- Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000260152
感想・レビュー・書評
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メディア論の教科書。扱われている素材は書籍出版、新聞、映画、宣伝(プロパガンダ)、ラジオ、トーキー映画、テレビ。最後にインターネットがごく軽く触れられている。どれも発展の概説を述べた後、アメリカ、ドイツ、イギリス、日本の各固有の状況について解説している。巻末には邦語文献の基本文献案内があり、そこでは読むべき順番も示唆されている。一般的なメディア史の入門の体をしながらも、著者自身の視点が光っている。それは典型的には第二次世界大戦の総力戦体制に向けて各メディアが果たした国家統合の機能だ。別に第二次世界大戦でなくとも、19世紀ナショナリズムの勃興にメディアは重要な役割を果たしたし、第二次世界大戦以降であれそうした機能に関わっている。
「このような、ありえたかもしれない「正しい発展」の可能性を示唆する歴史叙述はなるほど反ファシズム的であり反軍国主義的、すなわち「進歩的」であるには違いない。戦後民主主義の水脈を大正デモクラシーに求め、それと昭和軍国主義のコントラストを強調すればするほど、戦前と戦後の溝は深まることになる。だが、こうした叙述から、現在の画一的なメディア体制の問題点を批判的に提示する視座を得ることができるだろうか。」(p.194f)
「情報宣伝の効率性を追求した戦前の思想戦論と、民主主義を掲げて情報産業の効率性を追求した戦後社会論の差異は見かけほどではない。この事実こそ、終戦を終着点とする、あるいは出発点とする歴史叙述が無視してきたものである。」(p.196)
メディア史といえば他でよくある記述としては、古くラスコーの壁画を取り上げたり、イリアスに代表される口述の歴史、グーテンベルクの聖書の活版印刷などを取り上げられるものだ。だが著者はこうした視点を素朴で不自然(p.vi)として退け、あくまで現代的な視点から現代のメディア史について語ろうとしている。そもそもメディアという言葉が生まれたのも第一次世界大戦期のアメリカである。
読み始めていきなり不意をつかれたのは、まず第二章で都市の発展が扱われていることだ。著者は都市自体も、その上で人々が集まり様々なコミュニケーションが行われる場・媒体mediumとしてメディアであると捉える。そこで電気を始めとする都市インフラや鉄道などの交通について述べる。例えば鉄道旅行などの鉄道による移動の普及が、持ち運びのしやすい文庫などの小型本の市場を拓いた(p.53)り、電気の普及が家庭での読書を可能にした(ラジオ、テレビは言うまでもない)。こうした意味で都市の発展はメディアにとって中核的事態だということが納得される。
また通俗文化についての目配りもこの著者の視点の一つだ。例えば書物は理性的なメディアと捉えられる向きもあるが、著者はこれにワンパターンのハッピーエンド恋愛小説であるハーレクイン・ロマンスのシリーズを対置している(p.45)。ラジオの普及にあっても「低俗的な」ものへの視線が欠かせない。映画にあっては、「軍需に優先してまで娯楽映画を量産し続けた第三帝国」(p.193)といった評価もある。
総じて情報量がとても多い本だ。教科書でもあり個々のトピックについて詳説はされない。消化するのはかなり大変な本だ。共時的にトピックが散りばめられる傾向もあり、個々のトピックのつながりにときおりはっとさせられる。
以下の言葉は著者のスタンスを明快に表すものだろう。しっかり噛み締めておきたい。
「歴史学は真実や正義を調べるものではない。なぜ虚偽や非合理を人間が支持したかを理解することにある。」(p.230)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2013 1/4 1-5章精読、ほかパワー・ブラウジング。筑波大学図書館情報学図書館で借りた。
佐藤卓己先生の本を色々読んでみようシリーズその3。
名前のとおり、メディア史の教科書。
冒頭でなぜ「現代」に限定するかについて、『メディア社会』とほぼ同様の説明があり、その後第1章ではマス・コミュニケーション研究の概論が、終章ではニュー・メディアとしてのインターネットに関する「未来史」が述べられる。
間の各章はメディアとしての都市+各媒体(出版/新聞/映画/宣伝/ラジオ/トーキー映画/テレビ)についての概論+米英独日を比較して論じる、という形式。
終章でも触れられるが、第二次大戦における自由主義国家(米英)とファシズム国家(独日)の双方が同じ「総動員体制」の枠内にあることとメディアの関係が全体として語られている。
自分個人の興味と特に関連する出版関連の部分がやはり面白いと感じた。
参考文献も多数挙げられているのであとで読む。
以下、各章の気になった点等についてのメモ。
○1章:概論
・情報(information)を生み出した電気通信発明を「現代化」の起点に置く。
・情報/メディア/マス・コミュニケーション・・・大戦期に生まれた概念/"総動員体制"下の産物
・ハロルド・ラズウェル・・・第二次大戦中、アメリカ議会図書館戦時報道調査局長官/「内容分析の創始者」
←・なんだその部署?! 要調査
○2章:都市
・夜間照明と読書の関係:
・ろうそくの時代・・・高価な蝋燭の灯りの下で「読書する市民」
・電灯の時代・・・電灯の下で「気晴らしする大衆」
○3章:出版
・メディア研究の主対象はマスメディア/フロー
⇔・書物は対象にはなりにくい
・書物・読書・・・近代/「個」の象徴?
⇒・『近代読者の成立』(前田愛)
⇔・今の町の書店の本は本当にそういうものか?
・ハーレクイン・ロマンス・・・そういえばどういうものかちゃんとは知らなかったな・・・
・印刷機発明後も18世紀まで大きな「革命」と呼べる変化は存在しない?
⇒・「出版史を15世紀のインキュナブラにさかのぼる必要はあるまい」
⇔・大衆的読書・・・19世紀に階下
・18世紀末に「読書革命」
・ペーパーバックへの着目:
・イギリス出版史・・・「世界市場」の存在
・"ペンギン革命" 1935
・日本の出版業は内発的に発展・・・海外の後追いではない
・『歴史としての出版』
・日独の「出版離陸」(年間5,000タイトル以上の刊行)は工業化に先行している・・・大量印刷技術は「出版離陸」の絶対条件ではなく、出版離陸の要件は高教育制度整備と識字率?
・円本ブームと岩波文庫創刊(1927年)はアメリカのポケット・ブックス革命(1939)に先んじている
⇒・日本出版史の近現代の境がここ
・取次・小売の全国ネットワーク/委託配本/再販制度・・・すべて内発的発展の産物と論じる
○後で読みたい:
・『大衆の反逆』
・ハーバーマス『公共性の構造転換』
・前田愛『近代読者の成立』
・『歴史としての出版』
・エンゲルジング『文盲と読書の社会史』
・金平『世界のペーパーバック』
・ホワイトサイド『ブロックバスター時代』
・清水/小林『出版業界』
・清水文吉『本は流れる』 -
2-3-1 メディア論
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ラジオ、テレビ、新聞といった身近なメディアの歴史を学んでみたい。
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1998年出版の本であるが、2010年の今でも読んでおくべき1冊だと思った。現在さまざまな情報を供給している企業なり組織の多くが戦前に形作られ、現在まで存続しているという事実から、今の世の中の閉塞感や違和感の源を探れるかもしれないし、また現在のメディアの枠組みが大きく変化しようとしている状況を史的観点から捉えることを可能にし、時代の行く末を考える為の足掛かりとなるだろう。
この現代メディア史での著者の視座は、現在の出版・新聞・映画・ラジオ等の枠組みが戦時の総力戦体制下でつくられたものであり、所謂「戦前/戦後」的な断絶史観に対して異議を唱えている点にある。
本書は縦軸に19世紀中葉から1990年代までの時系列に従って出版・新聞・無声映画・宣伝・ラジオ・トーキー・テレビについて論述し、横軸としてイギリス・アメリカ・ドイツ・日本の比較を行いつつ現代社会への批判的視座の提供が試みられている。
以下事例として、まず日本の新聞については、戦時下の1942年に情報局が「一県一紙主義」により現在の全国紙と地方紙の体制が確立され、戦後も解体されることなく現在に至っているし、テレビ局は戦後、あの田中角栄によって新聞によるテレビの系列化が行われている。
また、日本の映画会社も戦時下の1942年に大映・東宝・日活の3社体制に統合され、戦後もその体制が維持されていた。(こちらはテレビの普及によって大映・日活が倒産したが、戦後に体制が引き継がれたことは事実)
戦時のニュース映画配信を行っていた国策会社の同盟通信社も、戦後は共同通信社と時事通信社に分割されて現在も存続している。
宣伝については第三帝国がよく引き合いに出されるが、日本でももちろん言論統制と思想戦のための情報宣伝は行われている。戦前は陸軍と結びついた国策通信社として活躍していた広告代理店「電通」の現在の活躍は周知のとおりである。
あるいはハリウッドのメジャーは1930年代にロックフェラーとモルガン財閥によって形作られていたし、ヴェネチア国際映画祭はムッソリーニが1932年に創設したものであるなど、戦前の枠組みが現在まで色濃く残っている。
等々枚挙に暇なく、現在我々を取り巻く旧来のメディアの成立が戦時体制下であったことを理解しておくことは、インターネット時代あるいは電子書籍時代を捉える上でとても役に立つと思う。良書。