自由論(双書 哲学塾)

著者 :
  • 岩波書店
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (164ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000281638

作品紹介・あらすじ

自由を論じるには、「自由の秩序」を考えなくてはなりません。自由と秩序は両立する。一定の秩序こそが自由を可能にするのです。でも自由そのものを考えていくと難しい問題が出てきます。また、「リベラリズム」とはどんなことなのか。そして自由と正義はどのように関わるのでしょうか。場外補講では聴講生たちが鋭い質問で迫ります。井上教授危うし!熱血・法哲学講義。

感想・レビュー・書評

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  • 自分にはこの人の書くものはいつも面白い。文体や論理の運びが性に合うのだろう。この本は自由とは何かについて語られている。講義調で平易に語られているし、語る図式もすっきりしているが、論理はかなり錯綜している。著者独自の視点も多く盛り込まれているし、なかなかレベルは高い。

    自由論の多くがそうであるように、本書もバーリンの積極的自由/消極的自由の区別の検討から始めている。バーリンは積極的自由の概念は「真の自我」という形を取り、ヘーゲル的に国家理念へと解消されて行ってしまうような危険性を持っているとして、消極的自由を中心に据えて論じた。積極的自由は結局、独裁者による放縦の肯定に転化する可能性がある。だが、消極的自由もまた「内なる砦」への退却という問題を持つ。これは社会において自由を実現する積極的な行動から退避して私生活に自由を求めることで、結局は悪や不平等を放置し肯定し、自由を脅かす結果に至るという危険性である。著者はこの二つの自由の隘路に経って、自由よりも秩序に話を転換する。自由を真正面から論じることをやめ、秩序の概念に転じる。
    「要するに、自由の理論の「野心」は権力の抑制という消極的自由の要請と、自律と自治という積極的自由の要請にともに的確に応えうるような統合的な自由の理念、しかも放縦でもなく抑圧の合理化でもない自由の理念の見出すことです。[...]このような高い要求水準を満たす自由の理念は果たして存在するのでしょうか。むしろ、自由という理念にあまり多くを期待しすぎないほうがいいのではないでしょうか。[...]自由の諸相の内的葛藤の調整と、抑圧や放縦への自由の転化の抑止は、自由の概念既定で片付く問題ではなくもっと現実的・帰納的な分析を踏まえた秩序構想によって解決さるべき問題ではないでしょうか。」(p.38f)

    さて秩序概念の検討に転じた著者は、その秩序を国家、市場、共同体の三組、「秩序のトゥリアーデ」(p.58)に求める。これら三つの組織はあたかも三権分立のように、お互いがお互いをチェックし抑制しあわなければならず、その三組によるバランスの上に自由は成立する。国家による集権化と暴力に対しては市場による別種の権力と、共同体による集権化への抵抗が作用する。共同体による外部排除の専制(村八分)に対しては、国家が定める人権や法といった超共同体的な仕組みと、市場による共同体外での機会の提供が作用する。市場による経済権力の行使や搾取に対しては、国家による独占禁止法を始めとする規制ルールと、共同体による相互扶助(助け合い)という契約とは異なる原理が作用する。「ここに示した秩序のトゥリアーデのような多元的均衡化こそ自由の秩序の基本条件」(p.59)である。
    「自由が生息しうる「よく秩序づけられた社会」は異質な秩序形成原理が競合し補完しあう社会です。すなわち、両義的・両価的相貌をもつ自由の内的葛藤を調整し、自由の各位相がもつ魅力を生かしつつその危険性を制御してゆくために、国家・市場・共同体の機能分化による総合的な抑制と均衡が必要なのです。」(p.62)

    この後、著者はこの三組による秩序という観点から、専制国家、市場原理、地方自治の問題を位置づけていく。国際関係においてはこの秩序の枠組みはやや変化する。著者は国際秩序について、超大国による覇権でもなく世界政府でもない「ムラとしての国際社会」を考えている。これは共同体アナキズムによる国際国家秩序であり、互いに依存しなければならないくらい弱い国家のムラである。国際秩序に対しては国家の国家としての世界政府は大きすぎて、その権力を統制するのは難しいとしてカントとともに退ける。国際秩序としては、覇権を唱えられるような超大国が存在しない国家の共同体であって、侵略や弾圧、資源簒奪など国際秩序を乱す国家に対して経済制裁など国際的ムラ八分の制裁が機能する規模が好ましいと考えている(p.96)。こうした、世界規模の統一した秩序への抵抗は同時に、著者を国際NGOの権力への批判へ向かわせている。秩序が国家・市場・共同体のバランスからなる限り、国家が世界的に統一された世界政府を持たないなら、市場、共同体がそうした体制を持ってしまうとバランスが崩れる。したがって、世界共同体の一つとして国際NGOは専制化の危険を持つと指摘される(p.98)。国際NGOが国家より強い力を持ってしまうと、国際NGOは民主的答責性(責任=応答可能性Response+ability)を持たないため、NGOの政治的責任を追求する実効的手段を持たなくなる。同じようなことは世界規模に拡大した国際的企業による活動(例えば大概の国家より規模が大きいExxonMobilによる資源開発など)、レバレッジをかけた巨大ヘッジファンドと国家の抗争(ジョージ・ソロスと東南アジア通貨危機)などに論を展開できるだろう。

    さてここまでの、自由概念を秩序概念に拠って論じるというのは本書が基になった1998年の論考である。実は補講として追加された討議ではまったく別に、正義概念を基底的理念として自由が論じられている。自由の秩序が拠って立つところも、正義の概念にあると論じられる。自由は様々な定義がされるが、例えば愚行権を思い出せば明確なように、「他人の自由を損害しない限り」思うがままをなすことができる、と論じられる。自由にはこうした「但し書きproviso」がつく。そしてこの但し書きの内容は正義の概念であり、よって、自由の概念は正義の概念を基底としてこそ成立するのである。
    「自由の概念の規定にこのような「正義の但し書き(Justice-Proviso)」を付加することが必要不可欠なのは、正義から独立に定義された自由は自己中心性を脱却できないからです。自己の「主権性」と自由の等置の否定や他者の自由への配慮は正義から独立した自由の概念には包含されておらず、むしろ、正義の先行的制約を外された自由は自己の主権的全能化と他者支配に向かう契機を内包しています。」(p.154)

    そして著者はこの正義概念を、自他の視点の反転可能性要請として分析し、「自己中心性の克服が正義概念の核心」(p.141)と位置づけている。正義概念の議論はロールズを始めとする既存の正義論を踏まえた批判となっており、またロールズ批判をもって真のリベラリズムの提唱へ至る。本論よりもレベルの高い議論となっており、ここだけではちょっと追い切れないものだ。

  • 本書は、筆者が『哲学塾』で「自由の秩序」について論じた連続講義の講義録となっています。前半部分では、自由と秩序の関係性についての筆者の主張が展開され、後半部分では講義の受講者とのハイレベルな討論が収録されています。

    まず前半部分は、「自由な社会」とは「良く秩序づけられた社会」であるとして、相反する語としてイメージされやすい「自由」と「秩序」の不可分な関係性が言及されることから始まります。続いて筆者は、バーリンの消極的自由・積極的自由の区別を参照することで、「自由」の概念そのものが抱えるディレンマや曖昧さを看破していきます。この辺りの厳密な考察には筆者独特の切れ味を感じました。そして最終的には、そのディレンマを解決する「秩序」の在り方が、国家・市場・共同体の相互の抑制・均衡として表現されていくといった流れになっています。

    ここまで読んで、正直に言うと、「自由」の概念に曖昧さを残したまま「秩序」を語る筆者の主張には説得されない部分があったのですが、それらの疑問は学生との討議が収録された後半部分で一部解消されました。
    ここでは、自由に先行する統制原理としての「正義」概念の意義が強調されていきます。筆者によれば、複数の「正義」構想が共有しなければならない普遍的原理としての「正義」概念とは、普遍化不可能な差別の排除を意味します。そしてこの「正義」概念の存在によって初めて、自由の自己中心性が統制され、「他者への自由」が実現可能になるといったようなことが述べられています。この辺りは別著に詳しいようなので、機会があれば読んでみたいと思います。

    以上が本書のかなり単純な要約ですが、やはり知りたいことを知れない不全感が残りました。恐らく筆者の思考についていけない自分の理解力の欠如が原因でしょう。
    ただ、この手の本を読むといつも思うのですが、自由論の多くは自由を語らずに自由の「条件」を語っているような気がします。そして現実の問題として残っているのは、自由と「個人の幸福感」の関係性を問うことのような気もします。本書がこれらの課題に応えていないわけではないのですが、私は答えには辿りつけませんでした。

    とりあえず、この本が「自由論」ではなく「自由の秩序論」であることを念頭に置きつつ、その点にこそ興味がある人にはおすすめできる1冊です。

  • 井上達夫氏の講義録。他の著作と違い,、講義形式で話を進めていくので、難しくなりがちな自由論に井上氏特有の軽妙さを交えられており、楽しく読めると思います。

    内容的にはそこまで深くなく、浅く広く井上先生の問題意識を網羅する、というイメージ。井上先生の自説をしっかり理解したい方はやはり「共生の作法」や「他者への自由」を読むべきなのでしょうが、これ一冊でも井上先生が主張する「正義を基底としたリベラリズム」の概要はつかめるのではなかろうかと思います。時間がない方や、法哲学ってどんなもんだろう、という人への入門書的な存在、という理解が正しいのかもしれません。

  • 2011.3.17

    正義は自由に先行する。
    普遍的主義的正義=普遍化不可能な差別の排除に基づくリベラリズム。
    国家と市場と共同体がそれぞれの暴走を抑制あって均衡を保つ。

    日本は、会社主義や、各種利害団体の特殊権益の調整に終始する政治など、共同体主義的専制に陥っている。

    法治国家と市場の適切な機能を目指していかなければならない。


    正義論関連の本を初めて読んでみた。
    こーゆー議論は、論点がすぐずれてくし、なかなか整理して議論するのが難しいんだろうなぁ。その点ではこの本は分かりやすかったと思う。もちろん自分が未熟で著者の論の展開の穴を見抜けてないのもあるだろうけど。

    一番のエッセンスである、「正義は自由に先行する」というのは、深く考えなければならない。世界システム論で、資本主義的世界=経済と、主権国家体制の限界を読んだ直後だけに、著者が主権国家体制の有効性をあらためて主張しているのは興味深かった。

  • マクロな視点で自由について論じられているので
    理解するのが難しかったのです。
    最後まで読んでなんとなくおぼろげに
    著者の考える自由とは何か
    自由の根底にある正義とは何かが
    見えてきたような気がします。

    国家などというマクロな視点で捉えると難しい話ですが、
    職場というミクロな視点で捉えてみると
    個人を持ち上げることによって起こる問題や
    権威主義が生み出す硬直性など
    話が見えてきます。

    そのマクロ視点で読んでみると
    なんとなしに著者の考える自由がみえてきました。

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著者プロフィール

東京大学名誉教授

「2023年 『法と哲学 第9号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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