- Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000238861
作品紹介・あらすじ
一八八九年四月-二〇世紀の世界で、もっとも愛された男ともっとも憎まれた男が、わずか四日違いで誕生した。やがて、二人の才能と思想は、歴史の流れの中で、巨大なうねりとなって激突する。知られざる資料を駆使し、映画『独裁者』をめぐるメディア戦争の実相をスリリングに描く!
感想・レビュー・書評
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知らなかったのですが
チャップリンとヒトラーは
4日違いに生まれたそうです。
同じ歳 同じ星座でも
こんなにも 性格が違うのですね~~(まぁ当たり前ですが)
見た事がありませんが
「独裁者」という映画を作ったのが 第二次大戦の頃とはとても驚きです。
戦時中にこのような映画を作るとは。
日本に来た時も 暗殺されそうになったチャップリンですが この「独裁者」という映画を作る事で 暗殺されそうになったそうです。
命をかけてまで 作った映画。
一度は見ないといけませんね。
ラストの 演説のシーンは you tubeなどでも見られます詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
図書館で借りた。
これは、よくできた本だね。いっぱい付箋貼りながら読ませてもらった。
チャップリンとヒトラー。
チョビ髭という共通点しかないこの二人が、同じ時代を、別々の場所で生き、ファシズムとコメディーというまるで異なる武器で闘った記録。
フランツ・カフカもプラハで、チャップリン映画の上映を待ちわびていた。
p.23
チャップリンは世界旅行中に、ヨーロッパにおける通貨統合の必要性を訴えてた。
p.32
・・・・すごい先見性にビックリ。
1931年、ロンドンで、チャップリンはガンディーと機械文明について論争してる。
チャップリンは機械文明を、人類を幸福にするものとして肯定的に論じ、ガンディーは、それが人類を不幸にしたと否定的に論じた。
しかし、その後、チャップリンは『モダン・タイムズ』で、機械文明の否定的な側面を描いた。これは、ガンディーの影響かもしれない。
p.38
オレも、チャップリンはユダヤ人だと誤解してたんだけど、違う。
それにしても、チャップリンというのはスゴイ人物だったんだと改めて感心した。
アメリカ人も、反ユダヤ主義者が多くて、ヒトラーの支持者が多く、チャップリンの『独裁者』製作時に様々な脅迫、嫌がらせ、圧力をかけてくるんだけど、まったく屈せずに、作品を仕上げるチャップリンの闘争心がすごい。
メディアがメッセージである。 p.251
チャップリンはそれを知り抜いていた。
チャップリンは「warmonger戦争扇動者」という言葉をもじって「peacemonger平和扇動者」という言葉を作って使った。
平和を唱えたところで、戦争扇動者には勝てない。
ならば、平和を煽れば良い。
p.260
「私は国家主義者ではなく国際主義者です。だから市民権をとらないのです」
コメディとペーソスは密接に結びついていて両者を分けることはできません。多くの人から「どうやって痛ましさや人々の苦しみからコメディをつくれるのだ?どうやって世界の最も大きな悲劇を笑うことができるのだ?」と聞かれます。私はこう説明します。
私たちが生き延びることができる唯一の方法は、私たちの困難を笑うことなのです、と。
p.229
すごく、良い言葉だね。
これって、ニーチェも同じことを言っていたよね?????
それから又吉も、太宰の小説は暗くて絶望的だけど、見方を変えれば、マヌケすぎて笑える、って話してた。実際、彼は太宰のペーソスをコメディーに変換する。
チャップリンは哲学者でもある。
彼は、天才コメディアンであり、優れたミュージシャンであり、平和の扇動家であり、誰よりも、実際に闘い抜いた人だった。 -
“私は独裁者たちの人生についての喜劇映画を作る。それが、世界中にとても健康的な笑いを生み出すだろうことを望んでいる。”(p.125)チャールズ・チャップリン
わずか4日違いで生まれた、喜劇王チャップリンと独裁者ヒトラー。一見全く違う2人にはある共通点があった。特徴的なちょび髭と、メディアを自在に操る天才的な力である。
チャップリンは全体主義の危険性を、それが形成されつつある初期の段階から見抜いていた。全体主義化に警鐘を鳴らすべく製作に取り掛かった『独裁者』だが、
反ナチス、反ファシズムを題材にした映画の製作に対し、ドイツの同盟国をはじめ多くの国から反対の声が上がる。
そのような状況で自らの信念を曲げずに映画制作を進めたチャップリンの姿が勇ましい。
チャップリンがここまで映画というメディアでの表現に命を燃やしていた人物だったのかということに驚いた。
著者は日本チャップリン協会会長であり、チャップリンが歩んだ経歴や『独裁者』以前の作品でのエピソードなども書かれていてとても読み応えがあった。 -
右にヒトラー、左にチャップリンを配した表紙絵が印象的である。
映画『独裁者』(The Great Dictator)が公開された1940年のイギリスの雑誌("All Family News Magazine")の表紙絵である。
片や、20世紀最大の恐怖の独裁者、片や、数々の不朽の名作を生んだ喜劇王。
実はこの2人、1889年4月、わずか4日違いで誕生している。
長じて似たようなチョビ髭を生やした2人だが、その生涯が非常に異なることは周知のとおりである。
本作では、映画『独裁者』を軸に、チャーリー・チャップリンがアドルフ・ヒトラーに挑んだ「闘い」に迫る。
チャップリンが監督・主演した『独裁者』というのはなかなか独特の映画である。
喜劇でありながら独裁体制を鋭く批判する。どこか薄ら寒い狂気を孕みながら、全体は笑いに包まれる。
架空の国、トメイニアの政治家ヒンケルと、ユダヤ人の床屋(チャップリン2役)は、運命のいたずらで風貌がそっくりである。
床屋は戦争に駆り出され、負傷の末、記憶喪失となって故国に帰る。人々は彼を温かく迎え、彼はそのうちの1人、ハンナに恋心を抱く。
一方、ヒンケルは政変に乗じて独裁政権を打ち立て、国民の不満をそらそうとユダヤ人迫害を行う。
ヒンケルの側近シュルツは悪政をいさめるが逆に解任される。戦場で彼と知り合っていた床屋はシュルツをかくまう。ヒンケル暗殺を企てるもうまくいかず、床屋とシュルツは突撃隊に捕まって収容所に送られ、ハンナは隣人らと隣国オスタリッチに逃げる。
別の隣国バクテリアでも独裁者ナパローニが誕生しており、ヒンケルとは腹の探り合いである。互いにオスタリッチを侵略しようとしている。
床屋とシュルツは収容所を脱走、オスタリッチを目指すが、国境で警備隊に捕まる。だが、警備隊は床屋をヒンケルと間違える。「独裁者」に成り代わった床屋は、大群衆の前で演説をすることになる。
冒頭の戦場での塹壕シーン、飛行機が逆さになるシーン、逃げようとする床屋が屋上から突き出た角材から荷物をぼろぼろ落とすシーンと、チャップリンお得意のドタバタ喜劇シーンも満載なのだが、出色はヒンケルが風船状の地球儀と戯れるシーンだ。世界を手にしようとする独裁者、その夢は儚くも潰えることが、これほど美しく悲しく怖ろしく暗示されたシーンは二つとないだろう。
名指しこそしていないが、この映画が誰を批判しようとしているのかは明らかである。
ナチスがこれを手放しで許すはずもなかった。
今でこそナチズムの怖ろしさは知られているが、当時は躍進するドイツに好意的な目もあった。構想されたのは1939年。ユダヤ人への迫害もいわゆる最終解決の段階には至っておらず、絶滅収容所の惨状が知られるのははるかに後のことである。
映画の企画段階から、ナチス・ドイツや同盟国イタリアによる罵詈雑言のイメージ戦略だけでなく、チャップリンの母国であるイギリスからも圧力がかかった。制作を進めていたアメリカでも中止を促す動きがあった。脅迫の手紙も多数届いた。
しかし、チャップリンは制作を頑としてあきらめなかった。
本書では、チャップリン家に残された膨大な資料から、制作の裏側を追う。
その過程で明らかになってくるのが、妥協を許さなかったチャップリンの姿である。何度も何度も構想を練り直し、既に撮影したシーンであっても作品にそぐわないと判断すればカットし、実に周到に丹念に作品を作り上げていったのである。ヒンケルの出鱈目ドイツ語演説の部分は、一般的には日本語字幕が付かないが、背景にはきちんと意味がある。このあたりの分析も非常におもしろい。
チャップリンは、最後の最後まで、作品の完成度を高めようとしていたのだ。イデオロギー映画でもプロパガンダ映画でもなく、1つの喜劇映画として。
チャップリンは資料映像として、ヒトラーの記録映画を何度も何度も見ては、独裁者としてふるまうヒトラーの「役者ぶり」に感嘆していたという。
チャップリン自身、ヒンケルの扮装をすると人格が変わるようだったという証言がある。息子によれば、チャップリンはヒトラーについて「半分は恐怖、半分はなんだかひきつけられる思い」を抱いていたという。
「ちょっと考えてみろよ。彼は気違いだよ。私は喜劇役者だ。しかしその反対になっていたかも知れないのだよ」
この言葉はなかなか含蓄深い。
映画は床屋の演説で締めくくられる。
本書もこれを引いて結ばれる。
数々の映画でその姿を知られた小さな「チャーリー」が、床屋であるのに独裁者と間違えられたその男が、実に愚直に理想を語る。額からは汗が噴き出る。
その姿が、徐々に喜劇王チャップリンの素の顔に見えてくる。
「全体主義」という狂気に立ち向かうために、1人の小男が選んだ武器は「笑い」だったのだ。
著者は、研究者でもあるが劇作家でもあり、日本チャップリン協会会長でもある。
チャップリン愛に満ちた1冊。
読めば『独裁者』を見直したくなること必定である。 -
チャップリンの映画『独裁者』を端的に表現したカバ-イラストに目を惹きつけられる、日本チャップリン協会会長の著作です。チャップリン(イギリス生まれ)とアドルフ・ヒトラー(オーストリア生まれ)は僅か4日違いで生まれ、ともに芸術家志望という共通点がありましたが、欧州制覇の野望に燃えた独裁者ヒトラ-に勝利したのは、チャップリンのユ-モアでありました。1940年製作の映画『独裁者』をめぐる隠された逸話の数々が披露されており、映画ファンには大へん興味深い読み物です。日本初公開は戦後15年経過した1960年でした。
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生年月日が数日違いの喜劇王と独裁者。映画『独裁者』をめぐる戦い。メディアの力の強さ、恐さをを知る者。
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同年に生まれた喜劇王チャップリンとヒトラーは、世界に対する表現行動から見ると対照的であった。本書は、主にチャップリンの『独裁者』が生まれるまでの創作過程を綿密に追うことで描いている。20世紀の2つの大戦をつなぐ時代にキャリアの成長期を経験した二人は、自分が世界に何をもたらしうるかについて、深く考え、実際に大きな影響を及ぼしたわけだが、そのベクトルは異なる向きであり、表現活動は対立せざるをえなかった。
本書は、最近「どこまで言って委員会」で露出の増えた大野氏の、芸術創造に関する学術の香りが漂う力作だと思う。クリエーターという人種が、一つの作品を作るためにどれだけ熟考を重ね推敲を繰り返し努力するものなのか、というのが手にとるようにわかる。 -
最近、軽めの本ばかり読んでいましたが、こちらはいろんな意味で、ずっしりと読み応えがありました。何度も確認しながら、ゆっくりと読みました。
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ヒトラーとチャップリン。
恥ずかしながらわたくし、どちらもほとんど知りません(恥)。
ヒトラーは学生時代、授業で習ったっけ???というほど(テストに出る歴史的事実以外は)知らない。(恥。涙)。
手塚治虫の「アドルフに告ぐ」のヒトラーのイメージでしかありません。
チャップリンは、大学1年生、とある教授のゼミにお邪魔したとき、話しの流れで、映画を見せていただいたことがあります(多分「モダン・タイムズ。」)近代化の光と闇、みたいな話でした。
・・・ただそれだけです。観たのって。
なので、「独裁者」は観ていません。
(10代のころ、テレビでラストの演説だけチラリと見たことがありますが、ただ退屈なだけでした。
今、この本を読んだ後に観たら、また違った気持ちになれるかもしれません。)
必ず探して観なくては!と思いました。
一番驚きなのは、まさにヒトラーが権力に上り詰めているそのとき、チャップリンはこの映画を作成した。
ということでした。
世相、チャップリン、ヒトラー。様々な資料を読みながら
歴史を「眺める」ことができます。このまま映画になり得そう。
全然関係ない映画ですが「戦場のピアニスト」をもう一度観たくなりました。生きることに、勇気を与えてくれますよね。
良書です。時間があるときに、じっくり読むことをおススメします。(通勤の合間に読むのはおススメしない本です。休日に、じっくり読むことをおススメします) -
イソップの「北風と太陽」を
思った
今でも
ドイツ、フランス、ポーーランド、イタリア
の 国々から
第二次世界大戦をテーマとする映画が
産み出されている
つい先日も
「パリよ、永遠に」(独、仏 共同製作)を
観たばかりだ
反戦 とか
非戦 とか
むろん みんな いわずもがな
のことである
声高に叫ぶのではなく
淡々とその抵抗の事実を学ぶ
その 手法に 学びたい
ユーモアという戦争に対する
最大の武器を見事に
その人生の一部に織り込んだ
チャップリンに
あらためて敬意を表したい
こんなすてきな作品を
著した大野さんにも
むろん 敬意を表したい -
愛国心は恐ろしいものである
映像は編集などが入る以上どうしても毒になり得る⇒だからこそ受け身で信じるのではなく能動的に参与しなくてはならない