- Amazon.co.jp ・本 (364ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000029018
感想・レビュー・書評
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著者:イ・ヨンスク[李 妍淑](社会言語学・言語思想史)
“小学校入学時に国語の教科書を渡されて以来,国語とは私たちにとって身につけるべきものであり,それがいつ,どのように形成されてきたのか.国語という概念にはどのような特質があるのかを深く問わないまま,現在に至っている方も少なくないと思います./本書はその問いに正面から挑んだ一冊です.「国語」は概念として,いつ,どのように形成されたのか.明治期日本の国家統合の要として創出されたのが「国語」であるならば,それをめぐっていかなる言語認識が展開されていたのか.これらの問いを突き詰めていくと,明治初期から太平洋戦争期に至る長期間の「国語」概念の変遷をたどらざるをえません.たとえば第一部では,明治初期から明治30年代までの「国語」概念の変遷をふまえて,文字表記と文体の問題がどれほど重要な論点であったかを明らかにしています.たとえば第四部では,日本国内の「国語政策」だけではなく,植民地朝鮮,「満州国」,「大東亜共栄圏」における「国語政策」の展開も明らかにされています./本書は「国語」とそれをめぐるイデオロギーのせめぎ合いの軌跡を上田万年,保科孝一らの言語思想を軸に克明に跡づけています.この二人の足跡から,「国語」がいかにして形成されていったのかを読みとるのは実にスリリングな読書体験になるのではないでしょうか./「国語」という理念と制度に秘められたものは何か.それを知る上で必須の一冊である本書は,画期的な言語思想史です.ぜひご一読いただきたいと思います.”
【目次】
はじめに――言葉と「想像の共同体」 [i-ix]
目次 [xi-xvi]
序章 「国語」以前の日本語――森有礼と馬場辰猪の日本語論 003
1 森有礼の日本語論
2 馬場辰猪の森有礼批判
3 馬場辰猪の言語的空白
第一部 明治初期の「国語問題」
第一章 国字問題のゆくえ 026
1 「書くこと」と言語の表象
2 前島密の漢字廃止論
3 洋学者の仮名文字論とローマ字論
4 明治十年代の国字改良運動
5 明治三十年代の国字問題
第二章 言文一致と「国語」 047
1 言語的危機と言文一致
2 国字改良から言文一致へ
3 物集高見とチェンバレンの「言文一致」
4 東京語と言文一致
5 普通文と言文一致
6 帝国意識と言文一致
第三章 「国語」の創成 072
1 「国語」の受胎
2 明治初期における「国語」概念の変遷
3 大槻文彦と「国語」の成長
4 「国語」の理念の創成
第二部 上田万年の言語思想
第四章 初期の上田万年 096
1 「国文」から「国語」へ
2 青年文法学派と全ドイツ言語協会
第五章 「国語と国家と」 118
1 「国語」の政治的洗礼
2 〈母〉と〈故郷〉
3 「国語」のために
第六章 「国語学」から「国語政策」へ 133
1 国語学の構想
2 標準語と言文一致
3 国語政策と国語学
4 教育される「国語」
5 〈国語〉から〈帝国語〉へ
6 その後の上田万年
第三部 国語学と言語学
第七章 忘れられた国語学者保科孝一 162
1 上田万年から保科孝一へ
2 「国語」と植民地
第八章 国語学史をめぐって 175
1 国語学と言語学
2 保科孝一の『国語学小史』
3 国語学の体系化
4 山田孝雄の『国語学史要』
5 時枝誠記の『国語学史』
第九章 国語の伝統と革新 194
1 言語学と「国語改革」
2 仮名遣い改定をめぐって
3 山田孝雄と「国語の伝統」
4 時枝誠記と言語過程説
第四部 保科孝一と言語政策
第十章 標準語の思想 220
1 「標準語」と「共通語」
2 「方言」と「標準語」
3 「標準語」から「政治的国際問題」へ
第十一章 朝鮮とドイツ領ポーランド 228
1 朝鮮とポーランドの「二重写し」
2 国語教育と同化政策
3 『独逸属領時代の波蘭に於ける言語政策』
4 「学校ストライキ」と「三・一独立運動」
第十二章 「同化」とはなにか 245
1 植民地政策と同化政策
2 植民地朝鮮における「民族語抹殺政策」
3 「同化」とはなにか
第十三章 満洲国と「国家語」 264
1 多民族国家「満洲国」
2 「政治的国語問題」と多民族国家
3 オーストリア=ハンガリー帝国における「国家語」論争
4 「国家語」の構想
第十四章 「共栄圏語」と日本語の「国際化」 282
1 「満洲国」における「カナ国字論」
2 『大東亜共栄圏と国語政策』
3 『世界に伸び行く日本語』
4 第一回国語対策協議会
5 第二回国語対策協議会
6 国語改革と日本語の普及
7 「国粋派」の反撃
8 「共榮圏語」の夢
結び 311
注 [319-356]
あとがき(一九九六年一一月 イ・ヨンスク) [357-358]
参考文献 [1-6]詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「国語学」がどうやって成立して、制度として働くようになったかを、明治から太平洋戦争期まで跡付けた、重厚な本。
買って、ずっと積読状態だったのを、このお盆休みにやっとのことで読んだ。
漢学・洋学・和学/国語、文学/国語、言語学/国語学、国学/国語学・・・と無数の隣接領域との差異化によって生まれてきた「国語」と「国語学」。
その歩みは、保科孝一という官僚学者の生涯と重ね合わせることができるらしい。
日本語教育に幾分かなりとも関わりを持った身には、14章がとても興味深かった。
14章は、戦時中の日本語教育についての話。字音仮名遣いや漢字制限といった「革新的な国語改革」は、国内では「伝統」や「国体」意識と結びついて、なかなか思うように進まない。
しかし、「帝国日本」に植民地の人々を同化させるという政治的要求に応える当時の日本語教育という場では、それが可能になったというのだ。
何となく、平時には揺るぎにくい性役割の規範が、戦時中には緩くなるという話にも似ていると思った。
そして、著者は、上田・保科師弟が明治期から目指してきた「国語政策」があっさり戦後、実現してしまったことを指摘しているのだが・・・
戦時体制と現在が意外なところでつながっていたという議論、よく聞くけれど、正直、だから何?と言いたくなることもある。
この本もまさにそれだった。
というのは、国語学は、現在ではどの大学も「日本語学」と解消しているものの、西洋近代が生み出した言語学をベースにした学問領域であることはやめていないはずだ。
その大元が変わることがなければ、明治であろうが、戦時中であろうが、そこで構想されてきたことが大きく変わるはずはない。
それが道理だというものだろう。
それが問題ならば、制度全体を変えるだけの労力を払っても変えるべきで、その処方箋を学者は提示すべきだ。
ただ、つながっている、と批判するだけでは何にもならないのではないか。 -
作家の柳美里さんのツイートで知った本。国語と日本語っていったいどう違うの?という高校の時からの疑問がとけるかな…。
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1080夜
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石原千秋『教養としての大学受験国語』290頁
著者は、田中克彦教授の弟子とのこと。 -
「国語」=「日本語」っていう認識を前提から覆す感じ。
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まだ読んでないので、ランクはいい加減。このコメントも後で書きなおそ。