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この作品からのみんなの引用
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私は得意な気分だった。このジャンルは得意だったからだ。なにをどう話し合ったって、なにひとつわかり合えない母に育てられたのだから。
「むかでとか、大嫌いでもどアップで見るより、一メートル離れたら少しいいでしょ? 二メートル離れたらもっといいでしょ? 見えないとこまで離れても、むかでがいることは忘れないでしょ? でも、うんとましでしょ?」
「うん、そうだね。」
「離れるしかないの。 問題は、心の中に入ってきてしまった場合。 でもできれば入れないで、距離をとるのがいいの。 本当だよ。」
― 59ページ -
「嫌いな人がいたら、好きになるところまで離れればいいのよ」
― 58ページ -
今、同じこと考えてる。
今、全く同じことを考えてる。静かに。耳を澄まして感じよう。
光が二人のひざで踊っている。
― 128ページ
みんなの感想・レビュー・書評
(210レビュー)
ハチみたいな人と付き合いたい。
ふわふわ、ゆるーく、生きているようでしっかり芯をもって、いろんなものをきちんと心底愛している人。
いや、自分がそうゆう人になりたいのかな。
お気に入りを2箇所抜粋。
「南の島にいるような贅沢なかんじだった。セックスもあるし、星空もあるし、果物もあるし、海にもでることができる。そういう感じだった。」
「月も星もハチの世界から見ると違った。今日の月も明日の月も同じだなんて絶対におもえなくなった。」
「
やっぱり私はよしもとばななの作品が好きなんだなあと再認識。
マオとハチが作り出す世界が美しすぎた。
そして、本の折込の細工にも感動。
大好きな一冊になりました。
やっぱり私は吉本ばななが好きになれないらしい。
なんでかな、入ってこないんです。
ストーリーも感情も、なんだか軽々しいものに思えてしまうのです。
だからイメージ出来ない、インドも東京副都心も二人のいたアパートも暑さも寒さも、そしてハチも。
例えばカミュの『異邦人』を読んだ時なんか、灼熱の太陽にジリジリ焼かれるイメージがしっかりあったのに。
でも、17歳の少女が語り手であるということを踏まえたら、これは適切な文章であり表現なのかもしれない。
溢れ出す感情や研ぎ澄まされた感覚、それを表現するにはあまりに幼い17歳という年齢。
そういうことなのかも知れない。
個人的には「おかあさん」がメインの小説を読んでみたいです。
主人公の不安定さが好き。他の人よりも引いた目で世の中を見ているようで、でも誰かのことを好きになったり嫌いになったりまだ幼くて柔らかい。
ハチと彼女は一心同体のようなのに、悲しみに暮れるタイミングがあわないのがリアルだなと思った。それを受け止めるのってたぶん本当はもっと難しい。
タイムリミットが、なくてはならない要素である関係。寂しいけど綺麗。
「なんか食う?」
「胸がいっぱいでとても。」
この会話がやさしくていとしいものに溢れていて好きだ。
最後の恋人――か。
15の時に出会ったハチ。ハチの家に住む年上の女。
17でハチの最後の最後となったマオ。
西日のなかのセックス。熱く均一に激しいハチとのセックス
決して甘ったるくない吉本ばななの文体がより切なく物語る。
ページ数も少なく文体もさらさらとしているからすぐに読み切れる。だけど一文、一文を噛み締めながら味わいながら、そしてただ感じたままに思いに耽りたい作品です
出産した病院で、入院が長引いたときに、病院にやってきた
移動図書館で借りて読みました。
なんとなくタイトルに惹かれたのと、著者の作品に興味があった
から。
恋愛小説ですが、設定が普通の恋愛パターンと違っていて、
面白かったです。
この本について、アメブロでも書いています。
http://ameblo.jp/waremoko-tadoku/entry-10460512563.html
『サウスポイント』のあとがきで、
『ハチ公の最後の恋人』の後日談と知り、
再読に踏み切りました。
最初に読んだのは大学時代で、
あまり印象に残らないぼんやりした印象でしたが、
(特に学生時代は初期作品が大好きだったので……)
『サウスポイント』を読了した今、再読すると、
ぐいぐいと内容が体内に入り込んできました。
「あぁ、そういうことだったのか」
「そういうふうに人は横にも縦にもつながっていくのか」
なんと『ハチ公』を読んだことで、
『サウスポイント』の内容もさらに体内に吸収成功。
単品で読むよりも、セットで読むことで
ばなな女史の書きたいことが伝わってくるような気がします。
季節は夏。
読む時期もちょうどよかったかな。
吉本ばななの、感覚をそのまま文字に置き換えたような意味がほとんどない文章に憧れを抱いていた
けれどこの物語ではなぜかその文章が自己満足に見える
どこかで文章という媒体に意味を求めているからだろうか?
今までと変わらず感覚を文字にしているのだけど、文章として破綻している
「文章」という土台に「感覚」をのせるためには、「文字」にする際のルールにやはり従わなければならないのでは
文章に気をとられてストーリーを楽しむことができなかった
みんな特別なことをしているのに、どうして幸福な顔をしていないの?
直球だった頃の吉本ばななの話の中でも私にとっては特別な一冊だった。
魅力的な一行がたくさん詰まってて、中学生のときに何回も読み直してた。
キッチンと同じぐらい、私にとっては特別な一冊。
吉本ばななの小説は、デトックス。
一緒に朝日を拝んで、夜を迎えて、夜明けを待って。読んでいるうちにからだの老廃物とかが消えていくような気がする。
いまの人に見えないものが見えてる。ずっとずっと昔の人が見えてたものが見えてる。目で見てなくても見えてる。
非現実を書きつらねて重ねて、そうして最後の一文ですごくリアルな石を置いていく、そのバランス感覚に心底惚れる。
とぎれとぎれに読んだから後半間延びした印象になってしまったけれど、終わり方がとても素敵。
『最後の恋人』とか『運命』とか。しっくりこなかったけど(きっと私にはまだわからないから)、最後の2行が印象的。そして私もかわいらしくて芸術を愛するアレッサンドロ・ジョバンニ・ジェレビーニのようなイタリア人のおじさんの友達が欲しい。
今読み終わって震えている。
タイミングさえ合えば、感覚さえ合えば、吉本ばななさんの作品はとても心の栄養になると思う。もちろん永遠にわからない人だっているのだと思うが・・・私はなるべくなら多くの人にすすめたい。吉本ばななさんの作品は少なくとも私を自由にする
素晴らしい恋のはじまりそうなときに
素晴らしい恋をなくしたことがあるひとに
ばなな作品を読むと、とりあえず、自分の人生もそう悪くないかなって思います(笑)。卑しい発想からそう思うのではないと祈るばかりです。
大抵、惹きつけられる作品の世界には嫉妬するか頭がいっぱいになる...
![第3回 ブクログ大賞[2012]](/ad/1201/award_booklog200_65.gif)

