やかまし村の春・夏・秋・冬 (岩波少年文庫 129)

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784001141290

感想・レビュー・書評

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  • ★4.0
    シリーズ2作目。前作と同じく、中屋敷の末っ子・リーサの視点で綴られる、やかまし村の春夏秋冬。夏は湖に浮かぶ島で海賊ごっこ、冬は氷が張った池でスケートと、常に自然とともに遊ぶ子どもたちが、何とも無邪気で本当に可愛らしい。時に「子どもたちだけで大丈夫?」と心配したりもするけれど、私の子ども時代も探検と称して無茶をしていたな、と懐かしく思い出したりも。そして、常に仲良し小好しな6人ではなく、意地悪をしたり喧嘩をしたり、常に自然体な姿を捉えるリンドグレーンの目線が微笑ましい。シャスティンの成長も楽しみ。

  • 子ども時間をのびのびと生きる子どもたち。スウェーデンの四季の美しさや生活の様子の描写がたまりません。日本のパパやママや先生には?????の子どもたちの姿かもしれませんね。子どもを変にいじらない大人の姿から、スウェーデンの豊かさが感じられます。帰りたいよ~。

  • やかまし村シリーズ第1作。住んでいる6人の子どもたちのうち、8歳になるリーサの視点で書かれている。電子機器のない時代の子どもたちの様子が素敵な挿絵と共に生き生きと描かれ、子ども時代に夢見た生活を思い出させる作品。ゲームやパソコンとにらめっこの今の子どもたちにもぜひ読んでもらいたい。

  • これほどまでに分かりやすい四季は、日本だけかと思ったら
    そうでもないという事が判明。
    いやでも冬がすごいだけ?

    また色々食べ物が出てきて美味しそうでした。
    そして新しい住人誕生!
    こうして人数が増えていくのはいいのですが
    ふと別な事に気が付きました。
    お手伝いさんは、住み込み?

  • 北欧ってとても素敵そうなところだ、と思い、いつかやかまし村へ行くと思っていたよ子供の頃。

  • アンナとリーサは、遠いお店までお買い物。買うのは、いちばん上等なあぶりソーセージ1本、しょうが一袋、アーモンド100g、イースト200g・・・。紙に書かないと忘れちゃう。

    (『キラキラ子どもブックガイド』玉川大学出版部より紹介)

  • こんなに楽しい、のびのびとした子ども時代を送れたら素晴らしいてすね❗
    子育てする時に、こんな環境を提供する大切さを大人は頭に置いてもらいたいな。
    おじいさんを大事に思う様子に胸を打たれます。

  • スウェーデンの春夏秋冬を楽しむ子どもたちの姿。

    クリスマスに始まり、そり遊び、大晦日、新年のパーティー、スケート、4月1日、復活祭、雨など季節折々のイベントが描かれている。日本と異なる習慣を知って憧れた。

    ショウガ入りクッキー、レモネード、カステラなど出てくる食べ物のすべてが美味しそうだった。今では食べたことがあるものもあるが、ここに描かれているものより美味しいことはなかったと思う。今でも「いちばん上等なあぶりソーセージ」はどんなに美味しいだろうと想像する。お使いに行ってみたいし、食べてみたい。

    オッレの妹ケルスティンが生まれたところは、たびたびリーサが優しいと言及していたオッレの優しさがよく出ている。オッレが妹を可愛がるのに嫉妬する犬スヴィップは、前の巻で意地悪な靴屋さんに飼われていたものをオッレが優しくして懐かせ、もらってきた犬である。オッレは嫉妬する犬にもきちんと愛情を注ぎ、嫉妬しなくていいようにする。優しいオッレも、それに気付くリーサもいい。

    おじいさんの80歳の誕生日を祝うところでは、少々歴史を感じる。きっと苦労してきたおじいさんが、孫娘のアンナに死なないでと言われてちゃんとした返事はしないところ、戦争の記事ばかりの新聞で80歳の誕生日を迎えたことが記事になっており、それを繰り返し読むところ、戦争がやってくるかとのボッセの質問に、おじいさんが「神さまが、ちっちゃなやかまし村をかばってくださるだろうよ。」と答えるところ。ここは小さい頃からなぜか悲しくなってしまう。やかまし村で過ごすリーサたちには想像もつかない時間や世界が、この物語の背後にもあるのだ。そう思うと途方に暮れる。

    大人になった自分は、その後で子どもたちが語る将来の自分たちの姿に、おじいさんと一緒に「ほう、ほう、そうだ、そうだ。それまでには、なん年もかかるよ。ほんとに、子どもだっていうのは、いいもんだなあ。」としみじみした。もう子どもには戻れないし、やかまし村のような生活はできないが、だからこそやかまし村の物語はいつも輝いている。

  • のどか。とても。

  • 【やかまし村の春・夏・秋・冬】
    【やかまし村はいつもにぎやか】
    アストリッド・リンドグレーン著、大塚勇三訳、岩波書店、2005年、2006年

    リンドグレーンの「やかまし村」3部作の2,3冊目。
    原作はそれぞれ1949年、1952年に出版されている。

    「水の精を見に行きました」
    「アンナとわたしは、なにをやってるのか、じぶんでもわかりません・・・」
    「賢者の箱」

    などの章は、子供向けの本なのに、43歳男性の自分がおもわず笑ってしまう。
    本当にいい本だ。

    子ども達だけに読ませておくなんて、なんてもったいない!


    児童文学者の長谷川摂子が以下の寄稿をしている。

    ーー
    わたしたちは生き物です。生きているということは身体の奥に生命力の火を燃やしている、ということでしょう。その火の力で体も心も温まってこそ、さまざまの活動に取り組むことができるのではないでしょうか。もちろん、動物にも生命力の火はそなわっています。動物はいつもその火のゆらめきと行動が一体になっています。その一体性を本能と呼んで良いかもしれません。しかし、人間は動物のように本能をむき出しに、無自覚に生きるわけにはいきません。人間はその火をかまどのなかに閉じ込めつつ、燃やさなければならないのです。生産活動のための組織、習慣や制度、さまざまの人間関係をまとめる社会秩序、やくそくごと、そんなかまどで生命の火をじょうずに囲って生きているのです。しかし、その規制があまりにつよくなり、かまどのレンガが二重三重に厚くなったら、もし、酸素をおくるかまど口までふさがれてしまったら、人間はどうなるのでしょうか。心も身体も冷え冷えとし、エネルギーが萎え細り、体調が悪くなったり、無気力になったりし、人生は憂鬱になってきます。生きるということはこの火のぬくもりをかまど越しに、心身の全体にひろげ、エネルギーをしっかり維持する、ということではないでしょうか。

    そこで遊びは大切な役割を果たすと、わたしは思うのです。遊びは経済活動や生産とは直接むすびつかない、実質的には意味のないものかもしれません。でも、それだからこそ、遊びは軽やかに生命力と結び付いてくれます。遊びは活発な体の動きや想像力によって、かまどのレンガをうすくしたり、かまどの口をあけて酸素をおくりこんで火をかきたて、生命の火のぬくもりを心にも体にもいっぱいに広げてくれるもの。そんな気がしてならないのです。

    ーー

    人が育つことの極意がここに書かれているのではないか。
    そして、今日、新たな役目を引き受けることになるが、そのスタートにふさわしい文章だ。

    遊びは、子どもにも大人にも、いま必要とされている。



     わたしたちは、鬼ごっこをやりました。・・・牡牛たちは、目をみはって、わたしたちを見つめていました。なんで人間が鬼ごっこなんかするのか、牡牛には、きっとわからないでしょう。といって、よく考えてみると、わたしにもなぜだかわかりません。でも、なにしろ、鬼ごっこはおもしろいんです。
    (「やかまし村の春・夏・秋・冬」)


    #優読書

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著者プロフィール

1907年‐2002年。スウェーデンに生まれる。1944年『ブリット‐マリはただいま幸せ』(徳間書店)で、出版社主催の少女小説コンテストの二等賞を得て、デビュー。以後、児童書の編集者として働きながら数多くの作品を発表しつづけた。1958年には国際アンデルセン賞を受賞。「長くつ下のピッピ」「やかまし村の子どもたち」「名探偵カッレくん」のシリーズや、『ミオよ わたしのミオ』(岩波書店)など、世界中で今も愛されている数々の物語を生み出し、「子どもの本の女王」と呼ばれた。

「2018年 『長くつ下のピッピの本 決定版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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