避難する権利、それぞれの選択――被曝の時代を生きる (岩波ブックレット)
- 岩波書店 (2012年6月7日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (64ページ)
- / ISBN・EAN: 9784002708393
作品紹介・あらすじ
原発の事故以降、行政による避難指示区域の外側でも、避難する人が増えている。避難を選んだ人、留まっている人、それぞれの現状報告とともに、相談にあたっている弁護士が、直面していること、関連の制度などを具体的に語る。
感想・レビュー・書評
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福島第一原発事故で被爆の危険にさらされながら、政府の避難対象からは外れた地域に住んでいる人たちの「避難する権利」について。
避難の行政的な区分、実際に自主避難した家族やしていない人の置かれた状況、チェルノブイリのロシア・ウクライナ・ベラルーシ政府の対応、日本政府に求められる対応、など。
避難する権利とは、情報を得て選択し、その選択を否定されない、必要な保障を受けられる権利のこと。
どちらを選んでも「そんなところに居続けるなんて子供がかわいそう」とか「出ていきたいなら勝手に行けよ非国民」とか言いたがるやつは出てくる。
「切りとられた時」を読んで大震災は「戦時」って言葉もあながち間違いじゃないなと思ったんだけど、わかった。
状況じゃなくて心持が戦時だ。問題を語り合えない、賛成しなければ敵、みたいな空気が戦時メンタル。
「国を信じられないなら、日本国民をやめるしかない」とか除染動員(「ボランティア」なのい半強制)とか怖すぎる。
福島の人は原発や被爆についてなにか言ったらたたかれるんじゃないかと口をつぐみ、比較的安全な場所にいる人は言ったら失礼なんじゃないかと黙りこむ。
それがまた福島の人を孤独にする。語り合えないっていうのは怖いことだ。
安全だ、不安を感じるのは罪だと言い続けられたって安心なんかできない。
避難の権利は避難しない権利とセットでなければいけない。ときちんと書かれてある。
なんだか不妊治療を思い出した。あるいは「アシュリー事件」や尊厳死を。
する方向でしか語られない「自由」は自由ではない。
ところどころ(主に竹田昌弘の部分)、主体が明確じゃないのが気になる。
「批判されている」「高まりを見せています」って誰が批判しているのか。
自分の意見なら「私」を使うべきだし、誰かが言っているのならその誰かを書くべきだ。
「みんながいってるもん!」みたいで嫌だ。詳細をみるコメント0件をすべて表示