フランスにおける脱宗教性の歴史 (文庫クセジュ 936)

  • 白水社
3.33
  • (3)
  • (1)
  • (5)
  • (3)
  • (0)
本棚登録 : 69
感想 : 5
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560509364

作品紹介・あらすじ

ライシテとは、国家や公立学校などの公共空間における宗教に対する中立性のことである。本書は、フランス革命期から、一九〇五年の政教分離法、二〇〇四年の宗教的標章禁止法(いわゆるスカーフ禁止法)の成立を経てきたフランスの脱宗教化の道のりをたどる。ライシテ研究の第一人者による解説書。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 2013年1冊目
    フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史

    本書はフランスにおける特徴的な制度、ライシテ。政教分離において公的な場から宗教色を排除するこの制度が、フランスにおいてどのように成立してきたかを説明する。他国の歴史及び法制度なので若干理解しづらいところもあるが、簡潔に説明されている。

    本書の興味深い点は、脱宗教化の過程を説明する本書が、道徳が社会でいかに説かれるべきかの議論になり変っている点ではないだろか。以下社会背景を踏まえながら理解したい。

    社会的な背景として、フランス革命がライシテの変革の発端となった。この革命がおこるまで、フランスにおける国教はカトリックであり、僧侶は絶大的な権力をほしいままにしていた。そもそも、フランス王はカトリックの秘跡のもとに戴冠をすませていたし、フランス王は熱心なカトリック信者であった。カトリックがフランス国家自体を支配してはいないが、国家から独立し、独自の組織を築いていた。それは、人口の1%程度にもすぎないカトリックが全人口の30%程度の財産を有し、独自の課税権を有し、教育者の多くがカトリックであったことからも、フランス人の精神はカトリックが支配していた。

    しかし、状況は啓蒙思想がもたらしたフランス革命により一変する。革命により、カトリックは公僕の立場に落ちるのである。課税権および財産は国家の財政赤字を補てんするために接収される。そして生活の基盤を失ったカトリックの僧侶は国家から給金を受ける形で仕事を続けることになる。これはカトリックが今後、フランス政府によりその行動を左右されることを意味し、ある種の隷属である。カトリック側はせめてカトリックを国教とすることを政府に求めるがこれも一蹴される。カトリックの権威は地に落ちる。この時期は革命の勢いもあり、啓蒙思想の観点からカトリックは論理的にダメージを受ける。

    さて、ここで当時のフランスにおける道徳の話に移る。フランスにおけるカトリック教会においては、貴族出身や、高位の僧侶層は、その身分の高さから良い司教の地位にありつける。しかし平民出身の僧侶は高い身分につくことはできず、そのため教師になるものも多かった。かのサンクルーの風見鶏のジョゼフ・フーシェも平民から僧侶になり、教師になった一人である。このことからわかるように、当時の教育面における道徳はカトリックに負っているところが多かった。しかしフランス革命により、啓蒙思想により、迷信が廃され、特権身分が廃されたことで、カトリックはその地位を失う。本来ならここでカトリックが廃されて話は終わるところであるが、革命の理念はルソーの影響を受けている。ルソーによれば、宗教のない国家は繁栄しない。なぜか。それは国家という共同体において、道徳が存在しないからである。そのため、カトリックである必要はないとしても、市民宗教として、市民一般に是認された共同体における宗教が必要とされたのである。そのため、ロビス・ピエールは理性を尊重する、最高存在の祭典を催し、新たなる道徳を示そうとする。しかしながら、テルミドール派の暴走により殺されたため、それも徹底されない。同時にこの時期、公教育の普及が行われる。特権身分が廃され、全ての個人が平等になり、個人が理性に基づいて、自由と責任に基づき行動することを求められたため、その前提として公教育、すなわち初等教育がおこなわれるようになった。

    さて、問題となったのは、ここでどのような道徳が公教育において教えられるべきなのだろうか。もちろんカトリック側からは、カトリックを道徳として教えるべきとの主張がなされた。しかし、革命により宗教の自由が保障されたフランスにおいて、カトリックに独占的な地位を与えることは許されない。ここで、多くの宗教の背景におは共通の価値があるとして、それを政府がまとめ、教えられることになった。宗教については選択科目として一様残ることになった。しかしここで、私的生活における宗教教育はもちろん自由である。そのため、一般の道徳教育は公教育で、宗教色を帯びた道徳教育は過程で行われるようになった。もちろんカトリック側はぶちぎれである。ローマからはフランスの公教育における教科書が禁止リスト入りとの通告まで来る。

    しかし、このような流れの中でどのようなものが道徳的価値か、そしてそれは学校で教えられるべきもの、という議論がなされる。共同体の一員として、革命は個々人に自由だけでなく責任も求めた。加えて、国家として固まるために共通の土台が必要であった。ここから、公教育における道徳教育が行われていく。教師の認定にも、今まではカトリックの僧侶が教えていたが、例えばバカロリアの卒業認定を教師の要件に課すなど、カトリックの力は排除されていく。

    革命はこの先も進み、フランスは数十年は政府が何度も変更することになる。そのたびにカトリックの地位も変わる。しかしもはや革命前ほどの力は持たず、ライシテの確立により、カトリックは公的な場所から排除される。

    そして、ライシテを最後に確立ならしめたのは、個人主義の到来と思われる。人間の社会において、個が生まれたのは近代であって、それまでは共同体、社会こそが人間の基盤であった。その共同体が尊重されるために道徳が必要であり、カトリックは力を有していた。しかし、個人主義の到来により、道徳、すなわち、ここを結び付け、共通の価値の土台を提供するものが廃れ始める。それにより、カトリックは個人の関心からうすれていく。現代においてもなお、フランスにおいては約60%がカトリックであるが、熱心なカトリック信者は10%程度にすぎないし、またはそれよりも低いかもしれない。個人主義の到来はカトリックが公的な場に来ることを完全に無理たらしめた。またこれは同時に道徳にもひびを入れ、共同体としての結合を弱め始めたのである。

    結局、脱宗教化の歴史、それはカトリックからの解放の歴史といっても過言ではないかもしれないが、それはカトリックに変わり、フランスにおいて、道徳がいかに教えられていくべきか、の議論であった。

    ここで成立したライシテは公立学校において、イスラムのスカーフの着用禁止など、現代においてももちろん影響力を維持している。

  • ライシテについて、分かりやすく説明。
     分かりやすく脚注も丁寧だった。...けど、私はなんかゴタゴタしてて、読む気がちょっと...な本だった。

  • 読んだ。

  • 革命以降、多様な価値観が不可分な共和国を目指してきたフランスの「脱宗教化=ライシテ」のお話。
    国家がいかにしてカトリック支配から脱し、一方でカトリックの権利を維持していくか。今のブルカ禁止法もこの延長にあるお話。

全5件中 1 - 5件を表示

著者プロフィール

ジャン・ボベロ(Jean Baubérot) 
1941年生まれ。専門はプロテスタントとライシテの歴史社会学。高等研究実習院で講座「プロテスタンティズムの歴史と社会学」の教授(1978年から1990年)、講座「ライシテの歴史と社会学」(1991年から2007年)の初代教授を歴任。1995年には「宗教とライシテの社会学グループ」を創設し、2007年まで初代所長を務めた。現在は高等研究実習院の名誉学長・名誉教授。代表的著作に、『ライシテの100年――情熱と理性のあいだ』(Seuil, 2004)、『ライシテに背く共和国原理主義』(L'Aube, 2006)など。邦訳書に、『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』(白水社、2010年)、『世界のなかのライシテ――宗教と政治の関係史』(白水社、2014年)がある。

「2021年 『〈聖なる〉医療』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ジャン・ボベロの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×