ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書)

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著者 : 國分功一郎
  • 岩波書店 (2013年6月19日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000291019

ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書)の感想・レビュー・書評

  • 非常に難しかった… けれど、読めてよかった。
    哲学の本を読み慣れてないせいで、用語がいちいち難しい。けれど、一つ一つの言葉が厳密に使われているので、ゆっくり丁寧に読んでいくと意味がわかる。数学みたいに言葉を解き明かしていくのが、哲学本の読み方のコツなのかなぁ。

    ドゥルーズとガタリの協働作業が非常にクリエイティブだと思った。ドゥルーズは、新しい対象に出会い、その対象との関係性の中で自己更新を図る。ガタリと協働で本を書く前からも、特定の哲学者や作家を対象に据えてそれをやろうとしていたのでは。

    自分もデザインを15年ほどやり続けてきて、だんだん自分の中から出てくるものだけでは飽きてくる。他人と協働したり、新素材や新技術を使ったりなど何でもあり得ると思うけれど、新しいものを生み出すには新しい対象と出会い、関係をし続けるという方法しかないのではないかと思った。

  • ジル・ドゥルーズが日本で紹介され始まったのは私の学生時代だったように思う。
    恐らく多くの人がそうだと思うが・・・当時流行していた浅田彰から入ったためか、「器官なき身体」「強度」「逃走線」「欲望する機械」「戦争機械」「リゾーム」等々、いきなりろくに解説なしで登場する派手な諸概念を目の当たりにして、わかったような、わからないような。
    あれから30年。偶然手にしたドゥルーズ解説本。
    順序だてて説明してくれているので、ようやくドゥルーズがワカッタゾ!
    という気になれたという点で、とても良い本です。

  • 登録番号:7

  • 全て読むのに三週間ほどかかったけど、一ページも飛ばさずに読み切ったことに達成感を覚え、また自信もついた。
    と同時に最初から最後までずっと感じていたのは、國分さんの文章力の高さと、僕ら非専門家が多数を占める読者に対しての配慮の多さ。
    文章を最後まで自明性に押し込まず、定義したあとに説明を書くという作業を終盤まで続けているのは凄いと思った。とにかく単純にすごく面白かった。
    内容的には、ドゥルーズ=ガタリ辺りからなかなか理解が追いつかなくなった。特にフロイトが大なり小なり絡んでくる箇所は難解だった。
    結局、理解が多少追いついたと思った箇所も『気ままな願いの受け皿』として理解してしまっているのだろうけど、それでもドゥルーズを明確に、あるいは精緻に理解しているのが何人いるのかと考えると、そこは今は気にせず、学び続けようと思った。

  • なぜドゥルーズがガタリと組んで本を書いたかがわかってすっきりした。

  • 労作。
    読解と背景説明が恐ろしく丁寧。書いていて馬鹿らしくならないのだろうかというぐらい丁寧。

    ドゥルーズがガタリと共著を書くに至った思想的経緯をたどる。
    構造主義を乗り越えるまでの長い道のり。

    (追記:そう、彼の哲学の「生成」をたどる作業だというのが、非常に画期的だと思う。)

  • ドゥルーズとドゥルーズ=ガタリとをしばしば混同してきたDz研究に対して、Dz→Dz=Gという理路を解そうとした書。
    丁寧に辿るという意味では新しいのかもしれないが、
    別段新しいドゥルーズがそこにあるわけではない。

    「欲望」が人間の中心にある、ということは特に問題はないのだが、それをリードする方法が「精神分析」というのでは、危うさを感じるところではある。
    確かめようもないファンタジー的な装置になっていて、
    どうしてという妥当性の検討ができないようになっている。そして何よりもそのために非常に機械的なロジックで構成されてしまう。

    これは、Dz→Dz=Gという道筋をつけることが本書なので、核心たるDz=G論は次回作に先延べになっていて、
    國分さんの論の全体はまだわからない。

  • 『暇と退屈の倫理学』などを読んで、他の著作も読んでみようと思って手に取ったが甘かった
    さっぱりわからん

    勉強してからもう一度読んでみる

  • はじめにのジジェクのくだり、最終章のフーコーのくだり、大変刺激的で面白かった。ずいぶん久しぶりにこういうものを読んだけれど、やっぱり楽しいな。

  • 何しろ哲学書というものを読破した事がなかった僕にとっては読み応えがありすぎた。一つ一つの用語の意味から辞書で引きながら読まないと文意を理解できない。さらには、その背後には膨大な哲学史的背景がある。しかし、哲学に対しては大きな興味を持った。そしてドゥルーズが提起した問題、「人々は何故自ら抑圧されることを欲するのか」ここに大きな興味を持った。

  • わたしはサラリーマンという職業柄、何かを上司や顧客に説明することが多いのですが、簡潔に説明するために「要するにどういうことか」を延々考えた結果、逆にわけのわからない話を展開してしまうこと、また「そもそも問題はなんだったのか?」がわからなくなることが、たまにあります。

    一般に哲学者の著作は、「突き詰めてわけがわからなく」なったあたりでお話が始まり、「そもそも何が問題か」ということは彼方に追いやられている、という印象があります。そしてドゥルーズ、ドゥルーズ=ガタリの論考も同じことが言えるように思います。

    前単著『暇と退屈の倫理学』で一躍ブレイクした若手研究者である著者が、ドゥルーズの哲学を「方法・原理・実践・展開・政治」の5つに分けて、段取りよく解説しています。わたしは本書を読むことにより、ぼんやりとではありますが「問題設定」と「論点整理」ができたため、ドゥルーズ=ガタリの著作の読解における効率が大きく上がりました。

    本書の特に優れたポイントは、きちんとした定義の積み重ねによって議論されており、本書だけで完結している点です。「分かりやすい説明」を目論むその文章自体が異様に難解になってしまう類書と異なり、他の解説書を当たらなくとも読み進めることができます。

    「そもそもの問題点」を把握する上で、わたしが重要と感じた指摘は下記のような点です。

    ・哲学者は神々について説く代わりに、「自然」について説く。自然」は区別を教える概念であり、「魂の動揺をもたらす神話 (際限なく増大する不安・恐怖とそれに対する宗教・迷信="権力者の友")」から人々を解放するために必要なもの
    ・社会の傾向を指摘して満足するのではなく、変革のための筋道(逃走線)を提示することが必要
    ・「発生」、「欲望」、「偶然性」、「要素・分子(=細部?)」に重きを置かねばならない(「先験的」、「権力」、「合理性」、「大域的」・・では"なく")

    通勤電車の往復で読める!とは行きませんが、じっくりと精読する価値のある一冊です。

  • 第Ⅰ章、自由間接話法的ヴィジョンーー方法、、ヒューム
    第Ⅱ章、超越論的経験論ーー原理、、カント、ライプニッツ
    第Ⅲ章、思考と主体性ーー実践、、ベルグソン
    第Ⅳ章、構造から機械へーー転回、、フロイト、ガタリとの共著
    第Ⅴ章、欲望と権力ーー政治、、フーコー

    哲学史を復習しながら、ドゥルーズについて少し分かった様な気になる、とても優れた入門書だと思います。第Ⅳ章はちょっと頭に入りにくく、何を言ってるのか分からないところが多かったです。それでも、この内容!感動しました。

  • 非常に丁寧な議論で、文章も平易で、
    あっという間に読み終わってしまった。
    カントの超越論をヒュームの経験論で乗り越える、あるいは、フロイトの死の欲動を乗り越える、ラカンの対象aを乗り越える、フーコーの権力論を乗り越える、といった具合に、これら一連の作業に通底しているのは、同一的な拠り所を措定せず、常に「発生」を問おうとするドゥルーズの姿勢である。

    各章の最後には必ずその章で展開された議論のまとめがあり、新しい章へと導入すべく次なる問題が挙げられている。新しい章でも、冒頭は前回のおさらいをし、それを受ける形で本章で考察すべき問題点を確認する。
    論文執筆のいろはなのかもしれないが、こうして印象に残るほどにそうした作業がきっちりなされていると思った。これが本書の読みやすさに繋がっている。

    丁寧で平易な本は、難解で修辞を凝らした本に勝る、あるいはそうした本こそが本来の哲学の理念に適っているとさえ言える、と思った。

  • ドゥルーズだけでなく、フーコーまでわかった気にさせてくれる不思議な本だ。
    いや、さらっとカントに言及しても、カントはこんな考えだったんだ・・・とすっと頭に入る。
    このわかりやすさは、著者が相当な理解、深い理解にあるからだろう。
    まだまだ「入り口」といわれるが、いままで名ばかりでしか頭に入らなかったドゥルーズをこれだけ地と肉にしてくれたこの著書には感謝している。
    さらなる理解を深めたい。

  • 今まで読んだドゥルーズの解説書のなかで、自分にとっては最も解りやすい秀逸なものだった。評判通り知的な興奮を呼ぶ一冊。カント、ラカン、フーコーを乗りこえていったドゥルーズの哲学を非常にわかりやすく、理論的に説明する。赤丸急上昇の國分先生、さらに好きになりましたが、最近表の仕事が多すぎ?などと余計な心配してます。

  • ドゥルーズの哲学について、深く書いてあり、難しいところもあるが、少しずつ読み進め、ドゥルーズの哲学を少しでも理解したい。

  • 当時、知的ジャーゴン扱いされていた『アンチ・オイディプス』を、東京に出張した際買い求め、宿舎で読み始めて当惑したのを思い出す。仮寝の伴になるような手合いではなかったからだ。それにも懲りずに、『千のプラトー』、『差異と反復』、『哲学とは何か』と、決して読みやすくはない書物を買い続けたのは、何とかして読み解きたいという思いが強かったからだろう。それにしても『差異と反復』を手にしたときの違和感は、いまだに忘れられない。今思えば、あれが、ジル・ドゥルーズとドゥルーズ=ガタリのちがいだったのだ。

    本文は、五章に亘り、逐次的に発表された論文を追いながら、それぞれを解説し、ともすれば難解と思われがちな哲学者ドゥルーズの実像に迫ろうとするものである。丁寧な読み取りでドゥルーズ哲学を風通しのよいものにしてくれている。哲学者ドゥルーズの入門書として、最適の書物であるとともに、人間ドゥルーズを知る上でも外せない一冊になっていると思う。

    第一章「自由間接話法的ビジョン…方法」では、他人の哲学を語りながら、なぜそれがドゥルーズの哲学たり得ているのかという謎を解く。第二章「超越論的経験論…原理」では、ヒュームの経験論を援用してカントの超越論の限界を超え出してゆくドゥルーズ哲学の原理に触れる。第三章「思考と主体性…実践」では、『プルーストとシーニュ』を用い、思考というものは強制されないと生まれないという思いがけない指摘と、思考を習得するための方法について論じている。第四章「構造から機械へ…転回」は、いよいよガタリとの出会いから、構造主義に飽き足らない思いを抱いていたドゥルーズが分裂分析という方法による『アンチ・オイディプス』を発表する時期に至る。そして最終章では、ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』を中心とする権力論を批判することを通して権力ではなく欲望が人を従属させていることに気づいてゆく。

    著者は、まずジル・ドゥルーズという哲学者の像を明らかにするところからはじめている。それは、ドゥルーズという哲学者が、ある立場の人々からは、エリート的で非政治的な人物と見られる一方で、別の立場からは政治的な人間とも見られているという問題があるからだ。何故こういうことが起きるのかといえば、ドゥルーズには、ドゥルーズ一人の名で書かれた書物とフェリックス・ガタリとの共著という形で著した書物の二系列が存在するからである。

    もともと、ドゥルーズという哲学者は経験論哲学者であるヒュームを論じた論文でデビューしている。その後もスピノザ、ライプニッツなど過去の哲学者を取り上げて、その哲学を論じることで自分の哲学を見出すというスタイルの哲学者であった。『差異と反復』は、そのような形式で書かれている。

    ところが、あるとき、知人に当時積極的に政治活動を行っていたガタリを紹介される。話を聞いたドゥルーズは、その精神分析を基にしたアイデアに魅了される。そこで、ドゥルーズはガタリにアイデアをメモにすることを奨励し、二人で話し合ったことを論文としてまとめ、共著という形で世に問うた。『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』がそれである。「欲望する機械」や「リゾーム」、「ノマド」などのキイ・タームは人口に膾炙し、世を席巻することとなった。

    喘息の持病を持ち、あまり身体に自信のなかったドゥルーズは、パリの自宅で執筆し大学で講義をするという習慣を生涯変えなかったという。初期ドゥルーズをよく知るフランスの学者仲間と、刺激的な問題提起が話題を呼ぶ大著でその謦咳に接したアングロ・サクソンを中心とする外国の学者、知識人とでは、ドゥルーズ受容に差があったわけだ。それが災いして、エリート的で非政治的なドゥルーズと政治的でアクティブなドゥルーズという異なった哲学者像が生まれることになった。

    著... 続きを読む

  • もし、ドゥルーズやドゥルーズ=ガタリの著作や解説書を今まで読んだ事があって、理解できない、あるいは、煙に巻かれてる感じが否めないと感じていた人で、でもドゥルーズやドゥルーズ=ガタリには、自分にとってかけがえのない何かがあるはずとも感じている人なら誰でも是非読むべき著作ではないしょでうか? 本当に久しぶりに哲学系の著作を一気読みしました。(とは言っても、読み通すのに時間はかかったのですが。)

    ドゥルーズが何を目指して哲学を行ったかというプログラムを意図と手法と実践の観点から、とても明晰で解り易く(簡単という意味ではないですが)整理されており、自分の感じでは、日本で初めて文学的な曖昧さに逃れない「哲学」としてのドゥルーズの解説書が現れたのではないかと思います。

    あまりに手際よくキレイに整理されているので、その全体の論旨は是非とも各人に辿って欲しいのですが、その中でも自分の関心は、ドゥルーズが、その哲学プログラムで「どこ」に到達し、その中の「なに」に問題を感じ、それをガタリとの協同作業で「どう」打ち破ろうとしたのか、という所にあります。この論点は、もちろんこの著作でも主軸に据えられています。

    最初に『差異と反復』を読んだ時に、自分自身の実感と実によくなじむドゥルーズの「思考」に関する考え方があります。「思考」は主体的・意図的に行う事はできない。通常人間は思考などしたい訳ではなく、受動的総合という至福の中で思考とは無縁に生きている。しかし「出来事」として「シーニュ(記号)」と出会ってしまった人は、思考を強制されてしまい、思考せずにはいられない。つまり人に思考を促すのは、主体的な能力などでは決してなく、出来事としてのシーニュとの出会いによる暴力的な強制であり、だから、哲学がその概念の要素として検討しなければならなのは、主体でも意識でもなく「出来事」なのであると。この「考えずにはいられない。」「何か自分の意思とは無関係に何かが自分に考える事を強制してくる」感じは、実は、誰もが普段経験している実感ではないかと、少なくとも自分には素直に当てはまる事実だと感じます。

    そして、この暴力的なシーニュとの出会いから真に思考を作動させるには、もちろんただ待っていれば良い訳ではありません。もうひとつの重要な要素は「習得」です。即ち「長い時間をかけて、いつか出会うことになるシーニュの読み取り方を習得しなければならない。」という事です。有名な『差異と反復』での海での泳ぎ方の習得。泳ぐという事は、泳ぐ事とは似ても似つかない、水や波というシーニュを読み取る事であって、それは教育され習得されねばならない。これも、みんな普段体験的に知っていて、日々起こっている事なのだと、少なくとも私は実感として感じます。

    では、ここでドゥルーズの哲学にとって「なに」が問題になるのか? ドゥルーズにとっ哲学とは「新しい概念の創造」であり、そして、この出来事によって強制された思考から「新しいなにか」が「概念の創造」として生まれるためには、主体的・意識的に目的された思考とは別のなにか、謂わば、「主体的には失敗した思考」がなされねばならない所にあると、著者は語ります。そして人は「この積極的な失敗を目指す」事は原理的にできない。ここに、哲学として「新しい概念の創造」を目指すドゥルーズにとっての問題が、例え「シーニュの読み取り方の教育と習得」があるとは言え、結局「なるようになるしかない」との違いは、結果的にはないのではないか?という疑問に答えられないという問題が生じているのです。

    そして、この問題点を打ち破るべく、ドゥルーズはガタリと共に「ドゥルーズ=ガタリ」として、実験を遂行し、新たな地点へ到達する事になると著者は語ります。実は、この部分は、とてもとてもスリリングです。私... 続きを読む

  • 独学でドゥルーズの哲学を勉強したくて、いくつか入門書を読んだ。哲学について全くの素人である私としては、本書がそのなかで一番わかりやすく、かつ誠実なものだと感じた。
    初めてドゥルーズという哲学者の姿が見えてきたような気がする。(もちろん、著者が別の翻訳本の後書きで注意を促したように、テクストそのものにあたることをしなければ何もわかったとはいえないのだが)
    とくに、著者のヒット作『暇と退屈の倫理学』と同じような、明快な論理構成とテンポのよい展開に引き込まれた。これは、著者の素晴らしい才能の一つと思われる。
    かといって、分かり易すいが曲解や論のショートカットが著しく感じとれる、ということは全くない。
    難解なテクストをじっくりと紐解いていく過程がよくわかり、読解の方法そのものとしても、個人的にはとても参考になった。

  • ドゥルーズが何と言っているかを解読するのではなく、何を問おうとしていたのかという視点から書かれた本書は、だからこそドゥルーズを読解した本として最良の本だと思う。実際、これほどに「ドゥルーズの考えがわかった気がする」という読後感を覚えたドゥルーズ本は初めてだった。國分さんの書き方も絶妙で、ドゥルーズの問いをめぐる推理小説のようにも読めた。あとがきにあるようにこれで終わりではないということ、こちらももっと読みたいという気持ちを込めて、星は四つで。

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