家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日

  • 産経新聞出版
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  • Amazon.co.jp ・本 (185ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784819111225

作品紹介・あらすじ

ガンにたおれた妻であり、母である河野裕子と家族が詠んだ歌とエッセー63編。息を引き取るまで、互いの心に手をのべ、絆を確認し合った歌人一家、感涙のドキュメント。

感想・レビュー・書評

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  • 本書の筆者は、河野裕子、永田和宏、その家族、となっている。
    河野裕子と永田和宏は夫婦で、ともに歌人である。永田和宏は同時に科学者でもあり、京大教授や京都産業大学学部長を務めていた。「その家族」は、永田淳と永田紅という、2人の間の子供。永田淳も永田紅も歌人であり、淳は「青磁社」という出版社の代表を務め、紅は父親と同じく科学者であり、京大で博士号を取得している。もう1人の家族は、植田裕子であり、永田淳の妻、同じく短歌を詠む人だ。
    本書は、産経新聞夕刊に、平成21年(2009年)9月21日に始まった、家族のリレーエッセー「お茶にしようか」の連絡を主体にまとめたもの。書籍化されたのは、平成22年(2010年)12月25日までのものである。
    この間に、とても大きく悲しい出来事が家族を襲う。河野裕子が平成22年(2010年)8月12日にがんで亡くなられたのである。河野さんは、2000年に乳がんの手術をされている。それが連載開始の前年である2008年に再発。連載期間中は、河野さんの闘病期間でもあった。おおよそ助かりそうにないことは、河野さんご本人とそのご家族には分かっていた中での闘病生活であり、そのような中で書かれた「リレーエッセー」であった。
    河野さんが亡くなられた前日の8月11日から12日にかけての様子を、永田和宏がエッセーとして書き、それが9月4日の新聞に掲載されている。死の前日の8月11日にも河野裕子は短歌を詠んでいる。そのうちの2首がエッセイで紹介されている。

    あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき

    手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

    2首目が河野裕子の最後の1首となった。
    河野裕子が亡くなった、おそらく翌朝に、永田和宏の読んだ歌が下記のものである。

    おはやうとわれらめざめてもう二度と目を開くなき君を囲めり

  • そぎ落とされた言葉たちで、情景や心のヒダを見事に表す短歌や俳句が好きだ。特に短歌は、高校生の頃、国語の授業で作った短歌を先生から褒めてもらったり、俵万智さんの短歌に出会ったことがきっかけで、自分でもたまにこそっと作ったりしている。

    けれども河野裕子さんのことは、亡くなられてから知った。亡くなられてから、至る所で河野さんの記事を見かけたので、いったいどんな人だったんだろう、もっと知りたいと思い、この本を手にした。

    主に通勤電車の中で読んでいたが、何度も泣きそうになった。私には、正直短歌の良し悪しは分からない。ただ私の心に響くかどうかで判断しているが、読んでいる間ずっと心に響き続けた。

    思うに、短歌だけでなく、河野さんやそのご家族の生き方が素晴らしいのだ。私はその点に感動した。本の中には、家族に対する思いやり、優しさが溢れている。私も家族を大切にしようと心から思った。

    知らなかったら、皆さん京都にお住まいとのこと。淳さんや紅さんは、私の一つ上と一つ下で年齢も近い。機会があれば、お会いしたいものだ。

  • 永田氏の奥様の河野裕子さんが引き受けた、家族が互いにエッセイを連載するという企画。それが書籍化されたのがこの本。
     でも、その連載が始まった時、河野裕子さんは乳がんの再発で化学療法を受けている最中。そして、その連載中に河野さんは亡くなられます。

     なので、いつか近いうちにくるだろうその時を意識した文章が多く、静かな佇まいを感じる。心にしみる問いかけや気づきがあって、折に触れて読み返したいと思う一冊。

  • 他の歌人は知らない。この人のうたがしみる。

  • 『あの胸が岬のように遠かった―河野裕子との青春』がドラマ化されたのを見て、とてもとてもがっかりだったのだけれど、図書館で見つけて思わず借りる。
    河野裕子が余命宣告を受けて亡くなる前後2年間を家族が歌とともにエッセイを書いている。新聞連載だけあって文章量が少ないが、それが食い足りない気がする反面、言い過ぎない余韻もあってよかった。

    p27
    私たちはどんな悲しみを詠うときにも、常に歌の出来映えを意識下に測ってもいる。当然のことである。いい歌ができれば「やった!」と思うのである。

    p33 母 河野裕子が最初の手術をした後、母は随分痩せてしまったと思った。と書く。そして、

    元気な人の周囲には生気が漲っていて、それが人を大きく見せるのだと、つくづく実感する。

    p64
    君に届き支最後の声となりしことこののち長くわれを救はむ 永田和宏

    息がとまったとき、「ゆうこ」と呼んだのだったか、「行くな」と叫んだのだったか。その私の声に応じるかのように、裕子はもう一度だけ息を吸ってくれた。私への最後の思いやり、精いっぱいのいたわりだったのだろう。彼女の耳に最後に届いたのが私の声であったという確信は、これからの私をいろんな場面ですくってくれることになるのだろう。

    p69
    家族がいっしょに暮せば、必ず何らかの軋轢はおこる。
    しかし、ともにご飯を食べた経験と記憶は、どこかで人間の根っこを作るものであったことに気づく。

    p139
    身近に病人をもつと、今までは当たり前であった季節のめぐりが悲しい。コスモスの咲くころ、皇帝ダリアの咲く頃、という未来があり、時間は端をかかげてやってくる。その花が咲くまでには、否応なく大切な時が消費されてゆく。どんな時間も、必ずくることが怖い。
    母がいるから、家は家なのだと思う。~
    誰かを待つこと、待っていてくれる人がいることは、この上なく大きい。それを失うことの想像はつかない。

    p154 さびしいとさみしい
    歌人である河野裕子は、この2つが微妙に決定的に違うと言う。

    忘れるということは、私自身が私を置いてどこかへいってしまうような心細く、寄る辺ない思いに人を追いつめるのではないだろうか。~
    さびしいと思い至るまでには時間がいるという。物が錆びるのに時間がいるのと同じように。さみしいには、さびしいよりも、もっと術のない心の深みからくる切実な音感がある。

  • もう二度とあの夏はない丸眼鏡の息子を連れし熊蝉の夏

    ひらがなに心が還りゆくような日々を重ねて泣きやすくなる

  • 「家族の歌」河野裕子・永田和宏・その家族著、産経新聞出版、2011.02.13
    186p ¥1,260 C0095 (2019.01.05読了)(2018.12.27借入)(2011.06.14/4刷)
    副題「河野裕子の死を見つめた344日」
    産経新聞の夕刊(大阪本社発行)に「お茶にしようか」と題して、家族5人でエッセイを連載したものを、一冊にまとめたものです。
    著者は、河野裕子・永田和宏・永田淳(長男)・永田紅(長女)・植田裕子(長男の妻)の5人です。いずれも歌人です。エッセイとともに一首の短歌が添えてあります。
    連載の開始は、2009年9月2日。河野裕子さんが亡くなったのは、2010年8月12日です。この本の刊行の頃には、まだ連載は続いているとのことです。
    皆さん、歌人なので文章が上手い。エッセイの先頭に短歌が添えてあるのですが、短歌を読んだだけでは、どういうことを歌っているのかよくわからないのが多いのですが、エッセイを読むと内容がよくわかります。やはり短歌には、添え書きが欲しいですね。
    エッセイの内容は、各人の身辺雑記のようなものなので、永田さん一家の様子が良くわかります。家族構成やらどんな仕事をしているとか、どんな所に住んでいるとか、河野裕子さんのなくなるまでの様子とか、興味深く読ませてもらいました。

    【目次】
    まえがき  永田和宏
    ◆「うん、もうこれでいい」
    歌なら本音がいえるから  河野裕子
    日々を積み重ねる家  永田紅
    時間の記憶を携えて  永田和宏
    食べること  河野裕子
    入院生活  河野裕子
     ほか
    ◆「うちはね、いい家族だと思うのよ」
    ごはん  河野裕子
    ビール1缶分の“事件”  永田淳
    連歌  永田紅
    うまこさん  永田和宏
    サンタクロース  永田紅
     ほか
    ◆「お茶にしようか」
    あの一言  河野裕子
    暗い場所  永田淳
    モラトリアムの秋  永田紅
    細胞って、なに?  永田和宏
    書き順  永田淳
     ほか
    河野裕子 未発表エッセー
    鍋と蓋―夫婦往復書簡  河野裕子・永田和宏
    あとがき  永田淳

    ●歌の力(15頁)
    歌には、日常のコミュニケーションを超える力がある。
    ●家族とは(19頁)
    家族とは何なのだろうと考えるとき、私には家族とは時間の記憶を共有するものの謂いであるという思いが強い。「あの時の…」と言えば、すぐに誰かがその<時>を取り出して相槌を打つ。
    ●食べる(21頁)
    食べるためには、必ず動植物を殺さなければならない。
    生きるために殺すということの、条理と不条理の間にある答えようのないものの深淵を覗く。
    ●出来事をメモる(25頁)
    私は歌を作る前に、とにかく毎日出来事をメモすることにした。
    感想や感情は、具体的な事柄の記述の中に豊かにしまわれ、息づいている。
    「歌を作ることは、時間に錘をつけること」
    ●「お袋」(31頁)
    今頃になって、はっと気がついた。母親は袋だったのだということに。何でも入れられて、何をいれても柔らかく膨れて、まだ何でも入れられて、それが本来のありようそのものであるように、ゆったりと袋であり続ける袋。
    ●年を取る(36頁)
    他人事と思っていたことが他人事ではなくなる。それが年を取るということなのかも知れない。
    ●最後の一首(46頁)
     手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
    ●野生動物(82頁)
    わが家は京都市の北にあり、庭のフェンスの向こうは竹藪で、すぐ近くまで大原に続く山がせまっている。山伝いにいろんな動物がやってきてにぎやかだ。まだ来ていないのは熊くらい。
    猿、鹿、猪、たぬき (アナグマ、狐)
    ●子供を叱る(97頁)
    父親と母親がそろって子供を叱るのはやめて欲しい。
    ●知らない世界(101頁)
    知らないゆえに見えていない世界が、なんと多いことなのだろう。
    ●遊び(152頁)
    少なくとも、小学生のあいだは存分に自然の中で遊ぶ。泥まんじゅうを作ったり、夏の川遊びを知らないで大きくなった人の人生は貧しくないか。どんな苦難に会った時も、豊かな遊び経験のある人は、何とかやっていけるものなのだ。子ども時代の遊びの経験は、生きるための元肥しのようなものだ。
    ●忘れる(155頁)
    忘れるということは、私自身が私を置いてどこかへ行ってしまうような心細く、寄る辺ない思いに人を追いつめるのではないだろうか。
    ●選歌(172頁)
    数は多いがどの歌がいいのか、かいもく見当がつかない。他人の歌なら、即座に(良し悪しが)読めるのに、自分の歌の良し悪しはわからないものである。
    (2019年1月8日・記)
    内容紹介(amazon)
    歌人一家、感涙のドキュメント。 2010年8月、ガンに斃れた歌人・河野裕子。河野裕子の家族は、夫・息子・娘ともに歌人という歌人一家である。2009年9月、裕子はガンを患いながらも、産経新聞夕刊に家族4人で短歌・エッセイのリレー連載をはじめた。

  • どうしてもこの歌を詠むと涙が溢れそうになります。「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」河野裕子女史の最後の歌です。もっと長生きをして素敵な歌を作っていただきたかったですね。その役目を家族の皆が担っていくのですね。とても素敵な家族ですから。

  • 短歌と言う短い文字の中に、これほどまで、家族の情愛が切々と、心に響く物とは、知らなかった。

    子供から、京大の先生の奥様が、現代歌人で、いくつもの賞を受賞した素晴らしい方なのに、乳がんの再発のために、亡くなられたと、聞いて本を読んでみた。

    2冊目であるが、今回の本は、家族の短歌のリレーで、お互いの絆をバトンしつつ、確認し合う言葉が、少ない文字の中から、一杯の文字に変わって行くようであった。

    和宏氏の「あほやなあと 笑ひのけぞり また笑うふ あなたの椅子に あなたがゐない」の挽歌には、涙が、出てしまう。

  • 家族の結びつき。その結びの根底にあるものはなんだろう。
    家族それぞれに違うものなんだろう。
    ゼロから作り上げるものなんだろう(と思う)。
    それが崩れかけたとき、いや、欠けようとするとき、それは、顕在化して、また結びつきを深めるのだ。痛いほどわかる。
    でも、それは、痛みではなく、いつくしみなのだ。

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