- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000610278
作品紹介・あらすじ
いま、被災地はどうなっているか-。宮城・岩手、そして福島。被災地で起きている「上から・外から」の「創造的復興」。民営化、特区、第一次産業への企業参入、大規模店舗の進出など、震災を「千載一遇の機会」として、公共が襲撃されている。「社会実験」にさらされる被災地を、地を這う取材で報告する。
感想・レビュー・書評
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ショック・ドクトリンとは惨事便乗型資本主義、つまり、戦争、津波といった大惨事、ときにはそれらを意図的に招いてまで、そこから経済的利益を挙げようとする過激な市場原理主義改革のことだそうです。カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインのルポ「ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く」(2007年、邦訳は2011年 未読)が30ヶ国語以上に訳され、世に広く知られるようになりました。
「復興の大義名分が風化しないうちに、仙台空港を生かしたカジノをはじめとする新たな取り組みを行う必要がある」
カジノ推進シンポジウムにおける、早稲田大学教授戸崎肇のこの発言が、すべてを物語っています。この人にとって、復興は大義名分でしかありません。また、「風化」という言葉を何と冷酷に使うことか。
「創造的復興」「日本の再生なくして、被災地の再生なし」
響きはいいのですが、実はこうした文言は、被災者のための復興予算を、復興とは関係のない「創造」や、「日本の再生」の旗印の下、被災地と無関係のことに流用するために周到に考え出されたものでした。本書は、「創造的復興」原点の地である神戸から東北へ続く道筋を辿りながら、最も不幸な人すら商売道具にしていくこの国の官僚、経済人の様子を、抑制された筆致で報告していきます。
家族や愛する人、生まれ育った家、職場等、すべてを失い、失意のどん底にいる被災者を実験の材料とする医師(第1章 被災地の遺伝子研究)、未曽有の大災害を千載一遇の商機ととらえる政治家(第7章 被災地カジノ協奏曲)、本書は扱っていませんが、被災地の真の意味での復興に大きくブレーキをかける東京オリンピックも、本質的には同じ発想で呼びこんだものでしょう。
人間の冷たさ、醜さをあらためて見せつけられ、読んでいてやりきれない思いになりますが、事実と向き合うところからしか、未来の希望は生まれないでしょう。
福場ひとみ氏の「国家のシロアリ」ともども、是非多くの方に読んでもらいたい本です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ショック・ドクトリンについて、興味があり手に取った。
東北が震災もまたショック・ドクトリンとリンクしていたのか。
災害が起きると、復興という名の元、弱社を食い物にする市場原理主義者達が押し寄せる。そこは実験場になったり、不都合な法を通したり。
東北大学が、日常医療と商品券1000円と引換に被災民のゲノムデータを収集していた事に驚きであった。
災害が起きると、政府や、大企業の動きをしっかり監視しなければならないことを教えてくれる。
暗躍する知事までの話が、書かれていたが、同時に裏で通過した法や、もっと上の内閣の思惑も本来はつながるはず。そこまで調べて書いて頂けると本当はよかった。
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「ショック・ドクトリン」とは、市場原理主義者、ミルトン・フリードマンが唱えた「真の変革は危機的状況によってのみ可能となる」という考え方を、カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが批判して付けた呼び名だそうだ。「奇貨の都市計画」とか「ディザスター・キャピタリズム(惨事便乗型資本主義)」とか、初めて聞く言葉がいろいろ出てきた。復興のためと言うそばから、「千載一遇の機会」とか「『復興』の大義名分が風化しないうちに」という台詞が聞こえてきたら、確かに、本心は別のところにあるのではないかと疑いたくなる。災害が起きたら、とにかく急いで何かしなければならないと思うのは、人として自然なことだと思うが、良かれと思ってやったことが、被災者にとって良いこととは限らない。どんなことでも、いろいろな立場から見なければいけない。当たり前のことだが、つい忘れてしまう。2015年5月3日付け読売新聞書評欄。
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復興の下に計画される、地域や住民の望む形からはかけ離れた行政による理想と営利企業のエゴの押しつけ。
自然災害によって更地になったのを“理想の”街を創る絶好の機会とばかりに蹂躙していく。
ショッキングな内容でした。 -
『大災害の混乱に紛れ、これまで実現が難しかった大規模な改革を一気に推し進める。ーーまさしくこれは、典型的なショック・ドクトリン、惨事便乗型資本主義ではないか。』
明晰な文章で、内容も整理されているのでとても読みやすい。
にも関わらず、度々、少しの中断を置かなければ読み進められなかった。
たまらない気持ちになって。
あれだけの災害に見舞われた土地の人たちにあれこれとつけ込む、そんなことよくできるよ…良心とかないのかよ…。
しかし、弱い立場にある人を利用する、こんなことがまかり通っているのには、私にだって責任がある。
災害が起きたその後も、真っ当な政策が行われているのか、被災地外の市民は見張っていなければならなかったのだと思うし、日本全体を動かす政治や経済が弱者(被災地に限らず。そうしておけば、震災の後に被災地ももっと助けを得られたのだから)救うものにして来なければならなかったのだと思う。
東日本大震災どころか、阪神・淡路大震災も見かけだけで本当はまだ復興されていない、という神戸からの言葉が突き刺さった。 -
東北メディカル・メガバンクなるプロジェクトで、被災地でゲノムのデータを収集しているっていうのは知らなかった…。Webサイトも見るからにお金がかかっていて、ここに多額の復興予算が使われているのかと思うとガックリする。