いのちのハードル: 「1リットルの涙」母の手記 (幻冬舎文庫 き 13-2)
- 幻冬舎 (2005年2月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344406117
感想・レビュー・書評
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脊髄小脳変性症という難病になってしまった少女のお母さんの著書。
少女本人の日記からなる、1リットルの涙を読んでからの本作。
1リットルの涙では描かれていなかった、病気の変遷や医師とのやりとりなども書かれていて、より詳細なところまで知ることができた。
だんだんと衰えていく娘の様子を一番身近で見ていた母親の苦悩。将来の希望に満ち、恋愛や進学、人生で最も輝く世代を病気との闘いに費やしていくしかない思春期の娘。それを見守る母親の気持ちは到底理解などできないけれど、その切なさは察するに余りある。切なさや無力感を痛烈に抱えながらも、娘の人生が少しでも豊かになるようにと支え続けるお母さんの様子に涙が止まらなかった。
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平成元年(1989年)に出版された、木藤亜也さんのお母さんが娘の一生を振り返った手記。
本人の日記は恐怖と絶望と希望が渦巻いていて感情だけが伝わってきたが、「母の手記」からは生活の変化が具体的に書かれていて、状況とそのときの感情がつかみやすかった。
どんどん機能しなくなっていく自分の身体、考える能力はあるのにそれを表現できず、人に伝えられないもどかしさ。想像するだけで怖い、と感じた。
亜也さんのように、したいことができない人がいる。
私は社会に対して何ができるだろう。自分は無力だと考える時もあるけれど、歩ける私にはたくさんの道が開けている。 -
脊髄小脳変性症
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図書館で何気なく手にした本だけど、これほど胸を打つ本とは知らなかった。
難病にとりつかれ障害者になった木藤亜也さんが闘病生活を書いた「1リットルの涙」はまだ読んでないが、亡くなられた本人は苦しくも強く最後まで精一杯頑張られたようだ。
10年間そんな娘さんを仕事を持ちながら看病された記録だ。
親として当たり前かもしれないが死に向かう子どもに今生きている希望を持たせ、最後には好きな音楽を聴かせながら天国に嫁がせられた。
この親にして強い娘さんだったと思う。
早速「1リットルの涙」を読んでみよう。 -
「何のために生きているの」
こう問いかけられたら自分はどう答えるだろうと思いを巡らせました。
行き着いた先
「何のために生きるか」を考えたら、達成できなかったときに、自分の存在価値や承認欲求が脅かされてしまう。他人軸になってしまう。だから「生きるために何をするか」と生きることを目的として考えれば、自分軸となり少し気持ちが楽になるのではと考えたものの、やっぱり未だに答えは出ません。 -
亜矢さんのお母さん目線で色々なことが書かれていた。山本先生の、「医者である限り、亜矢ちゃんを見放さないよ」という言葉…心のない家政婦さんとのバトルもあったから、亜矢さんもお母さんも、この言葉に本当に助けられたと思う。山本ドクター、本当に良い先生。
涙が出る印象的なシーンが3つあった。
●寝たきりになった亜矢さんが自分の分身である「1リットルの涙」が出版されたことを知り、「ウウー」と声をあげたシーン。
●出来上がった本を朗読してほしいと、お母さんに読んでもらうシーン。
●本の印税を何に遣うか答えるシーン。
「ワタシの為にどこへも行けなかった家族に旅行にいってもらいたい」
亜矢さんの、優しさや強さに本当に心がうたれる。
病気を経験することは、それだけ辛い人の気持ちに共感できる。とても勇気をくれた本だった。 -
何度も読み返したい本。
自分が親になった時、もう一度読もう。 -
ともかく泣けます
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「1リットルの涙」と続けて読んだ本。
絶対に2冊あわせて読むべき。
もし自分がこの病気にかかったら、はたして「生きたい」と思えるだろうか…。
もし将来自分に子供が出来て、その子供がこの病気にかかった時、はたしてこの母親のように支えてあげる事が出来るだろうか…。
…こんなことを考えてみたけど、正直自信がない。
その分、病気にかかった本人もこの母親も「すごい!」って、心から思えた。
そして「1リットルの涙」と「いのちのハードル」、これら二つの本を読んで得たこと・感じたことは、今後活かして生きなければいけない。
そんな気がした。
満足度をつけること自体おこがましい感じがしますが、2冊とも☆5つじゃ足りません。 -
自分は生きたいから生きていると自信を持って言えないと思っていたけど、この世は結局は空なんだとか思ってたけど、感動モノだとおもって敬遠してきたけど、やっぱり、やっぱりいのちはいのちで、小学生の頃に言われてたような、いのちは一つしかないんだっていう陳腐な言葉がすごく大事だったんだなんて思った。素直に生きてけばいいじゃないか、なんて思えた。