現代メディア史 (岩波テキストブックス)

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  • / ISBN・EAN: 9784000260152

感想・レビュー・書評

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  • メディア論の教科書。扱われている素材は書籍出版、新聞、映画、宣伝(プロパガンダ)、ラジオ、トーキー映画、テレビ。最後にインターネットがごく軽く触れられている。どれも発展の概説を述べた後、アメリカ、ドイツ、イギリス、日本の各固有の状況について解説している。巻末には邦語文献の基本文献案内があり、そこでは読むべき順番も示唆されている。一般的なメディア史の入門の体をしながらも、著者自身の視点が光っている。それは典型的には第二次世界大戦の総力戦体制に向けて各メディアが果たした国家統合の機能だ。別に第二次世界大戦でなくとも、19世紀ナショナリズムの勃興にメディアは重要な役割を果たしたし、第二次世界大戦以降であれそうした機能に関わっている。

    「このような、ありえたかもしれない「正しい発展」の可能性を示唆する歴史叙述はなるほど反ファシズム的であり反軍国主義的、すなわち「進歩的」であるには違いない。戦後民主主義の水脈を大正デモクラシーに求め、それと昭和軍国主義のコントラストを強調すればするほど、戦前と戦後の溝は深まることになる。だが、こうした叙述から、現在の画一的なメディア体制の問題点を批判的に提示する視座を得ることができるだろうか。」(p.194f)
    「情報宣伝の効率性を追求した戦前の思想戦論と、民主主義を掲げて情報産業の効率性を追求した戦後社会論の差異は見かけほどではない。この事実こそ、終戦を終着点とする、あるいは出発点とする歴史叙述が無視してきたものである。」(p.196)


    メディア史といえば他でよくある記述としては、古くラスコーの壁画を取り上げたり、イリアスに代表される口述の歴史、グーテンベルクの聖書の活版印刷などを取り上げられるものだ。だが著者はこうした視点を素朴で不自然(p.vi)として退け、あくまで現代的な視点から現代のメディア史について語ろうとしている。そもそもメディアという言葉が生まれたのも第一次世界大戦期のアメリカである。

    読み始めていきなり不意をつかれたのは、まず第二章で都市の発展が扱われていることだ。著者は都市自体も、その上で人々が集まり様々なコミュニケーションが行われる場・媒体mediumとしてメディアであると捉える。そこで電気を始めとする都市インフラや鉄道などの交通について述べる。例えば鉄道旅行などの鉄道による移動の普及が、持ち運びのしやすい文庫などの小型本の市場を拓いた(p.53)り、電気の普及が家庭での読書を可能にした(ラジオ、テレビは言うまでもない)。こうした意味で都市の発展はメディアにとって中核的事態だということが納得される。

    また通俗文化についての目配りもこの著者の視点の一つだ。例えば書物は理性的なメディアと捉えられる向きもあるが、著者はこれにワンパターンのハッピーエンド恋愛小説であるハーレクイン・ロマンスのシリーズを対置している(p.45)。ラジオの普及にあっても「低俗的な」ものへの視線が欠かせない。映画にあっては、「軍需に優先してまで娯楽映画を量産し続けた第三帝国」(p.193)といった評価もある。

    総じて情報量がとても多い本だ。教科書でもあり個々のトピックについて詳説はされない。消化するのはかなり大変な本だ。共時的にトピックが散りばめられる傾向もあり、個々のトピックのつながりにときおりはっとさせられる。

    以下の言葉は著者のスタンスを明快に表すものだろう。しっかり噛み締めておきたい。

    「歴史学は真実や正義を調べるものではない。なぜ虚偽や非合理を人間が支持したかを理解することにある。」(p.230)

  • 《1. メディア史としてのコミュニケーション研究》
    アルファベットとギリシャ民主主義、パピルスとローマ帝国、活版印刷と宗教改革、読書とフランス革命など文明論的な長い射程。
    [情報史観]
    遺伝子情報(有機的進化)→言語情報(言語の発明)→文字情報(文字の発明)→活字情報(標準化)→電気情報(高速化=大量化)→デジタル情報

    タルドは感覚的に限定された小さなコミュニケーション空間で発生する「群衆」は新聞を媒介にして無限に拡がる精神的な集合体である「公衆」に変身すると考えた。「群衆」から「公衆」への発展は、テンニースの『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』の議論と重ね合わせることもできる。テンニースも、印刷物を媒介として生まれる教養人の世論こそユートピアの原理であると考えた。p8

    リップマンは巨大化する社会で新聞のみに社会情報を依存する個人が瀕している危機状況を「擬似環境」の概念でとらえた。大量の情報を制御する必要から世論製造を容易にしたことに彼は警鐘を鳴らしている。

    [ヴェーバーの「新聞の社会学」] p11
    (WW1でのプロパガンダを鑑みて)デマゴーグとしてジャーナリストが大衆民主主義に及ぼす影響を論じた。

    『クライテリオン』を創刊してイギリスの文芸批評をリードしたT.S.エリオットやF.R.リーヴィスなどいわゆる『スクルーティニー』派は「高級文化vs. 大衆文化」の対抗図式でエリート的教養を強く擁護した。

    【マルキストの文化産業批判】p13
    テオドール・アドルノ、マックス・ホルクハイマー、エーリヒ・フロムなどの「フランクフルト学派」はワイマール共和国時代にマルクス主義の階級分析とフロイトの心理学を結合させ、独自の大衆文化分析に先鞭をつけ、後に「批判理論」と呼ばれる社会理論を生み出した。:「文化産業」が製造する大衆文化は、文化を議論する創造的な公衆を、文化を消費する受動的な大衆へと移行させ、国家権力への服従を大衆に促すものだった。

    【弾丸効果(皮下注射モデル)のパラダイム】
    5Wの法則として定式化された線形(リニア)・コミュニケーション・モデルすなわち、Who says What, through What channel, to Whom, with What effectは次のようなメディア研究の枠組みを確立した。
    統制研究→内容分析→メディア分析→受け手分析→効果研究 p15

    『コミュニケーションの数学的理論』で、SMCRモデル(情報源ーメッセージーチャンネルー受信者)はラスウェルの効果モデルは科学的裏付けを与えられた。p17

    <4. 文化的消費と再生産―テレビ段階>
    【「効果と精度」から「利用と満足」へ】p18
    ジョゼフ・クラッパーは『マス・コミュニケーションの効果』で、限定効果を理論化し、マスメディアが個人行動へ及ぼす影響は変数の一つにすぎず、意識の改変効果より先有傾向の補強効果が一般的であると主張した。

    受け手の参与性の強い「クール」なテレビと、参与性が低い「ホット」なラジオを対比するマクルーハンの『人間の拡張の諸相』

    【「文化研究」cultural studies】p18-19
    1964年、「カルチュラル・スタディーズ」の名称の由来となるバーミンガム大学現代文化研究センターがが、1966年にはレスター大学にマス・コミュニケーション研究センターが設立された。特にホガートによって組織された現代文化研究センターは、1968年にスチュワート・ホールがその跡を継いで所長となると、グラムシのヘゲモニー論、アルチェセールの構造主義、記号論やエスノメソドロジーなど多様な知的潮流をとり入れ、1974年『メディア・文化・社会』創刊以後大きな発展を遂げた。

    とくに受け手研究では、受動的「視聴者」から能動的「読者」へのパラダイム転換にも棹さし、メッセージの意味生成の分析が行われた。ホールは、テレビニュース分析から、テクストの解釈過程における意味のせめぎ合いを説明する「エンコーディング(記号化)/ ディコーディング(解読)」モデル(1973)を次のように提示した。資本主義システムのなかで、メディアは既成権力に都合のいい「優先的意味」によって出来事を記号化する。それに対して受け手は「支配的・妥協的・対抗的」コードのいずれかでその意味を解読するが、3つのコードは階級的に配列され、支配的コードに基づく優先的意味がマス・コミュニケーションにおいて中心的な位置を占めている。

    カルチュラル・スタディーズはメディアの即効的な弾丸効果を相対化したが、文化権力による長期にわたる強大効果のパラダイムへの道を開いた。p20

    【メディア調査の新仮説】p20
    ①「議題設定機能」(agenda setting)
    Cf. 「ウォーターゲート事件」
    ②「沈黙の螺旋」(spiral of silence)
    エリザベス・ノエル=ノイマン:マスメディアが特定の見解を優勢と報じると、異なる見解を持つ人々の沈黙を生み出し、その沈黙がメディアの言説の正当性を裏付け、社会的孤立を恐れる人々は勝ち馬を追うようにその見解にとびつく。こうして螺旋状の自己増殖プロセスが生まれ、優勢な世論が作られていくメカニズム。
    ③「培養分析」(cultivation analysis)
    ジョージ・ガーブナーは「テレビドラマの暴力」で「培養分析」の枠組みを提示した。:暴力シーンの多いテレビに接触した視聴者はテレビ世界と現実世界を混同し、現実以上に暴力に対して危険性を感じるようになった。
    ④「知識ギャップ」(knowledge gap)
    Cf. 現代のデジタルデバイド

    《2. メディア都市の成立》
    【伝統の大量生産】p35
    そもそも都市化とは、伝統的な村落共同体の解体過程である。空間の流動性が高まり時間が加速化するなかで、多くの人々はアイデンティティの危機に直面した。19世紀の国民国家は、アトム化する大衆を「連綿たる歴史」や「民族的伝統」という安息の地に導くために、「伝統の大量生産」(cf. ホブズボーム)を開始した。
    eg. イギリスの王室儀礼は、1950年代以降はテレビと結合して世界に冠たる伝統の大衆化を実現した。

    「国民化」の位相で現代天皇制を眺めれば、そこで問題となるのは封建遺制より急激な近代化である。それは、メディアの「日本型」編制にも当てはまるはずである。p41

    《3. 出版資本主義と近代精神》
    【メディア論=民主化+近代化】p46
    イニスのコミュニケーション・メディア論の文明史
    時間(歴史)指向的な「国民国家」と空間(拡大)指向的な「帝国」との対比。
    時間バイアスのメディアは、歴史と伝統に対する関心を深め、宗教的・民族的な政治支配を促し、中央集権的な国民国家システムを発展させる。空間バイアスのメディアは、拡大主義と現在への関心を高め、世俗的・普遍的な政治支配を助長し、地方分権的な帝国システムを発展させる。

    《4. 大衆新聞の成立》
    資本主義の循環系が銀行=貨幣であるなら、新聞=情報は資本主義のその神経系である。

    現在に至る日本の主要な全国新聞は瓦版「読み売り」の系譜から発展した「小新聞」が、明示開国期の官報や佐幕派政論新聞の流れをくむ「大新聞」を商業的に駆逐して形成された。p70

    「イエロージャーナリズム」:大衆受けするセンセーショナルな報道

    階級社会であるイギリスやドイツでは、イデオロギーや特定の支持政党を掲げた政治新聞へなお執着が強く、消費社会化したアメリカではいち早く「客観的」な商業新聞が台頭した。

    《5. 視覚人間の「国民化」》p93~
    写真が単なる過去の断片的な証明であるのと異なり、映画は時間の連続性を具現するため現在を過去と未来にフェイド・オーバーさせる。映画は国民国家の「伝統の創出」に最もふさわしいメディアであった。
    Cf. 南北戦争による国民統合を謳い上げた『国民の創世』(1915)

    《6. 宣伝のシステム化と動員のメディア》p117~
    [宣伝/広告/PR]
    宣伝は論理的内容をエリートに教育することだが、煽動は一般大衆向けに情緒的なスローガンを叩き込むことである。
    共同体の原理に従う情報操作を「宣伝」と呼ぶのに対し、市場の原理に従うそれを「広告」と呼ぶ。
    営利活動である公示行為を「広告」と呼ぶとき、集団が構成員の共通認識を形成するために行う非営利行為を「広報(PR)」と呼ぶ。
    [第一次世界大戦と「宣伝」]
    この戦争は近代史と現代史の分水嶺であるとともに、活字メディア社会と電気メディア社会の画期となった。確かに、この戦争での中核的な宣伝メディアはなおビラや新聞であり、その影響力は大戦中に絶頂を極めた。しかも戦時宣伝のデマ報道や残虐ニュースは、19世紀後半すでに変質していた出版や新聞の大衆化を極端な形で顕在化させた。にもかかわらず、活字メディアの限界が露呈したのはこの戦争中であり、新聞や書籍がその大衆的な影響力を回復することは二度となかった。それゆえ、戦前から存在した活字メディアは、古き良き市民社会への郷愁をともなって、個人主義的かつ理性的なメディアと考えられ、戦後に本格化した電気メディアには社会変動への不安と恐怖がつきまとった。映画は集合的かつ感性的なメディアであり、ラジオは統制的かつ煽情的なメディアと見なされるようになった。
    [宣伝戦の「日常化」]
    社会運動の概念であった「宣伝」が国家政策の概念に変わった時、社会と国家の分離を前提にした市民的公共圏はその成立基盤を失った。ハバーマスのいう「公共性の構造転換」、すなわち市民の批判的公共性から大衆への操作的公共性への変化は、この時点で完成した。

    第一次大戦は、メディアが宣伝という「兵器」になること、また報道や表現の自由が「国益」と衝突する可能性を広く人々に印象づけた。新たに登場しようとしていたマスメディア「ラジオ」は、それゆえ各国とも最初から「国益」を中心に組織化を行った。第一次大戦以後、あらゆる報道機関はプライベートな企業ではありえず、国家から「国民的公共性」を強く要求されるようになっていった。それは「市民的公共性」の変質を意味したが、組織資本主義において古典的(=市民的)自由主義が存立しえない状況に対応していた。

    《7. ラジオとファシスト的公共性》p141~
    ラジオ放送は言論の自由の保障を謳った憲法の下に成立した最初のマス・メディアである。マクルーハンの言葉を借りれば「ホットな(参与性の低い)グーテンベルクの銀河系は、"閉鎖的な市民社会"であり、「クールな(参与性の高い)マルコーニの銀河系は"動員する大衆社会"であった。

    [距離の消滅と権威の平準化]p144
    すなわち、電話は時間や空間を均質化したのみならず、階層の障壁を取り払ったのである。

    《8. トーキー映画と総力戦体制》p171~

    《9. テレビによるシステム統合》p199~
    「この視覚爆弾は、原子爆弾の破壊的効果にならぶほど大きな影響力で、建設的な福利への連鎖反応を引き起こすことができると予言いたします」カール・ムント(1951)

    連続ドラマが連載小説を、クイズ番組が普遍的教養を模倣したように、テレビは高級文化と大衆文化の要素を混淆することでその境界を解消し、ポストモダン文化の美的ポピュリズムを促した。映画で形成され、ラジオで確立した国民的公共性は、テレビというシステム・メディアの登場によって完成したのである。p201

    ビデオの登場はB・アンダーソンが指摘した「想像の共同体」の均質空間、すなわち国民文化の基盤を揺るがすこととなった。その結果、テレビという国民化メディアから生まれたビデオは、国民文化的統合から多文化主義的統合へと社会編成を変えていくことになる。p204

    [戴冠式中継]p210
    イギリスのテレビ普及に決定的な影響を与えたのは1953年のエリザベス2世戴冠式であり、式典はテレビ・イベントとして演出された。自動車による高速化の時代にこそ、由緒ある馬車と古色蒼然たる儀杖兵の姿は大衆の目に「不易の伝統」と映った。急激な社会変動にさらされていた大衆は、王室スペクタクルに「安息の地」を見出したのである。19世紀の「伝統の創出」が大衆民主主義に対する中和剤となったように、WWⅡ後のテレビ・イベントは覇権国家の地位喪失に対する緩和剤として機能した。

    [「イ」の字から]p219
    日本のテレビ史は「イ」の字から始まる。1926年「日本・テレビの父」高柳健次郎はテレビ実験に成功し、画面に「イ」の字を映しだした。1930年に昭和天皇はテレビ実験を天覧された。計画が本格化するのは1936年ベルリンで次期オリンピックの東京開催が決定されてからである。1940年はちょうど、「皇紀2600年」にあたり、国威発揚のためテレビ中継放送の実施が目指された。
    高柳はじめNHKはテレビの国産化に固執したが、1952年7月電波監理委員会が廃止され放送行政が郵政省に一元化される中で、テレビ放送予備免許の第一号が正力松太郎の設立した民間放送局「日本テレビ放送網株式会社」に与えられた。p220

    《終章: 情報化の未来史》p225~
    [ウェーバーの支配の3類型]p233
    ①伝統的支配②合理的支配③カリスマ的支配

  • 2013 1/4 1-5章精読、ほかパワー・ブラウジング。筑波大学図書館情報学図書館で借りた。
    佐藤卓己先生の本を色々読んでみようシリーズその3。
    名前のとおり、メディア史の教科書。
    冒頭でなぜ「現代」に限定するかについて、『メディア社会』とほぼ同様の説明があり、その後第1章ではマス・コミュニケーション研究の概論が、終章ではニュー・メディアとしてのインターネットに関する「未来史」が述べられる。
    間の各章はメディアとしての都市+各媒体(出版/新聞/映画/宣伝/ラジオ/トーキー映画/テレビ)についての概論+米英独日を比較して論じる、という形式。
    終章でも触れられるが、第二次大戦における自由主義国家(米英)とファシズム国家(独日)の双方が同じ「総動員体制」の枠内にあることとメディアの関係が全体として語られている。

    自分個人の興味と特に関連する出版関連の部分がやはり面白いと感じた。
    参考文献も多数挙げられているのであとで読む。

    以下、各章の気になった点等についてのメモ。

    ○1章:概論
    ・情報(information)を生み出した電気通信発明を「現代化」の起点に置く。
    ・情報/メディア/マス・コミュニケーション・・・大戦期に生まれた概念/"総動員体制"下の産物
    ・ハロルド・ラズウェル・・・第二次大戦中、アメリカ議会図書館戦時報道調査局長官/「内容分析の創始者」
     ←・なんだその部署?! 要調査

    ○2章:都市
    ・夜間照明と読書の関係:
     ・ろうそくの時代・・・高価な蝋燭の灯りの下で「読書する市民」
     ・電灯の時代・・・電灯の下で「気晴らしする大衆」

    ○3章:出版
    ・メディア研究の主対象はマスメディア/フロー
     ⇔・書物は対象にはなりにくい
    ・書物・読書・・・近代/「個」の象徴?
     ⇒・『近代読者の成立』(前田愛)
     ⇔・今の町の書店の本は本当にそういうものか?
       ・ハーレクイン・ロマンス・・・そういえばどういうものかちゃんとは知らなかったな・・・

    ・印刷機発明後も18世紀まで大きな「革命」と呼べる変化は存在しない?
     ⇒・「出版史を15世紀のインキュナブラにさかのぼる必要はあるまい」
     ⇔・大衆的読書・・・19世紀に階下
       ・18世紀末に「読書革命」

    ・ペーパーバックへの着目:
     ・イギリス出版史・・・「世界市場」の存在
     ・"ペンギン革命" 1935
     ・日本の出版業は内発的に発展・・・海外の後追いではない
      ・『歴史としての出版』
      ・日独の「出版離陸」(年間5,000タイトル以上の刊行)は工業化に先行している・・・大量印刷技術は「出版離陸」の絶対条件ではなく、出版離陸の要件は高教育制度整備と識字率?
      ・円本ブームと岩波文庫創刊(1927年)はアメリカのポケット・ブックス革命(1939)に先んじている
      ⇒・日本出版史の近現代の境がここ
     ・取次・小売の全国ネットワーク/委託配本/再販制度・・・すべて内発的発展の産物と論じる


    ○後で読みたい:
    ・『大衆の反逆』
    ・ハーバーマス『公共性の構造転換』
    ・前田愛『近代読者の成立』
    ・『歴史としての出版』
    ・エンゲルジング『文盲と読書の社会史』
    ・金平『世界のペーパーバック』
    ・ホワイトサイド『ブロックバスター時代』
    ・清水/小林『出版業界』
    ・清水文吉『本は流れる』

  • 2-3-1 メディア論

  • ラジオ、テレビ、新聞といった身近なメディアの歴史を学んでみたい。

  • 1998年出版の本であるが、2010年の今でも読んでおくべき1冊だと思った。現在さまざまな情報を供給している企業なり組織の多くが戦前に形作られ、現在まで存続しているという事実から、今の世の中の閉塞感や違和感の源を探れるかもしれないし、また現在のメディアの枠組みが大きく変化しようとしている状況を史的観点から捉えることを可能にし、時代の行く末を考える為の足掛かりとなるだろう。

    この現代メディア史での著者の視座は、現在の出版・新聞・映画・ラジオ等の枠組みが戦時の総力戦体制下でつくられたものであり、所謂「戦前/戦後」的な断絶史観に対して異議を唱えている点にある。

    本書は縦軸に19世紀中葉から1990年代までの時系列に従って出版・新聞・無声映画・宣伝・ラジオ・トーキー・テレビについて論述し、横軸としてイギリス・アメリカ・ドイツ・日本の比較を行いつつ現代社会への批判的視座の提供が試みられている。

    以下事例として、まず日本の新聞については、戦時下の1942年に情報局が「一県一紙主義」により現在の全国紙と地方紙の体制が確立され、戦後も解体されることなく現在に至っているし、テレビ局は戦後、あの田中角栄によって新聞によるテレビの系列化が行われている。

    また、日本の映画会社も戦時下の1942年に大映・東宝・日活の3社体制に統合され、戦後もその体制が維持されていた。(こちらはテレビの普及によって大映・日活が倒産したが、戦後に体制が引き継がれたことは事実)

    戦時のニュース映画配信を行っていた国策会社の同盟通信社も、戦後は共同通信社と時事通信社に分割されて現在も存続している。

    宣伝については第三帝国がよく引き合いに出されるが、日本でももちろん言論統制と思想戦のための情報宣伝は行われている。戦前は陸軍と結びついた国策通信社として活躍していた広告代理店「電通」の現在の活躍は周知のとおりである。

    あるいはハリウッドのメジャーは1930年代にロックフェラーとモルガン財閥によって形作られていたし、ヴェネチア国際映画祭はムッソリーニが1932年に創設したものであるなど、戦前の枠組みが現在まで色濃く残っている。

    等々枚挙に暇なく、現在我々を取り巻く旧来のメディアの成立が戦時体制下であったことを理解しておくことは、インターネット時代あるいは電子書籍時代を捉える上でとても役に立つと思う。良書。

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著者プロフィール

佐藤卓己(さとう・たくみ):1960年生まれ。京都大学大学院教育学研究科教授。

「2023年 『ナショナリズムとセクシュアリティ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

佐藤卓己の作品

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