- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000021968
作品紹介・あらすじ
「近代世界の形成と再形成とに果たした力は明白でありながら、それに取りつかれていない人間には依然として他人事で理解不可能なままにとどまっているナショナリズム」、その本質は何か、この難問に、英国哲学界の巨人ゲルナーが、政治社会学、社会人類学などの該博な知識を駆使して解明を試みる。1983年の刊行以来、「第一級のナショナリズム研究書」と高く評価され、大きな影響を与えてきた現代の名著、待望の完訳なる。
感想・レビュー・書評
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ナショナリズムに関する古典的著作の一つ。ナショナリズムについて、政治的な単位と民族的な単位が一致していなければならないとする政治原理と簡単に定義付け、ナショナリズムの第3世界におけるその野蛮性や暴力性、排他性が指摘される中で、むしろナショナリズムとは高度な文化、読み書き等の教育の普及と言語的統一、官僚制度や国家的枠組みの発展、そして共同体内部の同質性を持ってして初めて可能になる近代的な愛国主義であると述べる。
ゲルナーの議論は、文化本質主義者や民族等を所与のものと見なす論者への批判としては部分的に有用であるが、現代においてはその欠点をあげれば枚挙にいとまがない。第1に、ネーションと民族、あるいはエスニックなどの定義が不明瞭なままに、定義付けの際に用いられており、定義の破綻が生じている。第2に、ナショナリズムを国家と一体に捉える事で、国家なきナショナリズムを排除しているが、これでは冷戦後の民族紛争やナショナリズムを捉える事ができない。この点については、ゲルナーの定義ではこれらのナショナリズムといわれるものは部族主義であるとされるのかもしれないが、グローバル化と高度な技術の利用が新しい戦争においては見られるというカルドーの主張を鑑みれば、ゲルナーの主張するような前近代的な部族主義として冷戦後の地域/民族紛争を捉える事は適切ではない。第3に、ゲルナーの主張は、後に現れるハンティントンなど(土佐氏の主張を借りれば、恣意的で悪意のある)文化本質主義者に対しては確かに有効な批判になりうるが、同じ近代化論者でもセングハースのように外部との関係を重視し、選択肢は内部の人々自身にあり、進む方向も多様だという温和な近代化論と比して、排他的で一方通行な近代化論にすぎないと批判出来る。第4に、ナショナリズムは、内部に及ぼす作用と外部に及ぼす作用があるが、少なくともゲルナーは後者を軽視、もしくは無視しており、その点で物足りなさを感じる。
その他、あげれば切りはないが、国家と国民が一体である事がある意味で当然視される近代国家発祥の地としてのヨーロッパの研究者の古典的ナショナリズム論としては、まあ仕方がないのかなとも思う。ただ、民族と国家が一致していなければならないという考えは、ソ連内部の共和国形成の際の決定にも指摘出来る事である。まあ、これは民族自決の原則の焼き直しでしかないので、その例外やそれによって生じる後の時代の問題を反映していないので、あまり意味はないが。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「民族」「国家」そして「ナショナリズム」がいつの時代からどういった由来で出現したのかを、社会システムの観点から説明されている。
ナショナリズムとは、社会の構成員全体が、読み書き/四則演算を基礎とする高文化に参加し、文化文化レベルで同一化されている状態。その状態において、政治的/文化的境界が一致する範囲が国家であり、その領域内で生活する人々が民族である。
農耕社会(=封建制≠国家モデル)においては、「政治権力の集権化」と「文化/認知の集権化」の作用が独立的であるため、「支配/知識層」と「被支配農奴」はそれぞれの層において、再生産を繰り返す力学が働き、高文化の普遍化が進まない。(文化/階層の流動性が低い)
しかし、産業社会(=国家モデル)の時代に突入すると、「理性の発見」「(経済)合理性の発見」に伴い、人間の一元体系への統一化による階層間(文化間)の流動性が高まり、そこに永続的な成長概念(資本主義)が重なることで、高文化の普遍化に向かう力が働くようになる。高文化への統一に伴い、職業などの階層の流動化も高まり、生産性向上のための同一の訓練を実行するための役割として「国家」が求められるようになる。ここにおいて、「国家」と「文化」が結びつき、「民族」が生まれ「ナショナリズム」が発現する。
「国家」「民族」「ナショナリズム」とは、産業社会が生み出す1つの帰結であり、産業化=ナショナリズムではない。
政治と文化の範囲が一致したのは、産業社会のみではなく、農耕社会でもそれらの一致が見られることはあった。しかし、ナショナリズムの時代においては、上記の一致が必須条件となっている。
ナショナリズムの将来に関する予測としては、「縮小」と「拡大/強化」に二極化しているが、それぞれの揺り戻しや中間点に答えがあると著者は考えている。
<メモ>
・農耕社会においては、文化権力は水平的に、政治権力は垂直的に分割する力が働く
・高文化の普及に伴い、宗教においても(読み書き能力獲得により)聖書と向き合う「個人」に着目される
・政治的/軍事的弱者として存在する代わりに、強い権力を伴う専門職(金融など)の独占を与えられた集団(ユダヤ人など)は、ナショナリズムの時代においては「国家」「民族」において浮遊した存在であるにもかかわらず経済的優位を持つため迫害などの悲惨な状況に陥った
・ナショナリズムの強化における「メディア」の役割は「何を伝えたのか」ではなく、メッセージを受け取れる(文化/言語的に)同一性を持つ人とそうでない人を分別することにある -
民族とナショナリズムについての古典的名著。どのようにして民族・ナショナリズムという概念が人類に生まれたか、またなぜ不可逆的かが綴られてます。
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ナショナリズム論の古典の1つ。
ナショナリズムという難題にかなり大きな視点で、歴史学や人類学、政治学などなどの視点を踏まえつつ、哲学的にアプローチしている。
ざっくりいうと、農業社会から産業社会への変化と支配的な文化とサブの文化との関係から、ナショナリズムをかなり明確に定義することに成功している気がする。
が、情報の圧縮度がかなり高くて、難しいので、また後日読み直す必要ありかな? -
高文化→ナショナリズム
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民族とナショナリズム
(和書)2011年02月13日 22:44
2000 岩波書店 アーネスト ゲルナー, Ernest Gellner, 加藤 節
佐藤優さんの選書であったので読んでみました。
僕にとっは難解な部分もあり分かり易いと思えた部分を引用させて貰います。
『・・・もしカントとナショナリズムとの間に何らかの関係があるとすれば、それは、ナショナリズムが彼に対する反動であって、彼から派生したものではないという関係なのである。・・・』
カントと柄谷さん、そして佐藤優さんの選書であるアーネスト・ゲルナー。ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」も良かった。 -
【由来】
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【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
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【目次】 -
原題:Nations and Nationalism, (Cornell University Press, 1983).
著者:Ernest Gellner (1925-1995)
監訳:加藤節
思弁的。
【内容紹介】
■体裁=四六判・上製・カバー・266頁
■定価(本体 2,400円 + 税)
■2000年12月22日
■ISBN 4-00-002196-6 C1031
近代世界の形成に大きな役割を果たしながら,これまで十分理解されてこなかった民族問題.「ナショナリズムとは何か」という難問に,英国哲学界の巨人ゲルナーが,政治社会学,社会人類学などの該博な知識を駆使して解明を試みる.「第1級のナショナリズム研究書」と高く評価されてきた名著,待望の全訳.
<https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/6/0021960.html>
【目次】
謝辞 [v-vi]
凡例 [vii]
目次 [ix-xii]
第一章 定義 001
第二章 農耕社会における文化 014
第三章 産業社会 032
第四章 ナショナリズムの時代への移行 066
第五章 民族とは何か 090
第六章 産業社会における社会的エントロピーと平等 107
第七章 ナショナリズムの類型 148
第八章 ナショナリズムの将来 184
第九章 ナショナリズムとイデオロギー 205
第十章 結論 228
注 [239-243]
参考文献 [244-247]
訳者あとがき [249-254] -
難しい