- Amazon.co.jp ・本 (143ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000264358
作品紹介・あらすじ
1945年の敗戦以降、忘却されていた植民地主義の問題が新たな課題として浮上している。いかにして開国以後の、日本の植民地的無意識と植民地主義的意識は形成されたのか。欧米列強への過剰な模倣と擬態というその起源に遡り、ポストコロニアルな世界を生きる現在時において、我々がむかいあうべき問いの所在を明らかにする。
感想・レビュー・書評
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近代以降の日本と東アジアの歴史の歩みを、「自己植民地化」として読み解いている本です。
近代以前の東アジアには、中国を中心とする「朝貢外交」の秩序が存在していたのに対して、近代日本は西洋による「万国公法」の秩序をいち早く内面化し、それによってアジアに対する植民地主義の主体として自己を規定することへと向かっていくことになります。さらに著者は、専門である漱石の文学作品をとりあげ、そのテクストのなかに植民地主義的構造を読み取っています。最後に、戦後の日本の歴史観のうちに、植民地主義をみずからの問題として引き受けることを隠蔽するような構造が存在しつづけていることの指摘がおこなわれています。
「植民地的無意識」と「植民地主義的意識」が表裏一体となって近代以降の日本の歴史をつらぬいているという本書の基本的な見方は、岸田秀の考えを連想させるものです。ただし、岸田がフロイトの精神分析を社会心理学として理解する立場から日本の集団心理を読み解いているのに対して、「ポストコロニアル」をタイトルにもつ本書は、ポストモダン左派的な観点から「文学」と「歴史」の政治性を明らかにするという立場に立って議論がなされています。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
・ルビが独特。括弧も多目。
・日本のポスコロに限定した議論。
【抜き書き】
p. v
“ここまでの記述を読んでいただければおわかりのように、本書が『ポストコロニアル』と命名されたのは、現在の私たちが、自らの実践として、植民地主義とその遺産を批判していく行為を実際に遂行していくうえでは、“ポストコロニアル”という形容詞を、それ自体として被修飾語から切り離した方が、戦略的な価値があると判断したからである。
もちろん、こうした戦略をとる以上、“ポストコロニアル”という修飾語の後に、どのような名詞が被修飾語としてついたとしても、それについて論じ、批評するという責任=応答性を引き受ける覚悟を決めなければならない。”
p. 31
“ホミ・バーバは、植民地化された地域の人々が、宗主国の文化や言説に対して、「適切な模倣」〔ミミクリー〕をすることを強いられ、結果として宗主国の論理に「占有」〔アプロプリエイト〕されてしまうプロセスに対して、「不適切な模倣」〔マックリー〕、すなわちずらしやあざけりのパロディーをとおして、自分たちを表現する可能性があることを示した。その意味で、「不適切な模倣」は、脱植民地主義的な言説の一つの論理的な可能性として示されたわけだが、日本の植民地主義の発生を考えるうえでは、手放しでこの論理を、植民地主義に対抗するものとして位置づけることはできない。
なぜなら、日本における植民地主義的意識の発生は、「万国公法」圏の論理に対しても、「朝貢外交」圏の論理に対しても、同時に「不適切な模倣」をすることによって成立したからである。同時に、この「不適切な模倣」は、「万国公法」の建て前としての、主権国家同士の条約による対等な外交関係という化けの皮を剥いでしまい、弱肉強食の、〔……〕パワーポリティクスの論理を、剥き出しにしてしまったのである。”
【目次】
はじめに [iii-x]
目次 [xi-xii]
I 開国前後の植民地的無意識 001
1 大陸・半島・列島の地政学 001
大陸の開国/列島の開国/「尊皇攘夷」と自己植民地化/半島の非開国
2 「文明開化」と植民地的無意識 011
「万国公法」の内面化/植民地主義の実践/「文明」「半開」「野蛮」の三極構造/「征韓論」の両義性/「帝国」の擬態としての「台湾出兵」
3 「脱亜論」的植民地主義の形成 025
擬態〔ミミクリー〕と養子関係〔アフィリアリティ〕/「不適切な模倣」による植民地主義の激化/「琉球処分」という名の植民地化/「半島」での危機と軍拡路線/清仏戦争と「朝貢外交」圏の崩壊/「脱亜論」的歪み/「国民精神」の地政学/自己オリエンタリズムのまなざし/戦争ができる「国家」への欲望
II 植民地的無意識への対抗言説 049
1 「廻転」と「小廻転」 049
「日本人の眼」/「進歩」への疑い/「矛盾」としてのナショナリズム
2 日露戦争と植民地主義 056
「猫」と日露戦争/『坊っちゃん』のコロニアル・バイナリズム
3 朝鮮の植民地化と『門』 062
伊藤博文暗殺の理由/階級と植民地/「韓国併合」への過程
4 植民地主義と「浪漫主義」 074
就職先としての植民地/「探偵」と植民地支配/「高等遊民」と戦費調達
III 敗戦後の植民地的無意識 083
1 象徴天皇制と植民地的無意識 083
外からの脱帝国主義化/植民地化と三つの戦後/象徴天皇制と沖縄の要塞化/非対称な鏡像関係/朝鮮半島分断に対する日本の責任/差別化された鏡の喪失/「被害の神話」の起源
2 戦後における「文明」と「野蛮」 099
切断された過去/優位から劣位へ/「野蛮」な過去としての「独裁主義」/「文明」「進歩」としての民主主義/野蛮」な「独裁主義」としての「共産主義」/レッド・パージと「単独講話」
3 植民地主義と戦争責任 113
「単独講話」と賠償問題/「二つの中国」と戦争責任の曖昧化/「反共主義」と戦争責任の無化/高度経済成長と新植民地主義/歴史教育とアジア蔑視/家永教科書裁判「日韓条約」/経済援助という名の新植民地主義/ライシャワーの近代化論とアジア排除/自らの問題としての「脱植民地化」
IV 基本文献案内 135
あとがき(2000年4月4日 小森陽一) [141-143] -
かつての植民地支配ないし群生支配をしていた地域の人々の反殖民地闘争と脱植民地化の運動の過程で失われた命と流された血を代償として敗戦後の日本とアメリカを模倣した高度経済性津王が実現した。
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ポストコロニアルについて勉強しなくちゃいけなくなり、でもそもそもポスコロって何よ?という具合の理解度だったので、とりあえず手にとってみた一冊。
感想としては、ポスコロが何をどのように射程にとらえているのかが判って良かったというところ。特に態度が、僕の考える既存の学問のそれと大きく異なっているということがよく判って良かった。なんというか、批評と学問の境について考えさせられる。あるいはこれからの学問についても(最近ポスコロ自体は廃れてきたとのことだけども)。 -
「ポストコロニアル」の思想を、日本の近代史と漱石を中心とする近代文学に則して展開した書。
近代の日本が「擬態」と「模倣」を繰り返しつつ「自己植民地化」の過程をたどってきたこと、その過程において沖縄やアイヌ、朝鮮、台湾などが「野蛮な」「他者」として創出されてきたことが、テクストを精読することを通して鋭く抉り出されている。 -
初めの方のラカン理論を持ち出した観念的な部分が面白くて、後の具体的歴史や状況の方は読み飛ばしてしまった。
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2006年。大江健三郎書店で購入したもの。