漱石文芸論集 (岩波文庫)

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制作 : 磯田 光一 
  • 岩波書店 (1986年5月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (391ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003101001

漱石文芸論集 (岩波文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 漱石の作品が本書に述べられているように理論的に著されていると思うと感慨もひとしおだ。しかしまた、東大での英文学の講義が理に走り過ぎて最初は不評だったことも頷ける。西洋文明に対する批判的態度も、実際に彼が英国留学を経験したうえでのことで、当時の多くの日本人や現在の自分などが想像しえない境地にいるからだと思える。講演録もユーモア溢れるものだったが、「道楽と職業」が最も楽しめた。

  • 小説家としての漱石には親しんできたが、幅広い知識と教養をもつ批評家でもあったことに今更ながら気がつかされる。

  • 漱石の文芸論。
    小説を書く際のスタイル、芸術家や著作家に必要な心構え、漱石の愛読書や文学談などを論じた内容。
    漱石の小説が理論と洞察に基づいて書かれていることがわかる。興味深い論考もあった。


    一番惹かれたのが「文展と芸術」。と「文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎」。

    「文展と芸術」。
    ’芸術は自己の表現に始って、自己の表現に終るものである。‘と命題を掲げ、文展の形骸化や形式を批判しつつ、芸術や芸術家のありかたを論じている。


    漱石先生曰く、絵であれ小説であれ、他人のために書いたり塗ったりしているわけでない。自分の気分のために表現しているのであって他人がどう思うかは関係ない。見る人読む人がどう思うかと気を揉むのは芸術家の堕落である。徹頭徹尾、自己に終始し得ない芸術は空虚である。

    では、自己の表現である芸術に他人の批評は必要ないかというとそうではない、と漱石はいう。
    熱中して作ったときは自分=作品である。でも造り終えると作品は作品として自己とはっきり別れる。つまり作品を客観視できる。自分が作ったものに対して評価・批判が起こる。ならば他人が批評してもいいだろう。なにより贔屓目で作品をみてしまう自分より他人の批判に晒されるほうが公平な評価を得やすい。それに見る読む他人は自己とは遠く、気質の違う人ほどいい。制作者が刺激を受けるから良いのだ。

    だから堕落と知りつつ見る者読む者の批判を信頼する芸術家の気持ちを認める。ゆえに文展はあっていい。(だとさ)


    「文芸は男子一生の事業とするに足らざる乎」。
    結論からいうと文芸は男子一生の事業とするに足る。
    他の職業と比較しても文芸は劣るものでない。別に勝っているわけでないが。そもそも基準が違えば優劣の結果は違ってくる。手段として生活の糧を得るという基準からいえば全ての職業は同じで優劣はない。食っていかれないならそれは職業として存在し得ない。
    文学者を男子一生の事業とするに足るというならば、大工も豆腐屋も下駄の歯入れ屋も男子一生の事業とするに足ると言ってもいい。
    文芸・芸術の特権意識を排した上で自分の職業の信頼を語る。この姿勢が気に入った。

  • 夏目漱石は、おそらく近代日本の作家の中では例外的に、文学を理論的に考えようとした書き手である。漱石は、小説が「書かれるもの」=言語による再現であることに自覚的だったし、だから、小説の構成やさまざまな語りの技術=技法をおろそかにできないとも考えていた。一定の留保は必要ではあるが、漱石のテクストは、彼の文学理論の実作化という側面があることは事実である。そして、この自覚が、漱石と鷗外とを分けるポイントでもあるのだろう(鷗外は稀代の名文家であるが、小説的な構成、構想力という点では、漱石と比べて見劣りがする)。

     それにしても、この構成は編者の磯田光一によるものなのだろうか。抄録がほとんどで、一つ一つの文章が中途半端になってしまっている。漱石独特の思考のリズムに慣れたころに文章が切られてしまうので、とてもストレスを感じてしまった。テクストの選定にもあまり意図が感じられない。「文芸論集」という看板がもったいない感じだ。

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