- Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000287517
作品紹介・あらすじ
いま、なぜ日本の安全保障を問い直さなくてはならないのか。これまでの議論には何が欠けていたのか。現在と将来の日本の安全保障を考える際におさえておくべき文脈や課題を多面的に整理。安全保障に関する論理の転換をはかる必要性を示しつつ、シリーズ全体を貫く問題意識と視座を提示する。
感想・レビュー・書評
-
遠藤誠治・遠藤乾両編者による序章と二論文で、安全保障をめぐる日本の論調は左右に分極化して行き詰まっていることを述べた上で、従前の国家中心の安全保障観から「人間中心の安全保障」へ、というシリーズ全体の主軸を提供している。しかし同時に、中国・北朝鮮を抱える東アジアの現状とのずれが無視されておらず、シリーズのうち数冊ではむしろ積極的に取り上げるとしている。その上でなお両者の論文では、日本の安全保障を専ら東アジアの状況に引き付けて語ることの危険性や、安全保障は軍事力によってのみ達成されるわけではないことを指摘している。
ほか、いくつか備忘録。
・中西寛論文。近代以降の東アジアで、伝統的国際秩序から近代型国際秩序に転換。戦後は冷戦構造に組み込まれた日本の安全保障。最後に、冷戦の終結は冷戦期の枠組みを破壊し国家単位での安全保障の要求を高める要因となった一方、安全保障の国際化や非国家性の重要性を高める要因ともなったという二面性。
・川島真論文。軍事・外交政策・経済・中国国内政治という日本にとっての4つの中国の問題(ただし、中国国内のガバナンスから生じるように、必ずしも中国(当局)の故意に基づかないものも)。中国の主導性を強化しようとする周辺外交の中で日本の存在が挑戦・障害となる可能性。
・山田哲也論文。日本の国連観は集団安全保障措置である国連の実態から遊離し、専らリベラルな制度として語られてきたとの指摘。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
伝統的な国家、軍事安全保障への批判の輪は広がり、その裏返しとして議論の射程は確実に拡張しつつあった。
安全保障という価値は有事の際には優先されなければならない。
総合安全保障論と並行して、1970年代に積極化したのは、アジア太平洋地域協力構想だった。冷戦構造と日米安保体制下で、戦後日本はアジア地域で自らが占めるべき地位について体系的政策を表明していなかった。
冷戦構造が消滅して大国間の協調が可能になれば、国連を通じた集団安全保障が機能する余地は高まるし、湾岸危機への対応は一応それを証明するもだった。