ニ・ニ六事件蹶起将校 最後の手記

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163760803

作品紹介・あらすじ

一兵卒から叩き上げの予備少尉42歳。なぜ年齢も属性も異なる山本又が蹶起に参加したのか。しかも事件後には山王ホテルからただ一人逃亡(4日後に自首)。青年将校たちの中で異彩をはなつ山本又の謎がいま明かされる。新発見・獄中手記。

感想・レビュー・書評

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  • 寡聞にして、二・二六事件関係者に山本又という人がいたことを知らなかった。
    だからタイトルを見ただけだったら、この本を買わなかったかもしれない。
    だが、本のカバー裏に、安藤大尉から事件のことを書いてくれと託された、となれば読まないわけにはいかない。
    何しろ安藤大尉は、二・二六事件関係者の中で私が一番信頼している人物なのだから。

    20代後半からせいぜい野中大尉が35歳くらいだったか、若い人たちの起こした事件だったけど、山本又という人は彼らより10歳ばかり年長の、退役軍人。
    同じ元軍人でも磯部浅一、村中孝次は蹶起将校と同年配で、事件の中心人物と言ってもよいが、山本又はそういった意味でもただ一人異色の経歴の持ち主だった。
    山本又は宗教(日蓮宗)を通じて個人的に磯部とつながりがあっただけで、この事件に巻き込まれていくことになる。
    ああ、やっぱり思い込みの烈しさで周囲を巻き込んでいく磯部の罠にひっかかった人か…と思って読み始めたけれど、事はそう簡単でもなかった。

    そもそも、なぜ青年将校が蹶起したのかというと、
    ”しかし、このごろ、遂に不逞凶悪な輩がむらがり出て、私心私欲をほしいままにし、天皇陛下の絶対的な尊厳を軽視して、身分を超えたおごりたかぶりを働き、万民の生々化育を阻害して、塗炭の苦しみにうめかせている。そのために外国に侮られ、内患が日を追って激化している。”
    からであり、
    ”ロシア・中国・イギリス・アメリカとの間は一触即発、代々の天皇がお残しになったこの神州を投げうって破滅に陥れてしまうのは、火を見るよりも明らかである。”

    戦争なんかしている場合か、疲弊した農村を救えと言うのが最初から最後まで彼らの主張である。
    そのためには元老・重臣・軍閥・財閥・官僚・政党を討って、天皇親政をすればよい、と。

    残念ながら、神ならぬ天皇はひとりでこの国のすべてに目を配り、すべてを平らかにすることなどできないのである。
    それに青年将校たちは気づけなかった。
    そして、昭和天皇は激怒した。
    ここの乖離が悲劇の元だった。

    当時陸軍は『皇道派』と『統制派』の二つに割れていた。
    青年将校たちは『皇道派』で、絶対的に天皇を信じている=天皇が自分たちに災いを招こうとするはずがないと考える人たち。
    『統制派』は、自分たちがよかれと思うことを、天皇の名前で推し進めようという、幕末の長州藩のような人たち。

    最初は『皇道派』のボスたちが「よくやった!」と祝福に来てくれた。
    『統制派』も、「同じ陸軍、仲間じゃないか」という空気で、決して彼らは反乱軍であるとか、賊軍であるとかは言われていない。
    けれど、天皇の怒りは激しかった。

    徐々にトーンダウンしてくる軍の上層部の姿に、蹶起は失敗したことを感じる彼ら。
    しかし彼らに私心がないことを知っている上層部は、天皇が怒っていることを彼らには言えない。
    けれども天皇の怒りは沈めなければならない。
    だから、青年将校たちに自決を迫る。
    死人に口なしだからな。

    天皇に真意を伝えたらわかってくれると信じている将校たちは、弱腰の腐った陸軍上層部の言葉では自決できない。
    天皇に真意を伝えてくれ。話せばわかる。

    そんなこんなで時間が経つうちに、『統制派』は巻き返すわけだ。
    武力で言うことを聞かせようなんて、『皇道派』は野蛮じゃないか。
    で、結局戦争に突っ走ったのは『統制派』なのだけど、世間ではいまだに二・二六事件が陸軍の暴走の始まり→蹶起した将校たちが極右の暴力主義者のような扱いで、慙愧に堪えない。

    下士官と兵士たちを原隊に戻した後、青年将校たちは自決も考えるが、裁判で心情を訴えることにする。
    ここに至っても、話せばわかってもらえると信じていたのである。

    ”思わなかった、思わなかった、暗黒裁判だとは。予審はことごとく彼らの憶測と推断によって、でっちあげられた。われわれの陳述は千分の一も事実がない。本当に事実がない。”

    獄中でも山本又は、盧溝橋事件(昭和12年7月)を知り、日記に9年戦争が続いた後無条件降伏をするだろうと書いている。
    なぜこんな予測ができたのかわからないが、あとから書き加えた形跡はないそうだ。

    そして、昭和15年9月28日の日記では、三国同盟を下司根性と書いている。そのくらいならアメリカと結べ、と。

    真珠湾攻撃を知った時には、「日本はこの戦争に必ず負けるぞ。馬鹿なことをするもんだ」と言った。
    周囲は日本の勝利間違いなしと言っているのに、なぜそんな事を言うのかと娘に聞かれて「それはなあ、日本は台所が小さいからだぞ。アメリカの台所はケタ違いにでっかい。飛行機でも、洗車でも、でっかいやつを作れる。日本はそのうちに腹が減って弱ってくるさ。本当に馬鹿なことをしたもんだ」と答えた。

    出獄してからも、終生山本は
    「もし私たちの革命が成功したなら、こんな戦争はしなかったし、こんな日本になることはなかった」と言っていたという。

    蹶起した青年将校のすべてが山本と同じ考えだったとは思わない。
    そもそも彼は蹶起の中心人物ではないし。
    けれど、なぜあのタイミングで蹶起したのかというと、いよいよ本腰を入れて中国大陸に進出する直前だったからだ。
    結局流れを止めることはできなかったばかりか、加速させることになってしまったけれど、中国に派兵したら後戻りはできなくなるという焦りから、無理をしてしまったと言える。

    ああ、感想というよりも、解説みたいな文章になってしまった。
    どうしても二・二六事件の将校たちのことを思うと、平静ではいられないなあ。

  • 【事件から77年。初めて明かされる“真実”】安藤輝三から事件のことを書き残してくれと頼まれた山本又。その獄中手記を初公開。事件直前に蹶起趣意書から突如削られた一文とは。

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