加藤周一自選集〈2〉1955-1959

著者 :
制作 : 鷲巣 力 
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (430ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000283427

感想・レビュー・書評

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  • 今夏は「戦中日記の読み比べ」をした。有意義ではあった。日記は、歴史を検証する場合に常に「第一次資料」として使用される。そういう資料を基に、あの社会を、そして書いた本人のことを、歴史の中に位置付けるのは批評家の仕事である。

    私はその度に感想を織り込んで紹介した。それも批評ではあるし、そもそも膨大な日記の中からあの日を選んだのも、私の価値観を基にした批評である。当然相当不十分なものだったろうと予測している。せめて、その批評を側面から補論する為に本書を紐解いた。

    『ゴットフリート・ベンと現代ドイツの「精神」』(1957)
    前年に『日本文化の雑種性』を書いて、日本論壇に登場した加藤周一の岩波書店「世界」への投稿文書。ケストナー「終戦日記」翻訳者酒寄氏の言葉を借りれば、当時ドイツ文学者の3つのタイプ(亡命者、内的亡命者、迎合者)のうち、「迎合者」に当たるだろう。当時著作が日本で公刊されていなかったにも関わらず、加藤は縦横にゴットフリートの戦前・戦後の思想を翻訳・分析している。残念ながら、加藤の中にケストナーの文字は1度も出てこない。しかしここで分析された視点は「戦争と知識人」という力作に結実する。『ゴットフリート‥‥』はかなり難解な論文なので、私なりに乱暴に要約するとこうである。すなわち、
    「芸術至上主義は歴史や生活から離れて仕舞えば、容易にファシズム支持に変わってしまうだろう」
    本論文では展開していないが、あとがきで加藤は、日本の作家に当てはめれば「小林秀雄」であると告白している。


    「戦争と知識人」(1959)
    「騙されていたんだ」と自分のことを誤魔化すことのできない層を、加藤は知識人と呼んでいる。実際、今回文学者の日記を読んで、私もそのことに同意する。「とくに太平洋戦争が、満州事変以来とどめない冒険に向かってすべりだした軍国主義の結論に他ならないという事実は、もしその気さえあれば、知識人の誰にとっても、それを知るための材料は、見事に、完全に、日常茶飯、目の前に、遺憾なく出そろっていた」(←この書き振りに、加藤の戦争に対する「怒り」がある)。では何故知識人は「騙され」ようと望んだのか、此処では前半では特に「あの」高見順『敗戦日記』を材料にして展開している。

    ファシズムを積極的に支持していた日本浪漫派や京都学派、永井荷風に代表される「心底ファシズムを否定していた」人、と二つの層に分けるとすれば、加藤は高見順をその中間、しかも圧倒的多数の知識人の層に分類する。その精神の構造とは如何なるものか?

    当時の東京事情を熟知している加藤からしても、高見順の東京行きの頻度は「もはや執着以上の情熱とよぶほかな」いと言う。1月ー3月にかけて、交通事情が悪いのにも関わらず、浅草を歩き回るのは自分の小説を作ったものへの愛着であった。自らの仕事を大切にしたのだ。一方で「ヒットラーを好きになれなかった(5.9)」という高見順。戦争協力には消極的だったとしても「文学報国会」の中に組み込まれていたし、「小集団内部での約束や習慣や思考法を基礎にして、権力機構そのものを充分に批判」することは出来なかった、むしろ協力していた、と加藤は高見順を断じている。

    「如何なる価値が、この作家の精神において絶対的な意味を持ったのか」
    それは「国家、天皇、日本」だった。とりわけ、「日本」の頻度は突出している。この分析的に扱うことのできない「分かち難い全体としての「日本」」によって、彼は戦争に臨んだのである。終戦の日の玉音放送直前に、「《ここで天皇陛下が、朕と共に死んでくれとおっしゃったら、みんな死ぬわね》と妻が言った。私もその気持ちだった」という心境になるのである。
    「科学的な、論理的思考さえもが、日本の知識人にとっては、時と場合に応じては放棄し得るもの」となるのだ、と加藤周一は『敗戦日記』を読んで結論せざるを得なかった。(←私も8月19日の「立派になる要素は日本民族にはある」という高見順の言葉にガッカリきている)
    少し論理を省略するが、このような知識人は、集団の原則と個人の原則が対立するとき、加藤によれば、「個人の原則が貫徹することは、少なくとも根本問題においては少ないのである」。そうやって高見順は、1945年を過ごした。私には一つも異論はない。恐ろしいのは、インターネットで情報がここまで公開されているとき、現代においては一億総知識人として、同じことが起きそうな気がする、ということである。1945年の日本人気質と、2022年の日本人気質は違うと貴方は言うかもしれない。ホントにそうか?現代日本人の何%が(同調圧力でSNSで発言が監視されているような時代になった時に)「僕はそう思わない」と公言できるだろうか?

    高見順より少しマシな文学者として、加藤周一は中野好夫を俎上に乗せている。中野好夫は高見順と同じく文学報国会で活動したが、しかし彼は可能な限りの道理にかなったことをやろうとした。中野好夫はのちに書いている。「やり場のない不満を軍部の方針に対して抱きながら、しかもついに祖国日本というものへの超理性的な心情故に、みすみす破滅を予知予感しながら滅びの道を同行した」「一度として聖戦などとは思ったこともない」「書いたこともない」しかし「私は決して傍観」はできない、「一国民の義務としての限りは戦争に協力した」。中野好夫は(おそらく堀辰雄や宮本百合子を)「ニヤニヤと傍観していた」と難じた。それに加藤周一は同意していない。ただ中野好夫のような覚悟なら、戦後の民主主義のために力を注ぐことは理にかなうことになるだろう。

    その他、知識人と戦争との関係を何人か俎上に乗せて加藤周一は語っているが、決して彼らの戦争責任を問うことが目的ではなかった。加藤周一の問題意識は別にあった。

    外来思想を武器にして、明確に反戦思想を持ったのは、外国留学者や共産主義者だった。そうして外来思想と土着文化との関係、戦争のような実生活が要求する束縛と思想との関係、その可能性を探るのは、その後の加藤周一の大きな仕事になってゆく。ここでは到底要約・紹介できるものではない。

  • 22/4/12 75 広くて深い

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著者プロフィール

評論家。「9条の会」呼びかけ人。

「2008年 『憲法9条 新鮮感覚』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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