- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000904148
感想・レビュー・書評
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中期末「パルメニデス」は、プラトン自身のイデア論批判の対話篇として知られている。
〈イデア〉そのものの多重性や不可能性、不可知性、事物への不関与性などが挙げられている。そして、イデアとしても、1)善などの徳のイデアはあり、2)人間や火のイデアが微妙で、3)毛髪などのくだらないもののイデアは存在しない、とソクラテスは言う。
こうした問題提起ののちに、その反駁の具体的なパフォーマンスとして、「予備練習」と称して「言葉の上ではどうとでも言える」という論理学がパルメニデスによって延々と披露される。
イデア論の核心はどこにあるのか?
多様な意味としてそれぞれに生じうる現象にたいして、どう考えれば、多くのひとにとって共有できるものとなるか、という問題設定のために要請されてきている。現象界に対して、本質的な叡知界を設定することで、本質はちゃんとあるし、虚無に陥らなくていいのだ、ということにある。
イデア論が陥った失敗は、〈イデア〉を起源としてあるいは実体的に想定することに由来する。
むしろ、或る概念や価値が、なるほどと思えるような、そして「妥当だ」と肯けるような条件は何か、と1つ1つ確認しながらあぶり出そうとすることに、イデア論の意味がある。
事後的と言っても、まったく無から生成されるのではなくて、たとえばハイデガーが言うような「前‐了解」という段階がある。
言葉によってはっきり把握していないけれども、頭の中でぼんやりと思っていることが存在している、こういう状態が前提となっている。
だから、ソクラテスはじぶんの問答法の技術を、産婆術だと称した。
あいてがもっている概念を、じょうずに質問していくことで、生みだす技術だっていう。詳細をみるコメント0件をすべて表示