パパラギ: はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集

  • 立風書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (135ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784651930077

感想・レビュー・書評

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  • 児童書ではなく、大人向けだが、高校生以上は、一度読んでおいて良いかと思う。
    現代の価値観を根底からひっくり返す、目からウロコな一冊。だが、納得できる部分も多数でこれから何をするか?を見直せる。
    価値観が違うツイアビの言葉は、多少読みにくいが、一章は長くないので最後まで読んでほしい。

  • 【現代の生活を問い直しを迫る一冊!!】
    南半球のニュージーランド近くにある島、サモア。そこの酋長でありツイアビが、現代国家のヨーロッパを訪れた際に感じた、彼の思いを綴った一冊。

    内容はとにかく面白いの一言。文明が未開拓の者が、開拓された土地を訪れ、見たものに対して感想と彼自身の考えを述べている。一つ一つの言葉に重みがあり、自分の生活に問い直しを迫る。

    私自身、モノの豊かさに対する問い直しは幾度と無く考えてきたが、「教育」という国家を持続させる上で非常に大切な行為でさえも、ツイアビからしたら批判の対象となる。

    日本を含めた先進国が発展途上国に提供している技術、教育などは本当に、本当に、本当に!!その国にとって必要なことなのだろうか。それは、ただ単に我々先進国が創造してしまった世界的なシステムに、彼らを巻き込ませるための手段なのではないだろうか。

    その国の人達のことを思えば、我々がしていることは不要で余計なお世話なことではないのだろうか。

    「生きる」ということ本質を捉えるとき、我々がしていることがどれほど必要ないことなのかを実感し、今自分が描いていた世界や価値観が空虚なことなのかと思う。

    これからの世界がどのように進んでいくべきなのか、そして自分はどのように生きるのかを本気で考えさせられる一冊である。

  • 勿論、この視点を人間の見方の最上に置くことはしないし、
    偏見に満ちたものであるには違いないにせよ、
    指摘には示唆に富むものが多く、
    日ごろいかに自分が得意で人間らしからぬ行為、生活を営んでいるのか。
    驚きと共に、悲しみも感じる。
    特に仕事に関する箇所は、
    深く思慮すべきことだなと認識。


    「他の原住民たちは自分自身へ想いをめぐらすこともなく、子どものような感覚や瞬間の中に生きている」

  • なんで今更、パパラギか?最近でもないが絵本になったので買ってみようと思ったが、高かったのでオリジナルの古い本を買って読んでみた。ツイアビが見てから100年ほど経っているが、何ら与える影響はない。読んだときの状態によって思い描くことは違うだろう。めったに本を読み返さないが、これは3年毎に読んだ方がいいと思った。

  • 大学の授業の課題で読んだ。本が見つからなくて探したけど、結局、大学近くの本屋で大量に取り寄せられていた。

  • 尊敬する父親の人生を変えた一冊。
    ボロボロで日焼けした本を勝手に自分の部屋の本棚に移して何年も経つが、
    難しくてなかなか読了出来ない。
    読めと言われているわけではないが、絶対に読み切りたい。
    いつかこれを読み切る日が来て、その時わたしはどう思うのかが楽しみ。

  •  現代人の文明を見て、「進化しているように見える彼らは、むしろ時間を無駄にしている」と評するツイアビさん。
     中学生だった私が、時代の流れと進化というテーマに初めて疑問を持った本です。まあ、ツイアビさんの話にはツッコみどころも結構あるのですが……

  • 固有名詞を使わない表現がちょっと面倒だったけれども、新鮮だった。

  • 批評家以上の腕と目をもち、批評とはこうあるべきというモニュメント的作品。

  • 命はなんのために、何をするために生まれてくるのか、
    そんな「問い」に、この本は一つの明確な答を出している。
    今、自分が生きている社会を、別な角度から見直す
    いい機会にもなった。

    <本から>
     物がたくさんなければ暮らしていけないのは心が貧しいからだ。

     パパラギのからだは、まるで深い原始林に育つ花のように、
     やつれて青白い。

     昔、ヨーロッパに、ひとりの有名なパパラギがいた。この男は、
     自分のもとに集まる多くの人びとにこう告げた。
     「足にきゅうくつな思い皮を巻きつけるのはよくないことだ。
      朝露が草の上で光っている限り、青空の下をはだしで歩こう。
      そうすれば、病気など自分のほうから逃げてゆく」と。
     この人は、とても健康でかしこい人だった。だが、世間は彼を
     あざ笑い、やがて忘れた。

     私たちは喜ぼう、私たちの肉が太陽とともに語ることができ、 
     腰布にもしばられず、足皮にもずらわされない私たちの
     足が、野の馬のように駆けられることを。

     手も足も頭も、みんないっしょになりたがっている。からだの全部、
     心の全部がいっしょに働いて、はじめて人の心はすこやかな
     喜びを感じる。
     
     大いなる心は、私たちがすべての行いを、誇り高く、正しく行う
     ことを、そしていつも喜びの目と、しなやかな手足を持った人間で
     あることを望まれるのだ。

     まやかしの暮らしのある場所と束になった紙が、パパラギを今の
     姿にした。弱く、迷い多い人間、本当でないことを好み、もはや
     本当のことを知ることができない、月の似せ絵を月だと思い、
     字の書かれたむしろを人生そのものだと考える、そんな人間に
     なってしまった。

     考えることではなく、からだ全体を同時に使って活動することが
     彼らには難しくなってしまった。頭だけは目覚めて働いている
     のに、からだのすべての感覚はすっかり眠りこんでいる、という
     こともめずらしくはない。立って歩いても、しゃべっていても、食べて
     いても、笑っていても。

     日が美しければ、彼らはすぐに考える。「日はいま、なんと美しく
     輝いていることか!」 これらはまちがいだ。大まちがいだ。
     馬鹿げている。なぜなら、日が照れば何も考えないのがずっといい。
     かしこいサモアの人なら、暖かい光の中で手足を伸ばし、何も
     考えない。頭だけでなく、手も足も、腿も、腹も、からだ全体で
     光を楽しむ。皮膚や手足に考えさせる。頭とは方法が違うに
     しても、皮膚だって手足だって考えるのだ。

     愛は私たちのからだの中の血のように、私たちとまったくひとつの
     ものでなければならぬ。頭と手がひとつであるように。

     「大きな声を出さないでくれ。おまえの言葉は、くだける波の音、 
      ヤシの葉ずれのざわざわだ。おまえの顔が喜びと強さにあふれ、
      おまえの目が輝かない限り、そしておまえの姿から、神さまの
      お姿が太陽のように射してこないかぎり、おまえのしゃべりは
      もうたくさんだ」

      私たちはさらに誓いを立て、彼らに呼びかけよう。私たちに
      近づくな。おまえたちの喜びと快楽を持って私たちに近づくな。
      腕にも、頭にも富を求め、かき集めてきた野蛮な略奪物を
      持って私たちに近づくな。兄弟よりも豊かであろうとする貪欲さ、
      たくさんの無意味な行い、むやみやたらに手を動かす物作り、
      好奇心だけでものを考えて、なんにも知らない知識、そういう
      がらくたを持って私たちに近寄るな。むしろの上のおまえたちを、
      安らかに眠らせることさえしないあらゆる馬鹿馬鹿しい行い。
      そういうものを、私たちはいっさい必要としない。私たちは神さま
      からたっぷりといただいた、気高く美しい喜びでじゅうぶん
      満足できる。

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