教育とはなんだ

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480863553

感想・レビュー・書評

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  • <疑問>
    ・数学で得たものを無意識に使っているから、数学が役に立つという感覚がないのでは?
    ・役に立たない=やる意味がない、ではないのでは?

    <まとめ>
    ☆わからないことは悪いことじゃなく、自分の世界を広げてくれるきっかけになる経験
    ○「倫理 自己を見つめて」の前書き
    自分のあり方を否が応にも決めるこれらの家族関係や国籍、性別は、わたしたちにとっていわば服のようなものであって、ぴったりサイズが合っているときにはそれをほとんど意識しない。が、自分の日常の生活感覚にどうにもそぐわないところが出てきて,それを窮屈だとか、だぶだぶだとか感じるようになると、その存在が急に気になってくる。そしてそのとき人は, 《わたし》とはいったいだれなのか、あるいは、家族とは何か、国家や民族とは何か、性とは何かといった問いに思いがけず向きあうことになる。
     →これをシゲマツ流に読み替えれば、「倫理」の授業は、学校が嫌になった生徒にこそ必要なのだとなる。学校という服を着ていて、どうも背中がチクチクして落ち着かない生徒-彼らこそが、「倫理」の授業を通じて、最も切実に「わたし」と向きあう。
    ○「経験で正しいと思うこと」と「論理によって正しいとわかること」の違いを意識すべき。経験で正しいと思うのは本能だから、経験に裏切られた時に腹がたつ。経験で割り算したら小さくなるをそのまま受け入れて、割り算とは何かという根本を考えないと、ガーンとなる。
    ○経験に裏切られることは、人生においてもある。その時に踏みとどまって冷静に考えられるかどうかは、数学教育も影響しているのではないか。
    ○教師がわからないという恐怖から自分を守るために抑圧的になる。そして、会社のドリルやICTに頼ってしまい、数学がわからないままキャリアが長くなって、恐怖を持っている自覚すら失ってしまう。
    ○わからない→腹がたつ→考える→わかった!の方が深い
    ○試験では、わかる問題からやって、わからない問題は捨てる。けど、人生は逆。わからないことからやらないといけない。


    ・劣等感を抱かせない教育(手を繋いでみんなが一位のかけっこ)を受けた生徒は、「幸せか」「苦境で頑張れるか」の質問に対してどちらとも言えないという答えが多い。
     →劣等感を抱かせない教育の結果、なんでだよと腹をたてる子どもが減った?
    ・教育論議には、数字の不在があるのでは
    ・今までのように、人参をぶら下げられて走るのではなく、自己実現や自己啓発を目指すことが正しい、となった。
    ・それぞれの自治体で義務教育がシステムとしてうまくいくための試行錯誤をする機会を
    ・最終的なお金のしわ寄せが教育に行くというのは、次の世代にツケを回している。
    ・社会を語る文脈で教育を語るべき
    【数学】
    ・自分自身でなく自分が伝えた数学が生徒の中に残って行くかどうか
    ・わからなかったら馬鹿という強迫観念を植え付けて抑圧する教師
    ・説明して自慢する→わかってくれない→悔しい→工夫する→わかってもらえた!
     ex)会社ですごい新商品の開発のアイディアを思いついても、そのすごさをわかってもらえないと商品にはできない。
    ・数学では「わからない」経験をたくさんさせることができる
    ・数学は物事の仕組みを整理して考えるための本をつけるための科目

    【倫理】
    ・哲学は生きて行くにあたっての市民の武器
    ・ヨーロッパで哲学書は誰でも読める本というイメージ
     ←高校で数学、英語よりも哲学の時間があり、哲学教育を基幹としている
    ・生きて行く上でどうしても考えなければならないことの一番基本的な道筋「こう考えたらこうなる」を学校でやっている
    ○だから、哲学の授業が「教室でのクラスをどうしたらいいか」「クラスでトラブルがあったらどうすればいいか」という話し合いにつながる
    ・日本の道徳はしつけ、ルールの勉強に過ぎない
    ・倫理:1つは、道徳の学問という意味、1つは共同体や人間関係の成り立ちを考える学問としての倫理
    ・「わからないけど問わずにいられない、その時どう問うたらいいか」が教育の基本になくてはいけない。今の教育はわからないことを大切にしなさすぎる
    ・哲学では教えることをやめ、その問いに先人はどう向き合ってきたかを伝える
    ・知るとは、見えるものを通して言えないものを見る想像力の営み
    ・倫理は、学校が嫌になった子どもにこそ必要
    ・自分の思想を伝えるときは、反例も合わせて伝えておくことで、思想の偏りを防ぐ

    【家庭科】
    ・家庭科は自分がどう生きるかを考える教科
    ・トップになる人には、生活者であってほしい
     ←生きることを自分でやってみず、理屈だけで世界を動かすから、環境問題のミスマッチが起こる
    ・今の家庭は孤立していて連携がなく、お互いどう生きているのかをクロスさせる場がない
     →学校がつなぎ役に
    ・教師への信頼↓ →学校、教師への不信感↑ →学ぶ意味↓ →学びからの迷走↑ 
    ・殺人の30%が家庭内→過程が葛藤や軋轢を生む場になってしまっている
    ・山形で、僻地の学校がなくなり、僻地から人がいなくなり、山があれ、財源が山の補修に当てられるという負のループ
    ・家が閉じてきたから教室が閉じていることを息苦しく感じる子が増えたのではないか?
    ・空いた教室にデイサービスセンターを作ることで、高齢者との交流を生む
    ・保健室が学校のオアシスなのは、唯一評価されない場所だから

  • 新井紀子氏へのインタビュー後編、e-教室についての話がとてもよかった。インターネットでの学びはとかく、これまでの教育へのアンチテーゼとして受け取られがちだ。しかし新井氏はこう言う。「人はその能力に応じて適切な教育が与えられるべきである。」インターネットでの教育はその選択肢を増やす手段なのだ。

  • 370

  •  主人公を少年にしたり、家族の問題を題材にすることの多い作家重松清。
     彼の小説は、中学受験の入試問題に採用されることも多いが、その著者が、教育に関係する識者に対して行ったインタビュー集である。
     対談相手は、例えば、佐藤学、諸富祥彦、藤原和博、玄田有史、苅谷剛彦、上野淳などで、教育関連に関心があれば、「彼ね」ということが推察できるくらいの方々。
     逆に対談人数が多い。1人あたり10頁にも満たない分量では、アウトラインしか掴めず、せいぜいガイドラインでしかない。
     本書を梃子に対談者の著作に当たることが望ましい。

  • 特に印象に残ったのは、
    国語の教科書問題、家庭科の可能性、建築としての学校、哲学を教える意義、の4つ。

    自分にはない視点から教育を切り取っているので、思考の幅が広がった。

  • 不安定雇用の若者たちが増えているのは、経済的な労働市場の構造によって決まっている部分が圧倒的に大きいですよ 数字わからないままキャリアだけが長くなって、自分が数学に恐怖を持っているという自覚すら失われてしまう。そういう状況から、「傷つける数学教育」が出現するんだと思います 数学は「ものごとの仕組み」を整理して考えるための基礎を身に着けるための科目です 「ひとが生きる力」を教えていくのが家庭科じゃないか 世の中はバリエーションがないと発展していかないと思っています 日本には宗教教育がなかった代わりに、国語で宗教教育をしたわけです 「ようこそ先輩」は「おとなの頭をリストラする番組」

  • 読んでたな。
    過去に読んだ記憶が…。
    同じもの選んじゃうんだよねぇ。

    シゲマツさんと、色々な分野の一流の方々との対談。
    スルーしてる筈がないよね(^^;

    やっぱり、その道の先端の方ってイイこと言う♪

  • 給食の話が興味深かった。パンはアメリカの押し付けだったとは!
    あれでパンが嫌いになったかも。
    給食と聞いて、イヤーな気持ちになる子どもって今もいるのかしら。
    私は二度と食べたくない。今も「給食」って聞くと鼻の奥からイヤなにおいがしてくる。
    本の感想に全然なってませんね。

  • 上司に勧められて読み始めた本。豪華メンバーと重松清のインタビューで、「教育とは何か」が様々な切り口から見えてくる。
    とはいっても、教育委員会1年生の自分にとっては中身が濃すぎて消化不良気味か。
    客観的にはすごく良い本だと思うけど。

  • これだけ 子どもたちのことを考えている人たちがいるのかと 改めてというより 初めて知ったという感想です
    お子さんをおもちのかたは 読んでいただきたい

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著者プロフィール

重松清
1963年岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。91年『ビフォア・ラン』でデビュー。99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、『エイジ』で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』で直木三十五賞、10年『十字架』で吉川英治文学賞を受賞。著書に『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』『カシオペアの丘で』『とんび』『ステップ』『きみ去りしのち』『峠うどん物語』など多数。

「2023年 『カモナマイハウス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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