- Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000244824
感想・レビュー・書評
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黒い縮れっ毛。赤いほっぺ。元気に走り回るまっすぐな瞳の女の子。
長い長いブランコを漕いで雲に乗るオープニング映像に息を呑み、かわいいヤギたちや雄大なアルプスの自然に引き込まれる。
テレビの前で、多くの子たちが釘付けになった。
「アルプスの少女ハイジ」(1974年、全52話)は、一世を風靡した日本のテレビアニメである。
高畑勲、小田部羊一、宮崎駿といった後の巨匠たちが制作に携わったそのアニメは、今日の日本発アニメの隆盛の先駆けともなった記念碑的作品である。
ヒーローものや動物ものなどのそれまでのアニメの定番とは一線を画す、女の子が主人公の「日常」のドラマ。企画段階ではテレビ局からヒットは無理とまで言われていた。
だが蓋を開けてみれば空前の大ヒットとなった。テレビ放映から40年余り、「ハイジ」は世界各国で放送されてファンを増やし、日本でもいまだにDVDが販売され、複数の世代に親しまれている。
その誕生の舞台裏はどうであったのか。キーパーソンの遍歴や、アニメ映画の簡単な歴史も絡めて、丁寧に追った1冊である。
草創期のごった返した熱気の中で、クリエイターたちが時に激しく論を戦わせ、完成を目指して血眼になって奔走した。1人が欠けても成り立たない緊迫した現場で、作画・構成・作曲・音声、各分野の精鋭たちの才気が迸った。それは子供たちに「本物」を届けようとする、真剣勝負の場でもあった。
ハイジを世に送ったプロデューサー高橋茂人は栃木の名家の生まれである。戦時中の北京で幼少時の一時期を過ごした高橋は、欧州各国の租界で「世界」を体験する。
ケンカは滅法強く、大学では体育会系だったが、単純なヒロイズムには憧れはなかった。
後にアニメ企画会社を起こす彼が一貫して手がけようとしたのは、バイオレンスや戦いとは無縁の作品ばかりだった。そして、こうした作品を「世界」に通用するものにしよう、子供たちのために「本物」を作ろう。それが、「ハイジ」を生む大きな原動力となった。
「ハイジ」は、アニメ史上初のロケハンを敢行した作品として知られる。
当時、ハリウッド映画で描かれる日本は、イメージ先行で、中国と混じり合っていたり、着物の着方がおかしかったり、噴飯ものの描写が多かった。高橋らはこうした偽物を作ることを嫌った。そのためには、何よりもまず、作る側が本物を知らなければならない。
制作費が限られたアニメでは、異例の決断だった。実質10日間の強行軍で派遣されたスタッフはスイス各地やドイツ・フランクフルトで、あらゆるものを見逃すまいと、スケッチし、写真撮影し、あるいは記憶に刻みつけた。
こうしたロケを元に描き出された山小屋や家々の描写は、図面を元に実際に建物が建つほど精緻であったという。アニメは実写と比べて存外背景をごまかしているものも少なくないというが、この作品ではそうした手抜きはなかったのだ。
原作の「ハイジ」(『ハイジ』(ヨハンナ・シュピーリ))は、実は、かなり宗教色の強い作品である。
アニメの「ハイジ」制作にあたっては、この宗教色をどうするかが大きな問題となった。日本ではキリスト教がそれほど広く信仰されているわけではなく、「神」に対する信仰が日本の子供たちにどの程度受け入れられるか、不透明であったのだ。制作者らは、慎重に注意深く、原作の味わいを保ちながら宗教色を薄めていく。
その代わりのように、アルムの山小屋の側に立つ樅の木がハイジの心の支えとして象徴的存在となった。
結果的には、この脚色は、宗教を問わず世界各国に受け入れられるという意味で、作品の普遍化の一助ともなった。
アニメの脚色としてもう1つ重要であったのは、「アイキャッチャー」として動物を取り入れたことだった。無愛想だが頼りになるセントバーナード犬、ヨーゼフは物語に奥行きを与え、そしてもちろん、ぬいぐるみとなってキャラクター商品の売上にも貢献した。
当時はまだ、アニメーションがデジタル化される前である。彩色にはアクリル絵の具が用いられたが、乾くのに時間が掛かった。前の色が乾かないと次の色は乗せられない。「ハイジ」制作は常に時間との戦いであった。総勢80人のスタッフが毎週届く何千枚ものセルに懸命に色を塗った。
何かにつけて手渡し、手作りの時代であった。ファックスも電子メールもない。原稿は誰かが運ばなければならない。絵も微調整しながら動かして撮影していかねばならない。
ヤギたちが行進しながら最後に小屋に入っていくかわいらしいエンディングをご記憶の方も多いだろう。当初、これをタイムテーブルに沿って作ってみたら、途中でヤギが前のヤギを追い越してしまう。少しずつヤギの動きをずらしながら、調整を続け、90秒のものを作るのに、何と6時間以上を要したという。
「ハイジ」制作の現場は過酷だった。
だが、携わった人々は口を揃えて言う。「ハイジ」の仕事は幸せな仕事だった、と。
「本物」を作ろう、「本物」を届けよう。
作り手の熱意は、確かに受け手に伝わった。
「ハイジ」はいまだに多くの人に愛される、幸せな作品である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「ハイジ」のプロデューサー高橋茂人氏の人生を軸に昭和という時代とテレビ、アニメの歴史の一端を切り取った前半と、様々な立場で制作に関わったスタッフの証言を丁寧に拾い集めて記録した後半。どちらも読み応えがありました。アナログ時代のアニメ作りを知るスタッフの高齢化が進む中、アニメーションの作り手の生の声を記録した貴重な一次資料になると思います。著者の幅広く、丁寧な取材ぶりが感じられる良書です。
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日本アニメの名作「アルプスの少女ハイジ」。それがどのように生まれたのか、プロデューサーの高橋茂人を中心に、高畑勲、宮崎駿、小田部羊一など関係者への取材を丁寧に重ね、その熱気と感動をあますところなく描く。「ハイジ」をもう一度見たくなった。