなにも昔からあるのにいまだ解決していないってことが一番こわい。 -
遠藤周作などで一方的にキリシタンの哀れを感じてましたが、その実、キリシタンの為した罪もかなりなものであったようです。
とはいえ・・・・、終末論に取りつかれた民衆もまた哀れであったのでしょう。 -
近世のカトリックや仏教の、神学(教学)的側面より社会的・政治的側面、教団について。
先行研究の紹介とか註が詳しくて面白い。 -
当時の人々は、色々な仏教宗派の説法を数多く聞いており
教義に通じていたため、
宣教師たちが彼らをキリスト教に改宗させるために説法することは、
苦労の多いことだったようです。
そしてこの時代は、
「天道」思想というものが一般にひろく受け入れられていました。
「天道」に背くものは神仏の罰があたり、
「天道」を守るものはその加護がある。
日本の神仏をまるごと信仰し、崇拝することが「天道」に適い、
「天道」の加護を受けるためには、世俗道徳の遵守も必要である、というもの。
秀吉の伴天連追放令や、禁教令の要因は、
キリスト教の日本在来の宗教との共存を拒否し、
その撲滅をめざすという行動様式のため、ということです。 -
戦国時代、キリスト教が入ってきたことで、神仏とキリスト教との間で軋轢が起った。
従来の宗教を尊ぶ者と、新しい宗教に心を傾ける者。
この宗教における、戦国時代の人々の心理を解説している。
戦国時代を生きる人々の宗教観を現代を例にとりながら解説しているのだが、あーなるほどといった感じで、感動はない。
「結局、戦国時代も現代も一緒だよね」に落ち着いてしまう。
いやいや、そうなのか?
共通点はあるだろうが、しかし違うからこそ歴史は面白いのでは?と突っ込みを入れたくなる。
感想としては、むしろ違いこそを強調してほしかった。
戦国時代の宗教に関する入門書としては、いいのかもしれないが、ちょっと内容が期待はずれだった。
だって、「宗教で読む戦国時代」だから!
自然と読む方もハードル上がるっしょ!