世界史の構造 (岩波現代文庫 文芸 323)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000236935

作品紹介・あらすじ

資本=ネーション=国家が世界を覆い尽くした現在、私たちはどんな未来も構想し得ないでいる。しかし本書は、世界史を交換様式の観点から根本的にとらえ直し、人類社会の秘められた次元を浮かび上がらせることで、私たちの前に未来に対する想像力と実践の領域を切り開いて見せた。『トランスクリティーク』以後十余年の思索の到達点。

感想・レビュー・書評

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  • ずっと読めないでいたが、ようやく読了。面白い本だった。

    こういうジェネラリストによる総合的な書物、歯ごたえのある書物は読んでいて本当に楽しい。政治学、経済学、哲学、そして歴史学など多様な視点をマルクス、カント、ヘーゲルを中心に細かく、そして総合的に検証している。マルクスと資本論に対する誤解も丁寧に歴史的に検証している。

    文章は精緻で丁寧でとても読みやすい.60年代〜80年代に流行った思わせぶり、知識人的な文章でないのが好感を持てる。

    マルクスのいった資本の格差が国内ではなく、外国との差異によって生じ続けているというのはその通り。でも、中国はその格差を利用して、貧しさを克服した。格差は拡大したけど、まえの中国に戻りたいという人は少数だろう。日本も同様。今の格差社会を乗ろう人は多いが、かといって戦後まもない貧しい時代に戻るのはできない相談だ。今後はミャンマーやベトナムが同じような経路をたどるだろう。中国が肩入れするアフリカ諸国も同様だろう。

    いずれにしても、人間の道徳心は距離に依存しているとぼくは考えるので(時間、空間、感情的な距離)、道徳心を基盤に世界平和を具現化するのは困難だと思う。ツイッターなどのソシアルメディアでたしかに世界はより狭くなったが、シリアやミャンマーに強いシンパシーを抱くのは日本人でも少数派だろう。情報はあっても気持ちは乗らないのだ(善し悪しは別にして)。

    カントの贈与の精神は個人の心構えとしてはよいと思うが、未来予測としてはあまりにナイーブな考えで、それを裏づけたり支持する根拠はない。演繹とイデオロギーばかりで、帰納的な検証も実例もなく、演繹とイデオロギーばかりだとしばしば間違えるのはこれまでの歴史が示した通りだ。このへんが、観念先走りのきらいもなくはない。

  • 国家は多数の都市国家や部族共同体を軍事的に従属させることで成立する。
    しかし、軍事的な制服や強制だけでは安定した
    永続的体制を作ることができない。
    支配者に対する貢納や奉仕を、支配者の側からの贈与に
    対する被支配者の返礼というかたちにしてしまう必要がある。

    それが宗教の役割である。故に、このような宗教は国家の
    イデオロギー装置である。
    被支配者は、神に自発的に服従し祈願することによって
    助けを得ようとするその神は、王=祭司の手に握られている。
    神への祈願は王=祭司への祈願である。
     
     ゆえに、宗教的な位相をみないと、氏族的共同体が国家に
    転化していくプロセスを理解できない。
    それは宗教がまさに「交換」という経済的次元に根ざしている
    からだ。宗教と政治・経済は不可分離である。
    たとえば、国家の神殿は供出物を備蓄し再配分する倉庫でもあった。
    読み書きに堪能な祭司階層は同時に、国家の官僚階層
    でもあった。また、天文学や土木工学を発展させた科学者でもあった。
    「呪術から宗教へ」の発展とは、氏族社会から国家への
    発展にほかならない。それに関して、ウェーバーもこう述べている。
    呪術師はどこでも先ず雨乞い祈祷師であるが、
    メソポタミアのように国家による灌漑農業がおこなわれるところでは
    呪術師はもはや機能しない。収穫をもたらすのは、水を引いてくる
    灌漑施設を造る国王であるとみなされる、ゆえに、
    国王は絶対視される。国王は、荒漠たる砂の中から
    収穫をもたらす。世界を「無から創りだす」神という観念の一源泉はそこにあると
    ウェーバーはいうのである。

    しかし、このような神は真に超越的な神ではない。
    なぜなら、この神は人の祈願=贈与に応えられたないならば
    人に棄てられるからだ。具体的にいえば、共同体や国家
    の神は、戦争に負ければ棄てられる。つまり、ここでは。
    神と人間の関係の互酬性が残っているのである。
    その意味で、呪術的なものが残存する。普遍宗教が出現するのは、
    いわば、祈願に対して応じなくても棄てられない神、
    戦争に負けても棄てられない神が出現するときである。
    それはいかにして生じたのか。(P193)


    ヘーゲルによれば、議会の使命とは、市民社会の合意
    を得るとともに、市民社会を政治的に陶冶し、人々への知識と尊重
    を強化することにある。いいかえれば、議会は、人々の
    意見によって国家の政策を決めていく場ではなく
    官史たちによる判断を人々に知らせ、まるで彼ら自身が決めた
    ことであるかのように思わせる場なのである。(P257)

    プルードンもまた、資本は個々の労働者が集団的に働くことで
    実現した「集合力」に対しては支払わない、ゆえに、「財産は盗みだ」
    と主張した。

    フランス革命において「友愛」とよばれたものは、スミスが
    共感あるいは同類感情と読んだものと同じである。
    友愛という観念はもともとキリスト教的な起源をもつ。
    しかし、スミスのいう共感が宗教的憐憫と違って
    利己心が承認される状態にこそ生じるように、この時期の
    友愛はキリスト教的な観念とは似て非なるものである。
    友愛は、フランス革命における、職人的労働者たちの
    アソシエーションの表現であった。しかし、友愛は
    フランス革命の過程でネーションに吸収されていった。
    具体的にいえば、革命防衛戦争、さらに、ナポレオンの下で、
    ナショナリズムに転化していったのである。

     その後、「友愛」は初期社会主義の中に復活した。だが。
    友愛はいつもナショナリズムとつながる傾向がある。
    初期社会主義の中で最も影響力をもったのは、
    サン=シモン主義である。それは国家による産業の発展と
    社会問題の解決を同時にはかるものであった。
    しかし、それもやはりナショナリズムに帰着した、社会主義的な
    色彩をもったナショナリズムに。
    たとえば、ルイ・ボナパルトはサン=シモン主義者であったし、
    プロイセンのビスマルクも、ドイツ版のサン=シモン主義者である
    ラッサールの親友であった。したがって、
    プルードンが社会主義に友愛という契機をもちこむことを
    拒否するうところからはじめたのは、重要なことである。

     (P329)

     哲学史においては、カントが感性と悟性の二元論に固執し
    ロマン派がそれを乗り越えたということになっている。しかし、
    カントは二元性を肯定したわけではない。感性と悟性の分裂
    ということは、具体的にいうと、ひとが自分でそう考えている
    のとは違ったあり方を現にしているということである。
    たとえば、資本制社会では誰でも平等だと考えられているが、
    現実には不平等である。とすれば、悟性と感性の分裂が現にある
    わけだ。その分裂を想像力によって越えようとするとき、
    文学作品が生まれる。そのような文学による現実の乗り越えが
    「想像的」なものだということは、誰も否定しないだろう。
    感性ー悟性ー想像力


    (P351)

    ここで一言いっておく。今日歴史の理念を嘲笑する
    ポストモダニストの多くは、かつて「構成的理念」を信じた
    マルクス=レーニン主義者であり、そのような理念
    に傷ついて、理念一般を否定し、シニシズムやニヒリズムに
    逃げ込んた者たちである。
    しかし、かれらが、社会主義は幻想だ、大きな物語にすぎない
    といったところで、世界資本主義がもたらす悲惨な現実
    に生きているひとたちにとっては、それではすまない。

  • マルクスは生産様式の観点から世界史の発展を考えたが、著者は本書で、世界史を交換様式の観点から根本的にとらえ直そうと試みている。その上で、現在支配的な「資本=ネーション=ステート」を越える道筋を示そうとしている。
    とても重厚な内容で読みこなせたとはとてもいえないが、交換様式に着目し、歴史を必ずしも発展過程と捉えない本書の内容は、生産様式に着目し、歴史を共産主義への不可避的な発展的な過程と考えるいわゆるマルクス主義歴史学よりも、自分にはかなりしっくりきた。ただ、「資本=ネーション=ステート」に替わりうるものについての展望(諸国家連邦など)は、けっして実現されることはないが、われわれがそれに近づこうと努めるような指標である「統整的理念」であるということわりは述べられているものの、あまり納得感を得ることができなかった。資本への対抗運動として、生産よりも消費に着目すべきとし、協同組合の可能性について指摘した部分については、なかなか示唆的だと感じた。

  • 借りたけど積んどく

  • がんばったけど、最後の最後で飽きた。

  • 此れは好いもので、余り言う事は無い。言うとすれば、これでは吉本隆明への批判には成ってないよ、と云う至極些細などうでもいいことは残しておく。ひとつ、〈交換様式D〉なる純粋贈与に関する考えに就いては、糞味噌に言っておきたいが、それくらいで、特に妙なところもない。
    この程度のことは10年も20年も前に、あんなちんけな事をやっていないで、さっさとやればよかったのだ、と云う位いのことは思うが、実物を前にしてそんな意味もない。
    http://c4se.hatenablog.com/entry/2012/09/14/203227

  •  世界史の構造を交換手段の観点から捉え直すという試み。マルクスが生産手段から世界史を分析したのとは対照的である。交換手段とは、
    ・互酬(共同寄託)
    ・強奪
    ・売買
    ・社会主義
    である。これら4つのうち、主に前者3つによって歴史が動いてきたと論ずるのである。

    しかし、マルクス主義者ほぼ全員に共通する謬識として、剰余価値がどこから発生するかについての決定的な誤りがあるためにその論は主に資本主義社会の未来について、といえば国家および世界の未来についての分析を誤っている。

     著者が剰余価値が生産過程では無く交換過程で発生すると捉えるのは従来のマルクス主義者と違ってやや前進であるが、やはり正確では無い。剰余価値は交換過程で発生するのでは無く、実現するのである。発生過程はあくまで剰余価値の発露であって、源では無い。

     では剰余価値はどのようにして発生し、蓄積されるかと言えばそれは貨幣の交換価値と蓄積手段という部分に着目しなければならない。まずは剰余価値は仮象としては太陽エネルギーを生物代謝機能によって、食物以外の欲求という形で分散されることに由来する。

     動物は労働力商品を提供することが出来るが、その報酬として餌しか求めないという点において資本主義社会では剰余価値を過小にしかもたらさない。なぜなら、食物が有する反エントロピーエネルギーは膨大であるが、それは動物の労働力では十分に移行し得ないからである。食物のエネルギーをただ消費してそれを蓄積することも無いままにエントロピーとして拡散してしまう。

     人間だけが剰余価値を生み出し、拡大させることが出来る。それは食欲や性欲以外の様々な欲求、効用を有することによって、食物エネルギーを様々な形で取り出すことが出来るからである。そして取り出したエネルギーは交換過程を以て貨幣という形で全てでは無いが移行、蓄積できる。

     となれば、剰余価値の拡大のためには様々な効用の担い手として、言い換えれば太陽エネルギーの電池としての多くの人間がいればいるほど有利である。人間は太陽エネルギーのダムである。

     ただ誤解してはいけないのは、資本主義にとって市場の拡大は剰余価値の拡大の物理的要因でしかありえず、たとえ市場は拡大しなくても剰余価値は発生し、蓄積される。つまり資本主義はその存在条件として市場の拡大を必要としない。これが著者が分析する、資本市場は剰余価値の蓄積のために市場の拡大を前提とする故に究極的に行き詰まると結論づけるのとは大いに異なることである。

     もちろん世界全体が資本主義社会に移行し、成熟した場合には剰余価値の限界増加率は小さくなるだろう。しかし、それは剰余価値がそれ以上発生しないと言うことでは無い。ただ成長率が鈍化するだけである。

     また著者は資本主義のその運命故に社会的不平等が発生し、結果世界社会主義革命が起きると予想するが、資本主義はそんな不全なシステムでは無く、不平等を富の拡散過程に置いて底辺を持ち上げる機能を持つ。だから不平等は存在する、しかしそれは絶えず底辺が持ち上げられることにより貧困は解決する。不平等が問題なのでは無く、全体がかさ上げされることによって、階級による不平等の問題が無意味になるのである。

  • 政治・経済の歴史を詳細に検証した上で現在の世界の変革を促らすー!!

  • 資本主義が行き詰っている、そんな当たり前のことを極めて理論的に再認識させてくれる快著!僕らが建設すべき未来は、本書が明るみにした社会の構造を十全に踏まえることからしか切り開けないと思う。

  • 名著

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著者プロフィール

1941年兵庫県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学大学院英文学修士課程修了。法政大学教授、近畿大学教授、コロンビア大学客員教授を歴任。1991年から2002年まで季刊誌『批評空間』を編集。著書に『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(作品社 2021)、『世界史の構造』(岩波現代文庫 2015)、『トランスクリティーク』(岩波現代文庫 2010)他多数。

「2022年 『談 no.123』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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