目次
凡例
図1
図2
図3
図4
図5
序論
第1章 異端の社会主義者(一九〇五‐一九一七)――アラブ問題の可視化
第2章 共存の模索(一九一八‐一九二九)――労働者階級の団結と民族問題
第3章 分離する「隣人」――パレスチナ連邦構想の挫折
第4章 階級から民族へ(一九二〇年代‐一九三〇年代)――ヘブライ労働とキブーツ運動
第5章 模索の終焉(一九三六‐一九三九)――民族分離への道
結論
註
用語解説
あとがき
参考文献
索引
英文目次
概要
イスラエル建国以前のシオニストによるアラブ人排斥思想が、どのようにして形成されていったのかを追った思想史の書。対象となるのは初代首相として1948年にパレスチナ・アラブ人への追放命令を出したダヴィッド・ベングリオンであり、シオニストの中でも「左派」であった彼の思想の変遷を会議の議事録や書簡などから丁寧に追っている。
著者はベングリオンの掲げる「社会主義シオニズム」について、当初は社会主義思想としての普遍性から、「労働者」階級としてアラブ人とも連帯する契機があり、実際、1929年にはベングリオンによって入植しているシオニスト内にてパレスチナ連邦構想さえも提案されていたが(116-126頁)、1930年代にからは「階級」よりも「民族」を優先させる思考様式の中で、ベングリオンの思想に当初から内在していた民族分離主義が前面に出てきてしまい、最終的にアラブ人の追放を構想するに至ったと結論付けている。
ベングリオン以外のシオニストの反対にあって連邦構想が破棄された後、1936年4月から始まったパレスチナ・アラブ人の反乱を契機に、ベングリオンは1920年代に抱いていたパレスチナ・アラブ人との共存構想を破棄した(189-205頁)。1938年にベングリオンはパレスチナ・アラブ人の強制移送を提案し、パレスチナ人の強制移送がシオニスト内部でコンセンサスを形成するに至った(205-218頁)。それまで左派のベングリオンとイデオロギー的に対立してきた右派のジャボティンスキーは、パレスチナ・アラブ人のナショナリズムを認識するが故に、1920年代から力によるアラブ人の追放を主張してきたが、1930年代末に至ってベングリオンはジャボティンスキーと同様のアラブ人政策に至ったのであった(218-219頁)。このようにしてシオニスト内左右両派のコンセンサスを得たアラブ人追放案は、1948年のイスラエル建国直後に実施され、75万人ものパレスチナ・アラブ人が故郷を追われて難民となったのであった。
本書で興味深かったのは、左派であるベングリオンが、本来は民族よりも階級を優先させる社会主義のあり方からは外れる「社会主義シオニズム」をどのように形成したのかについて、ベングリオンの「労働者」観にその根幹を見ていることであった。ベングリオンにとっての「労働者」とは、エレツ・イスラエルを贖う「民族的な使命」を持つ「民族の使者」に他ならず(56-57頁)、「ヘブライ労働」という概念の下、ユダヤ人のみを「労働者」とみなすナショナリズム的色彩の強い把握がなされていた(228頁)。
ヘブライ労働に関して著者の説明は、以下の通りである。
“ 「ヘブライ労働」とは、労働運動の基礎が築かれた第二次移民期(一九〇四-一四)に確立された、ユダヤ経済においてはユダヤ人労働者のみが雇われるべきであるとする原則であり、階級と民族を結び付けた社会主義シオニズムの中心的な概念である。それはユダヤ人入植村において低賃金のアラブ人労働者との経済的競合に直目したユダヤ人労働者が、アラブ人労働力の排除をめざした「労働の征服」運動の根底にある考え方であった。”
(森まり子『社会主義シオニズムとアラブ問題――ベングリオンの軌跡 1905-1939』岩波書店〈岩波アカデミック叢書〉、2002年10月30日第1刷発行、112頁より引用)
ベングリオンによって上記のように把握された「労働者」からは、マルクス主義やアナーキズムの一部の潮流が原理原則的に掲げるような、「世界の全ての民族の労働者階級が一丸となって世界の資本家階級と階級闘争を行なっている」という世界観を持つことはできない。ベングリオンにあっては、ユダヤ人労働者とアラブ人労働者の連帯の契機は、正統的なマルクス主義やアナーキズムに比べればかなり弱く、政治の現実の中でパレスチナ・アラブ人との抗争が本格化すると、破棄されてしまったのである。
なお、当時のパレスチナに入植したユダヤ人にあってもマルクス主義者はこの「ヘブライ労働」を否定し(150頁)、マルクス主義色の強いハショメル・ハツァイルは最終目標としてのユダヤ人・アラブ人の二民族社会を掲げ、そのためにアラブ人労働者と合同の労働組合を擁護していたと本書にはある(175頁)。本書からはそのマルクス主義者がソ連直系のスターリン主義者なのか、それとも他の潮流のマルクス主義者なのかは判然としないが、ベングリオンの階級よりも民族を優先させる社会主義シオニズムに対して、マルクス主義がとりあえずは民族よりも階級したことは特筆されるべきだと私は思う。
本書をまとめると、左翼人士がどれだけレトリック的に「社会主義」を掲げたり左翼的な立場に立っているつもりであっても、その「社会主義」が適用される「労働者」や「人民」を、自民族のみの枠組で考えてしまうと、極右と変わらない民族排外主義になるということになる。このようなことは20世紀の社会主義運動の中でもしばしば散見されたが(特に1960年代以降の中国の外の毛沢東派にはその傾向が強かった)、「社会主義シオニズム」を掲げていたシオニスト左派と建国直後のイスラエル国家が、どのような経緯を経てアラブ排斥の論理を持つに至ったかについて、豊富な史料の裏付けから教えてくれる点で、素晴らしい研究書だったと感じた。