- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000240406
作品紹介・あらすじ
アテネのデモクラシーは、自由ゆえに平等であった古代イオニアのイソノミア(無支配)の成功しなかった再建の企てであった。滅びゆくイソノミアを記憶し保持するものとしてイオニアの自然哲学を読み直し、アテネ中心主義的に形成されたデモクラシーの神話を解体する。『世界史の構造』を経て初めてなった政治的想像力のみずみずしい刷新。
感想・レビュー・書評
-
社会構成体の歴史を見るとき、マルクスの所謂「生産様式」から見ていく見方では理解することが難しかった近代以前の社会や宗教、ネーションといった上部構造とのつながりが、同じく経済的土台である「交換様式」という観点から見ればよく分かるのではないか、というのが先に上梓された『世界史の構造』で、柄谷が提起した問題であった。
柄谷が主張する交換様式には四つのタイプがあり、「A贈与の互酬、B支配と保護、C商品交換、およびそれらを越える何かとしてのD」がそれである。家族や共同体内部の交換であるAや、税や兵役の代わりに保護を受ける国家と個人の交換様式であるB、さらにCの商品交換と比べ、ある意味抽象的なDには説明が必要だろう。柄谷によれば、「交換様式Dとは、交換様式BとCが支配的となった段階でそれらによって抑圧された交換様式Aが回帰したもの」である。ただ、それはAあるいは共同体のたんなる回復ではなく、Aを一度否定した上で高次元で回復したものとしてある。いいかえればそれは普遍宗教として到来するのである。
紀元前五、六世紀ごろ、イスラエルにエゼキエルをはじめとする預言者が、イオニアに賢人タレスが、インドに仏陀、中国に孔子や老子があらわれた。この同時代的平行性には驚くべきものがある。普遍宗教成立に到るこの不思議をマルクスの「生産様式」の変化という観点では説明できない。仏陀や老子は古代社会の転換期に出現した自由思想家であった。後に宗教的開祖と目されるようになったが彼らは自由思想家と考えるべきではないか。交換様式Dなるものは、宗教というかたちでしか現れることはできないのだろうか。それについて、ほぼ同時代にイオニア地方の都市国家に出現した自由思想家およびそれを受け継いだ一群の思想家について、改めて考察を試みたのが『世界史の構造』の続編ともいえる『哲学の起源』である。
プラトン、アリストテレス以来、哲学の起源はアテネとされ、イオニアは単なるその萌芽でしかなかったと考えられているが、それはちがう。アルファベットもホメロスの作品も貨幣の鋳造も、みなイオニアで始まった。アジア全域の科学技術、宗教、思想が海外交易とともにイオニアに集まってきたからだ。ただ、イオニアは、アジアのシステムにあった官僚制や常備軍、価格統制は持ち込まなかった。
イオニアの政治形態を表す言葉はイソノミア(無支配)である。アテネに始まるといわれる民主主義(デモクラシー)が、氏族的伝統を濃厚に留めた盟約連合体として形成されたポリスを基盤にしたため、階級対立や不平等を払拭できず、多数決原理に基づくデモクラシーという支配体制をとらざるを得なかったのに対し、それまでの特権や盟約を放棄した植民者によって形成されたポリスであるイオニア諸都市では、伝統的な支配から自由であり、経済的にも平等であった。ただ軍事に長けていなかったイオニアはペルシャに敗北してしまう。イオニア出身の思想家たちは、他国によって支配された後、他のポリスに赴き、彼らの思想を実際の政治に生かした。ピタゴラス、ヘラクレイトス、パルメニデスといった錚々たる顔ぶれが登場し、彼らの哲学がどんなもので、それがなぜそのようなかたちをとらねばならなかったかを、彼らが暮らしていた都市の政治形態、たとえば奴隷制の有無や僭主制、軍の構成員といった視点から読み解いていく。
哲学という一見難解になりがちな話題をとりあげながら、きわめて平易な語り口で、時には人口に膾炙した哲人、賢人たちの逸話もまじえながら、生き生きとした人物像をつくりあげている。特に、ソクラテスについては一章を割き、プラトンによって捻じ曲げられたその思想、生き方をすくい取って見せる。マルクス、フロイト、カントといった柄谷にとって馴染みとなった解析格子を駆使し、ヘーゲルの誤りをつき、イオニア哲学の精華がいかにしてソクラテスの中に胚胎したかを解き明かす。かつて『探究』を読んだときの興奮を久しぶりに思い出した。
現実の社会は国の内外を問わず混迷を深め、何時その抑圧されたものが回帰しても不思議ではない様相を呈している。このようなときだからこそ大きなパースペクティヴで世界を見る必要があるだろう。蒙を啓く一助になる一冊。「起源」好きの著者ならではの表題と、その出版社から専門書のようにとられる恐れがあるので、蛇足ながら付言しておくが、これは専門書ではない。もともとは月刊文芸誌に連載したものを単行本化したものである。気軽に手にとって読んでほしい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
柄谷行人が、後期代表作とも言える『世界史の構造』を書くにあたって調べた古代イオニアの思想について、『世界史の構造』では書ききれなかった内容をまとめたのが本書『哲学の起源』である。柄谷が古代ギリシアの民主主義についてある種の理想形として深い共感を抱いていたことは、かつて立ち上げたNAM (New Associationist Movement)において、イオニアの政治で採用されたくじ引き制度を採用しようとしていたことからもわかる。
『哲学の起源』とまで言って古代ギリシア時代の思想を取り上げるのであるから、ここにおいて「哲学」の再定義などがなされるのかと思い、やや肩に力を入れて読み始めた。しかし、哲学と宗教の区分は、古代においては明確ではないし、哲学と宗教という区分をカッコに入れる、とされてやや肩透かしを食わされた。しかし、イスラエルのユダヤ教、イオニアの哲学、中国の諸子百家が、世界史上でほぼ同時に勃興したことを興味深い同時性として取り上げたのでまたワクワクしてみた。結局、その理由や起源が示されているようには読めなかったのは残念。しかし、恥ずかしながらイオニアというのもどこにあったのか知らなかったし、もちろんアテネとイオニアの違いもわからなかったので勉強になった。
一方、柄谷節は健在。プラトンとソクラテスを比較して、ソクラテスがイソノミア(無支配)を目指したのに対して、プラトンはそれを転倒させて、イオニア的なものに対立するものとして使うのであるとして批判しているが、このソクラテスからプラトンという流れに対して、ソクラテスの思想の中心を独自の解釈でイソノミアに置き、プラトンをそれに対立するものとして批判することでソクラテスを立てるのは、柄谷の著作で何度か見たやり方である。これについては、フーコーまで引き合いに出して、「フーコーはプラトン的形而上学への闘争の鍵を、ソクラテスに見出したといってよい」(p.233)とまで言ってしまう。この構図は既視感があり、『トランスクリティーク』 以降におけるヘーゲルの批判と、ヘーゲルの批判対象であったカントを再評価しているのがよい例ではないだろうか。『探究I』においてフッサールなどのデカルトへの批判を無効化し、真のデカルトを称揚する身振りとも通底する。マルクスもしかり。『マルクスその可能性の中心』において、エンゲルスによって構築されたマルクス主義を批判し、『資本論』におけるマルクスの思索こそを価値あるものとして位置付けるのも同じである。そこは、柄谷節として楽しむところと納得。
柄谷によると、宗教および「哲学」についても経済と同じように交換様式によって説明できるという。このことからも、本書の意図の一つは彼の理論的構築物である、交換様式Dの精緻化かつ正当化にあると思われる。そういった意図は、老子の「無為自然」は交換様式Dを先取りしているという(本当かいな)記述からも読み取ることができる。そして、イオニアの哲学と言う場合、本論に沿って言うと、その政治形態であるイソノミアの方が重要視されているのはその理由であるように思われる。それを検証するために、交換様式Dについて触れられた箇所を見ていきたい。
「紀元前五、六世紀に起こった世界史的な「飛躍」は到底理解することができない。それらはいずれも人類史における交換様式Dの出現を画しているのである。私がイオニアに始まる「哲学」について考え直すのは、以上の理由による」
(序論 P.5)
「交換様式という観点から見ると、イオニアでは、交換様式Aおよび交換様式Bが交換様式Cによって越えられ、その上で、交換様式Aの根元にある遊動性が高次元で回復されたのである。それが交換様式D、すなわち、自由であることが平等であるようなイソノミアである。アテネのデモクラシーが現代の自由民主主義(議会制民主主義)につながっているとすれば、イオニアのイソノミアはそれを超えるようなシステムへの鍵となるはずである」(p.42)
「Dに関して重要な点は、第一にA・B・Cと異なり、想像的な次元に存在するということである。またDはたとえ想像的なものであるとしても、たんなる人間の願望や想像ではなく、むしろ人間の意志に反して生まれてくるものである。以上の点は、交換様式Dがまず普遍宗教において開示されたということを示唆するものである。」(p.236)
「交換様式Dが宗教というかたちをとることなしにあらわれることはないのか、と考えた。私はその最初の事例を、イオニアの政治と思想に見出した。」(p.241)
しかしながら、柄谷の交換様式論の肝であり、アキレス腱でもある交換様式Dについての正当性を与えることができたかはやや疑問である。やはり交換様式Dに関しては、それが現実的であろうとなかろうと過去ではなく将来に求めるべきなのだと思う。 -
イオニア的なもの。イソノミアへ
-
柄谷行人最新刊。ギリシャ哲学の起源を説きながら、実のところ民主主義批判の書。昨年読み直した佐伯啓思の「自由と民主主義をもうやめる」が右からの民主主義批判だったのと対照的に、これは左からのそれというように見立てることができましょう。「交換様式」を軸にした近年の柄谷の歴史分析は、見事。いろんな意見もありましょうが、やっぱり私はカラタニアンです…。
-
自由であることによって同時に平等であるというイソノミアの原理を軸に、ギリシア哲学を読み解く柄谷の手練に酔いしれる一編。イオニア自然哲学からパルメニデスへそしてソクラテスへと続く道を見出す読解は感動的。
-
U2
本書によれば、アテネ的“民主主義”がせいぜいデモクラシー(多数支配)にすぎなかったのに対し、イオニアでは、柄谷がよく言う交換様式Aの高次的回復、すなわち交換様式D(自由と平和の両立)がイソノミア(無支配)としてすでに実現されていたという。イオニアのポリスは出自を異にする植民者による社会契約のもとにあったからだ。いっぽう氏族的伝統の軛を逃れ得なかったアテネのポリスでは階級が分化しており、多くの者が債務奴隷へ転落し、技術(者)への蔑視も甚しかった。
自然哲学者がアルケーの探究とかいうどうでもいい思弁に汲々としていたのに対し、ソクラテスがはじめて哲学を真善美といった人間にとって本質的なテーマを問う営みに転換したのだ、というのが一般に流布する哲学史観だろうが、柄谷の見方はまったく異なる。自然哲学はイオニアにおけるイソノミア崩壊の危機に際し、その回復を志向する流れから出てきた。自然哲学者たちは表面的な人為を自明視せず、コスモポリタンとして、フィシス、つまり自然(法)の次元からノモスを捉えようとしていたのであり、その意味では自然哲学は立派な社会哲学であった。
ソクラテスについても新たな評価が与えられる。彼は自分が偶然生まれたポリスに殉じたのではない。特定のポリスにあらかじめ内属する“ナショナリスト”としてではなく、コスモポリタンな個人として、自らポリスを選び取ったのである。彼はそれまでの哲学のありかたを変更したどころか、むしろイオニア的精神を継承し、実践において徹底化しようとした人であった。 -
古代ギリシアの哲学
-
哲学の起源
-
図書館本 131-Ka63 (100120146463)