- Amazon.co.jp ・本 (418ページ)
- / ISBN・EAN: 9784001145021
感想・レビュー・書評
-
函館で読み終わる。上巻の方が好きだけど、やっぱりたまらない。ハリーポッターもそうだけど、翻訳がすごいいいテンポだよなあ。。。ラストもたまらないし。。。物語が派生して永遠に終わらない、この連環もまた、たまんないなあ。しばらくしたらまた読んで、今回と同じように夢中になるんだろうなあ。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2014.3.5 am 7:55 読了。「けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときに話すことにしよう」(410頁他多数)すっきりして、どこかはればれとした気分。無理にせのびせず、あるがままでいいんじゃないか。「生きる悦び」「自分自身であることの悦び」(389頁)引用すると、なんだか変な気分。でも時々この本を読み返して、こういうものを思い出す機会はこれから先ずっと必要だと感じた。生命の泉での、主人公の生き生きとした姿をみてそう思った。どんな本でもはてしない物語になりうる。深くは考えず、物語にのめりこんだ。「読んでいる本のなかへ入ってしまう物語」(413頁)純粋に楽しかった。ファンタジーがまた好きになった。ありがとう。
-
小さい頃、「ネバーエンディングストーリー」が大好きで、今になって、この本がその映画の原作だって知って読んだ。
こういう話の本、やっぱり好きだなぁって思った。 -
最高。大好き。
図書室で赤がね色のこの本を見つけた時これだ!って思いました。
誰かを愛するように自分を愛するというフレーズが大好きです。 -
モモほど、強烈な衝撃は受けなかったけど、知らず知らずのうちになくしてるものあるかな…って考えた。
いつも、能動的で、そして自分の奥底にあるものには目をそらさずにいたい。 -
救い主として万能の存在となったバスチアン。彼の望みはすべて叶い、代償として記憶を失っていく。それは人が大人になるための過程であり、生きていくのに大切なものは何かを知る旅でもある。ファンタジーは現実逃避としての手段でもあるが、そこから得た勇気や優しさなどは、現実の自分を変える力をもっていることを教えらる。物語の可能性を描き出した名作。
-
どうやって、僕のし残したことを、締めくくってくれるの? 幸運で、ですよ!幸いの運で!
-
「一度見られた夢は、無に帰すということはない。だが、それを見た人間が覚えていない夢はどこへゆくのか?
ここファンタージエンにきて、地下深くにおさまる。
全ファンタージエンが、忘れられた夢の基盤の上にあるのだ。」
「世の中には悦びの形は何千何万とあるけれども、それはみな、結局のところたった一つ、愛することができるという悦びなのだと。愛することと悦び、この二つは一つ、同じものなのだ」
すごく不思議なお話。
それでいて読者を本のなかに引きずりこんでしまう。 -
読んでいるうちに、だいたい結末は元の世界に戻ってハッピーエンドだろうと予想がつくし、そのとおりなのだが、重要なのはそれは彼、バスチアンの場合であって、あなたの場合ではないかもしれないということだ。あなたの場合は、「元帝王たちの都」に残り続けたかもしれない。エンデは、少年少女向けのファンタジーだからと言って容赦せず、あの「狂気」の都を描写する。もしもあれを読みとばせたり、笑って読めたりすればいいのかもしれない。でも、わたしにはそれがいいのかだめなのか今は判断できない。
わたしには、すべてが「元帝王たちの都」の中にあるような気がする。現実世界に帰ってきても、「本を読んでいたらいつのまにか本の中にいた」ということが、父親も本屋のおじさんも疑わずに信じる世界は所詮つくりばなしにすぎないということのひとつだ。そうだ、これは所詮寓話なのだ。竜やら小人やら魔女やら…馬鹿げている。所詮つくりばなしなのだ。
だが、これを書いている今、死刑囚が首に縄をかけられる直前のような気持ちはこんな感じだろうと思う。それがなぜなのか今はまだわからずに書き留めているが、変化はまず行動に現れるだろう。あのなかの一つ一つの物語が、わたしの生活の中でアナロジーであれ作品であれ、人との関わりのなかにであれ、かげを落とすだろう。
物語とはそういうものなのだ。物語を語らなくなる時、語るのを辞めるときがある。例えば「中二病」だといわれたりする時。そう言う人ももっともで、反論がナンセンスであると思って降伏してきた。だが、やはりおっさんになっても、現実的にならざるをえない歳になっても、(彼女や彼氏にそのことが原因の一つで振られても)、物語を語り続けなければならない。それがたとえ自己満足だとおもわれて(決してそうではいけないと「はてしない物語」は教える)誰にも認められなくても。すぐには無理だ!現実世界はおもいどおりにはいかない。アウリンがないのだから。