希望と勇気、この一つのもの: 私のたどった戦後 (岩波ブックレット NO. 725)

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  • / ISBN・EAN: 9784000094252

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  • 政治家も裁判官も、なんと無情で、貧困な想像力しか持ち合わせていないのか。自然条件のきわめてきびしい異国で、孤立させられた女子どもだけの家族。子は親を捨て、親は子を手放した。あるいは、ともに野に果てた。帰るに帰れない歳月をやっと生き延びた人たちに、救済の手もさしのべない「国」を、わたしは信じたくない。

    Yさんの棄民体験、自らの棄民体験、そして、2007年1月に出た「中国残留孤児訴訟」の東京地裁の判決(孤児側の全面敗訴)から、上記のように訴える著者。(Yさんの棄民体験、それは壮絶なものです。)
    そんな国の姿は、福島後にも、見られるものではないか。

    そんな国は無用だ。
    「すべての政治改革、政治決定は、最末端の個人や家族の『運命』を狂わすことがある。改革を推進した人たちは、人生を落ちこぼれてゆく人間の痛みなど知るまい」
    それは、今、日本で再び繰り返されている。

    でも、澤地さんは希望を捨ててはいない。
    「市民が動いたからと言って、一夜で自体が変わるわけではない」(小田実)けれども、市民の細かいネットワークが生まれ、それがつながってゆきつつある。この流れを妨害し、打ちつぶすことなどできない、という実感。市民を主人公とする歴史が脈打ち始めた。それがわたしに希望の火種ねと勇気をもたらす。
    (中略)
    無名の市民レベルの人たちの意志と行動を支えているのは、日本の政治の現実にほかならない。アメリカ追随のまま、「棄民」をやる政治のツケが我が身にも迫ってきたという実感。そしてあまりにも露骨な「戦争容認」の風潮。
    (中略)
    動くこと、人々とふれあうことで希望をつかめた。結局、わたし自身の選択が、わたしに答をもたらしている。問いも答もわが身のうちにあった。
     希望と勇気は、ふたつにわかちがたいものとして、あなたにも、私にもある。たたかう力をもつために、夢を、理想を描き、そこに希望の種子をまき、たがいに水を注いでゆきたい」

    政治を見れば失望しかないけれども、希望を捨てないで、持ち続けたい。

  • 澤地久枝は1930年うまれ、4年前に死んだ小田実の2つ上、小沢昭一の1つ下(うちの父より5つ上だ)。幼少期に満州に渡ってそこで敗戦をむかえ、翌年引き揚げてきた。

    ▼わたしが敗戦前後のことを話題にすると、「またか」という顔に出会う。「生れてません」と初老の人にいわれる。経験した生き残りの数はすくなくなっても、知っておくべきことはある。体験のひきつぎ、追体験などできない、と言った人がある。それはそうだ。しかし、他人の経験を知り、理解し、自分の知らない時代や社会を知るための素材やきっかけにすることは可能であるし、必要なことではないのか。(p.8)

    敗戦の年に44歳だった渡辺一夫がフランス語でしたためていた日記(子息が日本語に訳し『敗戦日記』として公刊)に言及して、澤地は、守りぬかれた「希望」のかけらをそこに読む。〈来たれ、平和よ〉という思いを。

    逃げるドイツ軍兵士たちは〈ゲシュタポに射殺され、どの死体にも「私は祖国を裏切った」という標識がつけられていた!…〉、この話をすでに戦時中に渡辺が知っていたことへの驚き。

    澤地が、自身の「棄民体験」と知人の便りを通じて知ったYさん(澤地の2つ下)の「棄民体験」を書いたところは、朝比奈あすかの大伯母・よしが語った話にも重なる(『光さす故郷へ』)。

    ▼「棄民」がどんなものか、軍隊はいかにあてにならないか、国はいかに簡単に消えてしまうか、Yさんの敗戦体験には、大人の知り得ない哀れな苦しみが巧まず表現されている。(p.13)

    そして、新しい時代へのとまどい、レッドパージ、政治の季節─出版社に勤めながら夜学で大学へ通った澤地のたどった戦後が書かれる。

    "Freedom for the thought that we hate"─Judeg Holmes
    1960年代、手帖の扉に、澤地は毎年このホウムズ判事の言葉を記したという。自分たちが憎む思想の自由、どんな言論であろうとも、その自由は守られねばならないと、骨身にしみるように思っていた、自戒のために毎年手帖の扉に書きついでいた、という。

    自分たちが憎む思想は、排斥し、否定する、そんな雰囲気をこのごろ「どちらの側にも」感じる。澤地が30代のころに毎年書きつけたという言葉とともに、巻頭に置かれたこの言葉をこころに刻みたく思った。

    夢みる勇気のない者には、たたかう力はない

    (11/19了)

  • 夢見る勇気がない者には、戦う力はない。
    朝鮮戦争でアメリカ軍の最前線にいるのは、黒人兵。
    事件が起きて死会ったら、テロによっても変わらない、不動の姿勢を守る。揺るがぬことを内外に示し続ける。それがテロに対する最も効果のある対応、回答であろう。
    戦う力をもつために、夢を理想を描き、そこに希望の種子をまき、互いに水を注いでいきたい。

  • サブタイトルは<私のたどった戦後>

     旧東ベルリン市。フィルム公文書館に勤める一人住まいのエ デット・ヴェッヒヤーを訪ねた澤地久枝は,その廊下で<夢みる 勇気のない者には、たたかう力はない>という言葉を見た。

     澤地久枝は「わかちがたい<希望と勇気>を確かで実感のあるものにするのは、それを求める人間の,意志といとなみなのだ。
    <九条の会>の呼びかけ人になって三年半が過ぎた。
    わたしの立場は,
    自衛隊を憲法違反の存在とし,
    日米安保条約の平和条約への変更,
    全在日米軍の撤退。
    つまり憲法本来の原点へかえしたい,というもの。」と立場を鮮明にする。

     で、それは何故か。実は澤地久枝の過去の経歴がそれを生んだといえるだろう。(以下主として,フリー百科事典『ウィキペディア『Wikipedia』による』

     澤地久枝は1930年9月3日東京に生まれる。幼少時に父親の仕事の関係から旧満州へ移住、1945年、吉林で敗戦を迎え以後1年間の筆紙に尽くし難い難民生活の後に,日本に引き揚げた。

     1949年、旧制女学校卒業(高校二年終了)と同時に中央公論社に入社し同社経理部で働きながら、定時制高校最終学年卒業,早稲田大学第二文学部に学ぶ。在学中、学生運動を通じて知り合った男性と結婚。早大二文卒業後、優れた能力を買われて『婦人公論』編集部へ移り将来の編集長と目されていたが1963年、編集次長を最後に退社。

     このとき五味川純平に手をさしのべられ、五味川に資料助手として雇われ『戦争と人間』の脚注を担当。

     1972年の『妻たちの二・二六事件』以後本格的に執筆を開始し、『密約』『烙印の女たち』『あなたに似たひと』『昭和・遠い日近いひと』『わが人生の案内人』『道づれは好奇心』などを執筆。
    『火はわが胸中にあり』で第5回日本ノンフィクション賞、『昭和史のおんな』で第41回文藝春秋読者賞を受賞。
    『滄海よ眠れ』『記録 ミッドウェー海戦』で第34回菊池寛賞を受賞した。
    この2作品ではミッドウェー海戦の日米双方の全戦没者を特定するという前例のない作業に取り組み、完成させている。

     また『滄海よ眠れ』執筆の副産物として、現存しないといわれていたミッドウェー海戦の日本海軍による戦闘詳報(「第一航空艦隊戦闘詳報」)の写しが残っていることを確認し、半藤一利の助力も得てこの海戦の経過に関する議論(いわゆる「運命の5分間」やその遠因となった兵装転換指示)に一石を投じることになった。

    『雪はよごれていた』では二・二六事件の軍法会議の裁判官であった匂坂春平の残した裁判記録をもとに、事件をめぐる陸軍内部の駆け引きを描き出している。

    「戦争へと至った昭和史の実相に迫るノンフィクションを著した業績」にたいして、2008年度朝日賞受賞。

     著者はこの厳しい時代の波の中で、少女から立派なすぐれた女性に変貌していく。その経歴を書き綴り,それがまた日本の戦中戦後を生きた女たちの記録とも重なっていることだろう。

    最後に著者はこう記す。
     「希望と勇気とは、ふたつわかちがたいものとして、あなたにも、わたしにもある。たたかう力をもつために、夢を,理想を描き,そこに希望の種子をまき、たがいに水を注いでゆきたい」と。

  • 戦争はただ誰かを傷つけるだけで何一ついいことはないと思う。普通に生きている多くのひと達が亡くなってほんとに悲しいとおもいました。自分が戦争時代に生まれていたら、絶対にがんばれないと思いました。なので、この時代に生まれた人たちはほんとにすごい人なんだとおもいました。私ももっともっと強く生きないといけないと思いました。

  • 10年近く前だがとある出版社でアルバイトしていた時、お会いしたことがある。
    インタビューで自衛隊に反対するというような内容が載ったら
    「地震が起きた時も自衛隊には助けていただかなくて結構ですと書いたバッチを付けてろ!」みたいな抗議の葉書が来たのが印象的。
    そうそう、チンピラ右翼のおっちゃんも酔っ払ったついでに日曜日に乗り込んできたのよねえ。幸いにもそのときは、いなかったけど。

    なんか懐かしいなあって思いながら手に取った本だけど、読んで良かった!
    アタクシは、自衛隊はあるべきだと思うから、その点だけ澤地先生とは違うけど
    本書にも記されていた通り、
    「貴方のいうことには、一言も賛成できることはないが
    貴方にそれを言う権利があることは、死を賭しても守るつもりです」Byヴォルテール
    だもんねえ〜♪

    Yさんが夜間中学で必死に字を覚え
    澤地先生に向けて書いた手紙には胸が締め付けられる思いだった。
    そのような人がいることを知っておかなくてはならない。

    今でも愛読の婦人公論だけど、澤地先生がいらした頃はかなりすごかったのねえ。
    アタクシが大学生の時までは、わりと御堅い雑誌だったけど
    A4の判型になってから、俗っぽすぎ。

    1960年代の澤地先生の手帖にはこう記されている。
    Freedom for the thought that we hate
    我々が憎んでいるその思想の自由

    澤地先生の経験をほんのちょっとだけでも知ることができて
    本当に良かった。平和ボケを少しは修正できたかも。

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著者プロフィール

澤地久枝(さわち・ひさえ):1930年、東京生まれ。その後、家族と共に満洲に渡る。ノンフィクション作家。1949年中央公論社に入社。在社中に早稲田大学第二文学部を卒業。著書に『妻たちの二・二六事件』『火はわが胸中にあり』『14歳〈フォーティーン〉』『昭和とわたし』など多数。『滄海よ眠れ』『記録ミッドウェー海戦』でミッドウェー海戦を克明に跡づけるとともに、日米の戦死者を掘り起こした功績により菊池寛賞受賞。2008年朝日賞受賞。

「2023年 『記録 ミッドウェー海戦』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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