今作では1年ぶりの夏休みを謳歌しようと張り切っていたウォーカー家の兄妹を物語の冒頭で事件が襲います。 ちょっとした長男ジョンの判断ミスからツバメ号が座礁、そして沈没・・・・・。 ウォーカー父さんが言うところの「ノロマ」な失態に落ち込みつつもこのミスからの立ち上がりが凄い!! ジョン船長はどこかの国のフェリーの船長とは大違いでクルー全員を小さい順に逃したうえで、沈没した船をすくいあげるための方策までちゃんととったうえで船を離れ、全員が無事に避難できたところでまずホッと溜息です。
そうそう、生きていく中では「思ってもいなかったこと」やちょっとした判断ミスでトラブルが起きるのは決して珍しいことじゃない。 不運にもそれが起こってしまった時にどんな行動をとることができるのか?が一番大切であることをこの兄妹は彼らの行動を通してやんわりと教えてくれます。 船の修理の大掛かりな部分はキャプテン・フリントの尽力やら本職の船大工の力が必要だったけれど、沈没した船を自分たちだけの力で引上げるあたりの描写では、不覚にも思わずうっすらと涙目になりつつ読み進めました。
さて、冒頭でそんな大事件が起きちゃったので、彼らのヤマネコ島でのキャンプ生活の貴重な足を失なってしまって、彼らの夏休みはどうなっちゃうのかしら?とやきもきさせられたんだけど、そこはさすが肝っ玉の太いウォーカー母さん。 転んでもただでは起きない兄妹が新たに発見したキャンプ地をちゃんと偵察したうえで、予定外の場所でのキャンプ生活を快く認めてくれます。 このウォーカー母さんの絶大な信頼の根っこには時に「現地人化」(≒ 常識人化)する長女スーザンの存在が欠かせません。
このスーザンのバランス感覚が物凄いんですよね~。 兄妹全員が「子供達だけのキャンプ生活」をしつつもある一定の規律からはみ出さないように、病気にならないように、怪我をしないように、少しでも気持ちよく過ごせるようにとありとあらゆる細かいことに気を配り、それでいて必要以上に口やかましくもなく、子供らしい遊びの世界でのノリだって悪くない、本当にできた女の子なんです。 子供達だけのキャンプ生活の中ではウォーカー家の小さなお母さんの役割を「自分が果たすべきもの」と考えて、黙々と実行している姿には尊敬の念すら覚えます。
そして兄妹の中では一番「夢見る夢子ちゃん資質」の高いティティが実にいい!! どこか空想の世界に浸り切っちゃって空想と現実の境が曖昧なところもあるティティだけど、ハイキングの途中で霧にまかれて迷子になったうえに弟のロジャが捻挫をして動けなくなってしまうと、ちゃんと現実的な判断を下し、勇気をもってそれを1人で実行できる姿に感動ものです。 ホント、何て理想的な子供達なんでしょうか!! 理想的でありながら、嘘っぽさが実に少ないのも彼らの特徴だと感じ入ります。
大きな災難がありつつも夏休みを謳歌しているウォーカー家の子供たちと比較してアマゾン号のクルー(ブラケット家)の2人姉妹は・・・・と言えば、こちらは物語初出の当時の常識人、大おば様の出現で海賊稼業に精を出すことができません。 もしも子供時代にこの物語を読んでいたら KiKi にとってこの大おば様は「嫌いなキャラクター No.1」だったこと間違いなしだけど、彼らの階級を考えたらそっちが普通でウォーカー兄妹、ブラケット姉妹の方が異端児だったのかもしれません。
それにしてもイギリスを舞台にした物語ではたいていの場合悪役が「大おば様」なんですねぇ。 思い起こせばあの「キャンディ・キャンディ」でも大おば様は読者の大敵だったっけ・・・・・。 どうも「大おば様」という音でイメージするキャラクター・デザインがあの「キャンディ・キャンディ」の大おば様になってしまうのは KiKi だけかしら??
その大おば様をブラケット家から追い出そうと画策するティティの行動がこれまた子供らしさ炸裂です。 まあ、あまり褒められた行動ではないけれど(何せ呪いをかけようとするんですから!)、その黒魔術使用時の失敗をものすご~く気にするあたり、ティティが本当はとっても「いい子」であることを感じさせます。
個人的に物凄く好きだったのは、目の上のたんこぶ、ブラケット家の大おば様が去り、久々に全員が揃って「カンチェンジュンガ」と名付けた山に登り、ケルンの石積みの下から宝物を見つけるシーンです。 それは何十年も前にキャプテン・フリントとブラケット家のお父さん & お母さんが同じ山に登ったことを記念して残した物なんだけど、そこには彼らが同じ山をマッターホルンと見立てて登ったことが記されていました。 ここを読むとツバメ号 & アマゾン号の子供たちを取り巻く大人が揃いも揃って素晴らしい理由がわかるような気がするんですよね。 つまり、子供らしい子供時代を過ごした大人だけが、真の大人らしい大らかさでもって子供達を見守ることができるいうことなんじゃないかな・・・・・と。
親世代が残した紙の裏側に、同じ文面で(但し山の名前だけ変えて)頂上征服宣言を書き記したあとの子供たちの会話が耳に残ります。
「あなたが見つけたんだから、あなたが戻しておきなさいよ。 そうすれば、たぶんまた30年たったとき・・・・・」
(中略)
「今度はもう、何十年、何百年経って、人々がすっかり型の違った服を着るようになるまでは、見つかりゃしないわよ。」
「たぶん、見つけるのは、ちょうど私たちのような探検家でしょうね。」
何だか人が生きていくうえで本当に大切なことが凝縮されている言葉のような感じがして、同じ箇所を何度も読み返してしまいました。
ようやく修理を終えたツバメ号が戻ってきて、ツバメ号とアマゾン号がレースをするシーンも素敵でした。 帆いっぱいに風を受けたツバメ号の描写は、まるでその風を受けてツバメ号が微笑んでいるかのようで、操船な~んていうことをしたこともない KiKi までもが何だか嬉しくなってしまいました。 残念だったのはせっかく細かな描写がいっぱいあるのに、操船の何たるかを知らない KiKi にはそれをありありとイメージすることができなかったこと。 それでも微笑むツバメ号だけはイメージできたのですから、それで良しとしておきましょう。