リベラル・ユートピアという希望

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  • Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000255561

感想・レビュー・書評

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  • ローティのこと、わたしあんまり好きじゃないかもしれない。プラグマティズムは、反本質主義的な意味で共鳴する部分があるのだけれども、やっぱり結果主義すぎる。功利主義に対する批判をこれが乗り越えられているとはおもえない。そして原理なき倫理はやはり、突き詰めればリベラル・デモクラシーを擁護できないのではないか? ローティは明らかにひとつの価値、すなわちアメリカとリベラル・デモクラシーにコミットしているが、彼のプラグマティズムを突き詰めた先にそれがあるとは思えない。そして彼の思想はまったき他者を歓待せよ、というデリダの思想の重要な倫理に比べて、排他的になり得る可能性があまりにも高いように思われました。

  • プラトン主義というのは、西洋人でなくても、多くの人間が日常的にナイーブに抱く世界観である。つまり、現象のうらに本質があるという考え方であり、私の外側に客観的な世界があるという考え。そして、世界を認識した私は、言葉を通じて、主体を表現するという考え。

    20世紀の現代思想、科学は、こうした思想を解体する方向でおおむね進んできたのだが、それでも、心の中のプラトン主義はなかなか無くならない。

    こうした心のうちなるプラトン主義から離脱して、「物事の背後に根源を求めるのはやめよう」というのが、最近の私のテーマである。

    という意味で、ローティの、反プラトン主義、反基礎付け主義は、自分の志向性ととてもフィットがよい。

    ローティは、アメリカ的なプラグマティズムの伝統のなかにいる哲学者なのだけど、ハーバーマス、デリダ、フーコーなどの大陸系の哲学者ともその議論はしっかりと絡み合っているところがいいね。

    かつ、この本における率直さはほんとうにすごい。

    最近、正義や権力を巡る読書で、スピヴァク、デリダ、アーレント、ロールズなどの関連図書を読んでいて、なんとなく非決定論的な閉塞感を感じていたのだが、ローティは結構元気でる。

    なぜか、マルクスの「共産党宣言」を、「新約聖書」とともに、希望の書として、学校で読むべき本として推薦していたりして、面白い。

    つまり、哲学より「希望」のほうが大切なんだ!

    もちろん、「希望」を哲学的に基礎づけることなんかできない。

    基礎付けなしの「希望」=実践と考えれば、確か、マルクスが「ドイツイデオロギー」で言いっていた「これまで哲学者は世界を解釈してきただけであったが、大切なのは世界を変革することである」という名文句も思い出されたりする。

    そういえば、「ドイツイデオロギー」には、「共産主義とはある理想的な状態ではなく、活動である」といった主旨の言葉もあったな。

    状態ではなく、活動である、という発想は、アーレントやロールズにも共通するところで、最近の読書がだんだんつながってきた気がした。

    あと、後期ウィトゲンシュタインの言語論との関係とかともしっかりフィットする。ローティにとって哲学は、ウィトゲンシュタイン同様、言葉や思考の誤用というかこわばりをほぐす臨床的な行為なんだろうな。

    哲学とかたいしたことない、思想より理想を、という哲学。

  • 読了メモ。R.ローティ『リベラル・ユートピアの希望』。著者自身によるローティ入門のようなエッセイ集。自伝から、デューイ、ジェイムズ、ニーチェ、ハイデガー等、英語圏と非英語圏を跨いでみずからの哲学的、社会的主張と希望の概観が示されている。

  • p22まで読んだ。

  • 反二元論・反プラトンという
    ニーチェ・ダーウィンに連なる系譜

    幸福の真理はないが、何が幸福であるか議論を重ねる、結局それしかない。

  • プラグマティズムの立場からリベラル・デモクラシーの可能性を問う。 <br>
    あまり関連のない論文集ではあるが、ローティがだいたいどんな人なのか、デューイからのプラグマティズムはどんな思想なのかを知るにはいいのではないだろうか?<br>
    少々統一がとれない感じがするのは仕方がない。<br>
    この思考態度にはびっくりだった。 <br>
    「客観的―主観的の区別も合意獲得の相対的難易度の区別によって置き換えられる。価値が事実より主観的だというのは、どの事物が醜いのかとか、どの行為が邪悪なのかとかについてのほうが、どの事物が長方形なのかについてより、合意を得るのが難しいからにすぎない」 <br>
    なるほど。筆者はそうやって、主観・客観の枠組を相対化するのみならず、普遍的価値そのものも同様に否定する。 <br>
    その点参考になった。


    第1部 偶然性(言語の偶然性 自己の偶然性 リベラルな共同体の偶然性)
    第2部 アイロニズムと理論(私的なアイロニーとリベラルな希望 自己創造と自己を超えたものへのつながり―プルースト、ニーチェ、ハイデガー アイロニストの理論から私的な引喩へ―デリダ)
    第3部 残酷さと連帯(カスビームの床屋―残酷さを論じるナボコフ ヨーロッパ最後の知識人―残酷さを論じるオーウェル 連帯)

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著者プロフィール

リチャード・ローティ (Richard Rorty)1931年生まれ。元スタンフォード大学教授。2007年没。

「2018年 『ローティ論集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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