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この作品に関連する談話室の質問
この作品からのみんなの引用
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果たして両性具有者は、自らの力で意思の縛めより逃れ出たのであろうか。
― 152ページ -
私が為により以上に重要であると思われるのは、錬金術の作業には、それを為すことそのものの裡に或る種の不思議な充実が在ると云うことである。私は一握りの小さな物質に触れている時、自分が恰(あたか)もこの被造物界の渾(すべ)ての物質に、云わば世界それ自体に触れているかの如き錯覚を感ずる。
― 200ページ -
私が仍(なお)ユスタスの衰弱に興味を持つのは、それが、如何にも我々に親しいものであるかの如く想われるからである。(中略)少なくとも私が為には、より甚だしい堕落から月並な堕落へと衰弱してしまったかに見える。尚精確に記するならば、或る本質的な堕落から周辺的な堕落へと衰弱してしまったかに見える。そして、それが私には、極近い過去にユスタス個人に於て起ったことではなく、遥か以前より、我々総ての者に於て起っていることのように想えてならぬのである。
― 108ページ
みんなの感想・レビュー・書評
(81レビュー)中世の魔女狩りにおける集団的妄執を題材とした幻想小説。小気味良い擬古文体で中世仏国の望観を表現する事で、意味論的な多義性を醸し出しつつ文章の持つ詩的寓意性に新しい可能性を感じさせる一冊。読み難さに賛否両論あるのは当然だが、当時23歳の筆者が古語に敬意を表しこのような作品を著したのは素直に称賛したい。
すっごい読みにくいです。自分がバカなせいなんですけど、漢字がよくわかんないんで、超ゆっくり読まないと頭に入ってきません。
ドーンが面白かったから行けるかと思いましたが、自分にはまだ早かったという感じ。
でもストーリーは結構面白かったです。ファンタジーの世界観がちょっと怖いんですけど、描写を理解できた個所のイメージは独特でそれこそ神話的な感じでした。
ちゃんと読めてないんで理解度40%程度の人間の感想です。
神は人に何を与うる?
神は魔女に何を与うる?
神は聾唖者に何を与うる?
神は錬金術師に何を与うる?
神は両性具有者に何を与うる?
二項対立的なものがひとつのところに共存し、融けあっていく小説ー、って感じに、よんでました。対立する二つのものが、この『日蝕』という小説の中でひとつになる、という感じ。なのかな?
歴史勉強したいね…。
15世紀の欧州で、学士が両性具有者の異端審問後の処刑を目撃する、というか。
文章へのこだわりがすごすぎる。
すごすぎて、わたしには言いたいことがよく掴めなかったです。
著者の美意識の詰まった文章に酔いしれられれば、それだけで満足できそうな類の本かと。
「冀くは」!?なにこれ、読みにくっ! としょっぱなから前評判通りのルビまみれ文章でしたが、最初10ページ位を過ぎればそんなに小難しい日本語は出てきません。 単語も前後の文章で意味が予測できます。 内容もすっごいオーソドックスで、特に工夫もありません。 なんというか「間取りは建売住宅と同じだけど、内装がもの凄い凝ってる」といった感じです。 職人芸じみた文体のほかは特筆すべきところは... 続きを読む »
永らく「積読」だったが、ふと手にとってみたら面白かった。鼻白むとか、物足りないとかいう評もあるようだが、楽しめた。
あえて難を言えばもうちょっと強烈で劇的なクライマックスでも良かったかな、と。
こういう美しくも難しい日本語を読める幸せ。
積読のまま手放さずによかった。
どういういきさつで私の手元に来たのか思い出せないが
この本を選んだ自分のセンス、ちょっと誇らしい。(2011.2.26)
華美な文体にもエキセントリックな展開にもそれ以上の何かを感じることができず、私にはあまり合わなかった。これが平野啓一郎初読なのでもう1,2作読んでみようかな・・・と気になる存在ではある。
再読。流麗にして難解な言葉遣いと、背徳を描いた作品。三島由紀夫の再来などと謳われたが、比べるものでもないように思う。
後半になるとクライマックスを除いてやや特徴的な言葉遣いに不徹底が見られるように感じられ、やや盛り上がりに欠けるように感じた。
しかし文体の徹底と骨子ある内容は近年の芥川賞受賞作のなかでは一つ抜けているように思う。
著者の作品はこれしか読んでいなかったので、他にも手を出してみたい。
・ストイックでやや頭でっかちな僧は、著者のキャラクターに一番近い気がする。
・旧字の使用があやしいし徹底されていない。
・前半の僧の語りはややだれるが、後半の魔女焚刑の場面が圧巻で、霊肉一致の秘蹟に読者も飲み込まれる。
・魔女・両性具有・錬金術といったいかがわしい材料を取り込み、不気味な熱を発する作品。熱にあてられたので星5つ。
20歳に読んだときは、こんなの人間技じゃないと思ったが、近頃は、より深く、より背徳的に、より煌びやかに書ける箇所が増えた気がする。弛まない努力って本当に大事だと思う
読み手からすれば、読みにくいことこの上なく、書き手のエゴイスティックさが露骨に表れているように思える。
が、この20世紀、特に90年代以降、パクリとオマージュなどの境界線が曖昧になっていく中で、オリジナリティとか個人主義なんてものが流行るわけですが、作者は、流行に対する異端、反復あるいは繰り返しという「錬金術」を通じて、世界に触れようとしているのではないかと思うし、俺は、それが間違っているとは思えないのです。
おっと思った。古典や、宗教や、色々なものを吸収していないと書けない文章を、こんな若者がよく書けたなーと感心。しかもデビュー作、意欲作。著者の本は初めてだが、現代の小説も読んでみたいと思った。して、中身はと、中世ドミニコ会の神父が欠けた文献を探す途中で、ある信仰の腐敗した村による。そこで謎の錬金術師と出会い、両性具有者が処刑されと。ちょっと、ファンタジーである。ファンタジーならもっと怒涛の展開があっていいし、純粋に文学にするなら各々キャラクターの掘り下げがあってもいい。最初の数十ページに受けた興奮を最後まで持続することは困難だった。しかし、難解な文章だが読者が途中で本を投げ出すか投げ出さないかのラインはわかっている。それはきっとすごい事なんだろうと思う。
高校時代に読んだのだがさっぱりわからなかったので再挑戦、しかしまぁ、自分はそれほど成長できていなかったということが確認できました。
純粋に、キリスト者と錬金術と無知な民衆の物語として読めばそれなりに面白いのですが、これが芥川賞を取るだけのオリジナリティとかメッセージ性のようなものにはたどり着けませんでした。
途中は難解な漢字とルビの多様でペースダウンしましたが、ラストの焚刑のシーンはすごいね。幼稚かもしれませんが、ベルセルクの三浦建太郎の絵のイメージが浮かびました。あのマンガも蝕がキーワードですしね。
解説の文章には閉口。「肩越しに見つめ、積極的に反復に身を任せることで文学を創出してゆく」とか、段落ごとに(~~のように)とか、なんでこう、純文学の解説って私はわかってるんだけどね。ふふん。みたいな雰囲気なんでしょうね?w
第120回芥川賞。
15世紀フランスの話。
パリ大学の学生がリヨン近郊の村を訪れ、謎の錬金術師と逢う。魔女狩りが行なわれ、両性具有者が火刑に遭う。その瞬間、太陽が月にむしばまれる。思いがけない日蝕に村はパニックになる。
とにかく文章が難解。「~せられむ」「~せむとする」などの文語体、「抑(そもそも)」「辺幅(へんぷく)を脩(おさ)めぬ」などの難読漢字にかなり手こずる。ルビも豊富で、どのページもすみずみまで文字だらけだ。
この本を読んで、私は悔しさのような絶望感のような哀しさのような気持ちで涙が出た。 物語の表層にではなく物語の内容とは別とでも言うべき深層に在るものに、文章という表現方法の中に垣間見られる、形の無い、例えば絵画を見て何かしらを感じる時のようなものが、私を涙させた。 解説を読むと、私の感想は全く本質を捉えておらず、作者の意図や記されたメッセージを汲み取っていないらしいのだが、別に解説通りに読ま... 続きを読む »
この小説が世に問われたとき、平野氏は「三島由紀夫の再来」だと謳われたらしい。確かに、文体あるいは物語に対する美意識などは通ずるものがあるだろう。しかし、解説で四方田氏が主張しているように、この小説は三島の単なる模倣ではなく、文学の反復である。文学とは反復とずらしによって生み出されていくものではないか、この小説を読んでそう考えた。
主人公が見たものは、自分のシャドウ(影)だったのではないか。自分は修道僧であるが、禁忌となる錬金術にふれ、アンドロギユノスに出会う。
自分は修道僧で、その禁忌を犯すことはできないが、犯してみたい。そんな葛藤があるのではないか。主人公はずっとシャドウに犯されるのだろうか。それとも、またいつか禁忌を犯してみたいと思ってしまうのか。そこまではわからない。
なぜ、このような文体になったのかは不明。思想的なものは感じられなかった
神に近づこうとする者の罪と
問題意識を同じくしながら、生き延びてしまった者の後ろめたさ
全共闘的なものへのコンプレックスを、
文体によって過去に押し流そうとする試み
・・・というのは穿ちすぎだな
パワフルな小説だ。
キリストのゴルゴタの丘での死は世界中の原罪を背負ったものであったとか、じゃあ、キリストは罪の塊だったのかとか。
無信教の私にはわかりませんが、
これは日蝕のシーンを書きた...
![第3回 ブクログ大賞[2012]](/ad/1201/award_booklog200_65.gif)

