- Amazon.co.jp ・本 (2224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784002002927
感想・レビュー・書評
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フランス史上もっとも関心のある16世紀だが、モンテーニュはスルーしつづけてきた。それも故意に。というのも、大した理由はない。裕福な生まれ、裁判官や市長を務める人格者、「我なにを知るか」なんて小粋なセリフを吐き、戦時下でも自分のしたいことを優先できた恵まれた男、エクセテラ。いったいどこで植え付けられたのか、わたしのモンテーニュ像はすこぶる悪かった。
ここまで懸命に無視しつづけてきたモンテーニュだったが、それも限界に達したため、「どうせドヤ顏でわかったようなことを長々書いてるんだろう」という大いなる偏見の眼鏡で、わたしとしては満を持して読んだ。
『エセー』、おもしろいじゃん。
頓知が効いていておもしろいとか、人生のためになるからおもしろいとか、笑えるからおもしろいとか、そういう類のおもしろさではないのだけれど。もちろんそうした側面はないではないし、読者によって捉え方もまちまちであろうとは思うが、例えるなら、1章だけで10本くらいレポートが書けるおもしろさといったらいいか。表現が幼稚で申し訳ないが、知的好奇心が刺激されまくるので、もうどきどきする。
関根氏の和訳本の表紙には、「随筆録はどこからでも読み始められるがどこまで行っても読み終われない不思議な書物である」という言葉があった。これは的を得た評価のように思う。1章はたかだか数頁。普遍的なテーマが扱われている場合が多いので、書かれたのが16世紀だろうと、現代人でも共有できる。連続した箇所もないではないが、断続的に好きな章だけつまみ読みしても問題はない。読むのは簡単、本屋の哲学(なのか疑問だけれど)の棚に居並ぶ仰々しい書物のなかで、もっとも素人向きとさえいえる。
だが、である。モンテーニュがそれでなにをいいたいのか、その真意がみえない。例えば、なぜ第1巻の第1章に、『エセー』執筆の動機が書かれた第8章を持ってこず、「人はいろいろな方法によって同じ結果に到達する」を持ってきたのだろう。章の並びに意図はあるのかないのか、疑問が疑問を呼ぶ。
モンテーニュはこれを「正直一途の書」というから、暗示にかかったように、きっと文章のどこかに真意が書かれているのではないかと、気づけはすべて読まずにはいられない。けれど、すべてを読んでも読み終わった気がしない。彼の伝えたいことはなんだったのだろう。本気で家族のために書いたごく私的な本なら、出版なぞしなくてもいいのだ。検閲の厳しい時代に、いったいどうして自分でも「しょーもない」と思う文章を公に晒すのだ。困った。
モラリストというには、悲観的なことをいうのがお好きな種族だ。「そんなこといったら死ぬしかないってこと?」とツッコミを入れてもいいくらい、人間をボロクソいう。なのにモンテーニュという人は、生きることを否定しなかったし、また人間も否定しなかった。これは一見矛盾するように思うのだが、彼はモラリスト的思考が陥る袋小路をいかにして克服しようとしたのだろう。
読み終わったのにまったくわからないことが多いので、これは関連書や専門書を読むしかなさそうだ。彼とは長い付き合いになりそうである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とてもいろいろなことを感じる本です。ギリシア・ローマ時代の人生についての悩み、喜び、苦しみそしてモンテーニュの時代も、われわれが生きる時代も同じようなことを感じ考えていると思いました。