- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000291125
作品紹介・あらすじ
仏教には本来、社会倫理的な実践が大きな要素として備わっていた。近代的な宗教観のもとで見落とされがちだった日本仏教の倫理性・社会性の側面が、現代社会の中で再び顕わになりつつある。本書は、「正法」理念に着目しながら、日本仏教の実践思想の系譜を捉え直し、宗派主義の枠を超えた新しい日本仏教史像を描く試みである。
感想・レビュー・書評
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専門でないからか,主張したいことがいまいち理解出来なかった。
でも,和辻哲郎の「慈悲の道徳」に関する引用は掘り出し物だった。すなわち,念仏宗と「愛の神への絶対帰依たるキリスト教」,禅宗と「さとりを中核とする覚者の教え(仏教)」,法華宗と「コランへの絶対信頼と端的な征服とを特徴とする絶対服従の宗教(イスラム教)」。
浄土系とキリスト教の類似は前から何となく感じていたけど,既に指摘されていたのは知らなかった。
もうひとつ。
「選択本願念仏集」は,末法思想によって絶対他力が生じ,それと同時に正法への回帰は放棄される。世界への認識が頽落的であり,「罪悪生死の凡夫という痛切な自覚を通して,末法思想は時期相応の絶対他力による救済という思想に至りつく」。
これはまさに宗教的経験の諸相でJamesの指摘したConversionのプロセス。
教義から社会倫理を述べていたけれど,教義の表面にとらわれずもう少し根本から調査してみたい。どの宗教にも形は違えど同じ倫理を重視している,ということをレヴィ=ストロースみたいに。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
新興宗教にはいかがわしさを感じてしまいますが、「正法」という社会倫理的考察からは、むしろ正統派なんだなぁ。
鎌倉仏教から末法仏教となり、浄土宗を始め、仏教は本来の(原始仏教の)姿ではなくなってきた・・・・。
日蓮宗、創価学会、立正佼成会などについても、頭の中が整理できました。
とても読みやすい学術書??でした。 -
仏教の読み方は色々ある。著者は「社会倫理」という共同の場や公領域における倫理を扱い、日本仏教を宗教学としてとらえなおす。研究書ではないが学術書と著者があとがきで書いているところが面白い。
佐々木閑の『出家とはなにか』(佐々木閑、1999)に問題意識を共有しながらも、「この本ではなぜ出家がなされなければならないのかの思想については、正面から問われない」と批判する。日本仏教とは何かを考えるためには戒律とともにシャカの原始仏教との違いが日本でどうして生じたかが説明できなければならない。原始仏教の成立を追いかけることだけでは足りないという著者の主張は明快である。
中村元の『宗教と社会倫理』(中村元、1959)を「仏教の社会倫理について考察する上で、きわめて重い意義をもつ」と評価しながらも、「仏教の社会倫理を理解する上で「正法」の理念が重要であることを示したが、他方では「慈悲」こそが仏教倫理の中核だとの理解も示していた。そして、「正法」と「慈悲」の関係には注意が向わず、その後「正法」への感心は後退していった」という。
ここまでくると、和辻哲郎の『日本倫理思想史(上下)』(和辻哲郎、1952)の影響を考える著者の主張も説得力を感じることができる。ただし、これは著者も書いているとおり「寄り道」だ。後半は「正法」理念から、日本仏教を追いかける。
現代と向かい合うための書物であることは間違いない。