- Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480030696
感想・レビュー・書評
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戦時中なのに食べること食べること。
ドラマ『刑事フォイル』での英国田舎シーンでも同様の描き方があったが、戦時中の都市と地方の食事格差は凄まじい。
大阪の氷屋に「すいと」と書いてあった。ところてんを酢糸とはシャレてる。との記述には、なるほどと感心。
日記形式なので当時の食べ物事情が手に取るようにわかるし、時局の描写も生々しい。
昭和19年9月3日
今回より、警察命令でマイクロフォン使用を禁ぜられる。その理由は、マイクは米英的だから、いかんというのだ。呆れて物が言えない。が、逆らうわけにも行かないのでマイクを引込めた。久しぶりでマイクなしで歌うのは、反って気持がよかった。
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根がわがままというかミーハーなのか、旨いものを食べていないとストレスが貯まる。ただ、そうそう旨いものにうつつを抜かし続けられる身分でなし、しかたなく我慢する代わりに、食いものの本を何冊読みふけったことか。しかし読書と食欲の充足に関係があると早合点する精神というのは、なんとさもしい書生気質だろう。じっさい、そんなところである。
食エッセーの傑作のひとつに数えられる、喜劇俳優・古川緑波の『ロッパの悲食記』(ちくま文庫)は、ロッパが死ぬ3年ほど前に上梓した本で、昭和19(1944)年および、昭和33(1953)年の日記が収められている。
昭和19年、敗戦直前の逼迫した食糧事情のなか、旨い食べものを求めて涙ぐましい努力を日々重ねるロッパ。極限状況が窮まってなお、人はここまで美食、大食に邁進できるのか。その点で蒙を啓かれた思いだ。帝国ホテルのグリルの一人あたりのメニューが配給制のため制限されたため、その対策として付き人を連れていき、その付き人を向かいに座らせ、その付き人の分も含めた2人前を平然と平らげて、「許せ」とのみ書いて済ませてしまうあたり、「食鬼」とでも名付けたいほどだ。箱根宮ノ下の富士屋ホテルに投宿し、そこのフレンチ全メニューを一度に食べきる儀式を一週間続けるなどといった財力と暇にまかせたナンセンスなふるまいを、いい歳して自慢している。どういう神経をしているんだか。
それにしても、この人は旬のものに興味がなく、野菜、海の幸にもほとんど興味を示さない。ひたすら肉、肉、肉である。食べる量もずいぶんと多く、「無粋」(ようするに今風にいえば「ガキの味覚」)と皮肉の一つや二つは毎週毎月と本人も聞かされたろうが、まったくお構いなし。後年の読者からすればただ「あっぱれ」としか言いようがない。
東京、大阪、京都、神戸、名古屋と、金に糸目をつけずに旨いものを食べまくる人生をロッパは生きたが、読み手としては「ああ、やはりそうか」と思わずにいられないのは、東京都内のフランス料理、日本料理にしろ、神戸の中国料理にしろ、戦前にくらべて戦後は味が著しく落ちたと嘆いていることである。その点では山本嘉次郎のエッセーと趣旨は同じである。どの街も店の数こそ戦後のほうが圧倒的に増えたが、料理人の腕、ソースの質などは戦前のレベルに達していないらしい(名古屋だけは例外で、この街は戦前「粗食の都」と名付けたいくらいまずいものばかりだったが、戦後はぐっと贅沢な街になったのだという)。
昭和33年の日記にそういう諦念みたいなものが漂っているが、その諦念は現代にもなんの壁もなく通じているものだろう。 -
(リリース:淳子さん)
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2014/04/29
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六興出版の親本を借りて読んで、おもしろかったので文庫購入。
表紙と装画の長新太もそのまま、
小林信彦「跋に代えて」に続いて、文庫版解説はご子息。 -
ラジオの朗読番組で聴いて面白かったので。
食べることは生きることなのだな。
食欲がなくなったらいよいよであるな。 -
戦時中の食事が記録されていると聞いて手に取った
さもみじめな記録がされているだろうとページをめくったが、意外や意外かなりいいものを食べているではないか
贅沢品として禁じられていた牛肉をこっそり人からいただいたり、「閉店」と看板を出した洋食屋で鶏料理を作ってもらったり
どうやら筆者のロッパさん、人からかなり恵まれるタイプのようである
単純に食事の記録だけを読むつもりが、古川ロッパという役者の好みの食べ物、人望、贅沢を限りなく許す食への愛情へと焦点が移った
食べる=命をいただく、という意識はあったものの、食が人間を作るという考えは希薄だった
気づいた時には奥深い「食」の世界に首をつっこんでいた -
とにかく食ってる。そういう日記抄と食い物のエッセイが載っている。
戦後の日記には地方の百貨店にもあるような洋菓子屋の名前などもある。戦中には福島に多く行っていて食糧事情も何となくわかる。
卵かけご飯っていまでも日本以外では危ないらしいと聞いていて、抗生物質投与の有無かと思っていたが、どうも違うらしいと戦中から卵かけご飯を食べていた記述を読んで気付いた次第。
美味い食い物にこれだけ執着しているのに蕎麦、生魚、貝が駄目とか割に子供っぽいところが好印象。昔は良かった、旨かったに終始して、美食系にありがちな蘊蓄垂れな卑しいところが感じられないのもよかった。
旨くなかったって部分の書き方とエッセイの細かな部分へのこだわりが面白かった。 -
1903-1961
エノケンと並んで喜劇の黄金時代を築いたロッパ
グルメの先駆けともいえるロッパの
美食日記
戦争中、食べるものがない、といいながら
(だから題名が「悲食記」なんだろうけど」
ロッパが日記を書く日は食べた日である
(食べてない日は書いてない?)
なので、こちら、読者にとっては
戦争中で、ひもじい、といいながら
いつもロッパが食べているかのような気がしてくる。
食べてない日の描写もあれば
”悲”食の説得力もますだろうに。
(そんな日は筆がのらないのだろう)
空腹こそ最大の調味料だといわれるとおり
ふかしイモでも、味わいがせまってくるような描写である。
戦時中の粗食でも圧倒的に美味しそうなのだ。
突っ込みを入れずにはいられない
「どこが”悲食”やねん」
と。空襲の描写もあって、そのころ、東京は悲惨のひとことだと
頭ではわかっているんだけど。
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別の菓子についての記述には
シベリア、パンじゅう屋(パンと饅頭をあわせたものらしい)
という変わったものが登場
京都の旅館では、朝から温めた饅頭がでる、とのこと
今、しているところはあるのだろうか。
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後半の食日記は、
戦後のもので、日本が豊かになったせいか
すさまじい
食べる、食べる、わがままに食べまくる。
安いものも高いものも。
あとがきに古川清氏が父であるロッパについて書いている
「食べるということには、異様とも思える程情熱的」
と。
いやはや、すごい御仁がいたものよ
読んでたらお腹減るがね -
2008/5/21購入
2012/10/30読了