吾輩は猫である (岩波文庫 緑 10-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003101018

感想・レビュー・書評

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  • 奥泉光の「『吾輩は猫である』殺人事件」(https://booklog.jp/users/yamaitsu/archives/1/4309414478)を読んだ際に、再読しておけばよかったと後悔したので、今更ながら手に取ったのだけれど、てっきり再読のつもりが、あれ?こんなに分厚かったっけ?(500頁)もしかして私が小学生か中学生の頃に読んだつもりでいたのは、子供むけにものすごく端折ってあったバージョン?と今頃気づく。翻訳ものならまだしも、まさか日本の作品だからそのままだろうと思い込んでいましたが、どうやらこれ、この年にして全文読むのは初めてということになりました。

    語り手はご存知名無しの猫「吾輩」、登場人物はお馴染み彼の飼い主で英語教師の苦沙弥先生、その細君と三人の娘たち、下女のおさん、そして四六時中先生宅にやってくる先生の学生時代の同級生で美学者の迷亭、同じく友人の哲学者・八木独仙、先生の教え子で理学士の水島寒月、この寒月の友人で詩人の越智東風など。最初に読んだ頃は自分が子供だから、ものすごくおじさんのように思っていた苦沙弥先生、実際には30代前半くらいのようです。今の私より全然若い。「吾輩」も語り口からずいぶん老成した猫のように思っていたけれど、1~2歳くらいのとても若い猫でした。

    改めて読んでとても面白かったのだけど、むしろこれ、子供が読んで果たして面白かったのかな?と不思議な気持ち。なんとなく、猫が語り手、というのと、漱石は「坊ちゃん」など子供にも読みやすいというイメージがあったのだけど、実際には本作は、世相への皮肉、シニカルな視点、難解な引用など、かなり大人むけの内容じゃなかろうか。時代背景的にも明治38年~39年(1905~1906)の連載なので、時々日露戦争の話題が出たり、現代とはかなり習慣が違い、大人でも訳注が必要な部分も多々あり。なぜ子供むけなどと思い込んでいたのか自分。

    全11話、1話完結のホームドラマ風で、ちょっとした事件が起こることもありますが、ほぼ先生と訪問者たちの理屈っぽい会話や吾輩による人物や世相の分析など、日常の一コマ的なとりとめない内容。時代的に若干、男尊女卑的な発言もありつつ、苦沙弥先生の奥さんは大人しく引っ込んでるわけではないし、11話の、迷亭の、いずれ人間は結婚しなくなるという未来予想図はかなり面白かったです。迷亭は基本的にホラばかりふいているけれど、2020年現在、まさに彼の言ったようなことが現実になっていることを思うと、あながち彼の言葉はホラばかりでもない。

    登場人物では、この迷亭が一番好きでした。現代でいうなら森見登美彦の小説に出てきそうな人物。時代は違えど、政権批判や男女の問題など、現代人が読んでも思い当たる、はっとするような意見もたくさんあり、日本人って実は良くも悪くも全然変わっていないのでは…と複雑な気持ちに。総じて、大人こそ読むべき本だと思いました。名作はやっぱり面白いですね。

  • 意外と面白かった。
    まさに明治のサザエさん一家っていう感じだった。
    短調でそんなに長く引っ張る必要あるのかなぁっていう場面も所々あったが全体的に苦沙弥先生や迷亭、寒月、細君らのやり取りがおかしかった。
    特に泥棒に入られた時のエピソードはコントを観ているようだった。
    ただ最後はちょっと残念だった。せめてもっと苦しそうじゃない死に方でも良かったんじゃないかと思った。

  • 猫の本屋:元学芸員、猫本専門の古書店をネットで開業- 毎日jp
    http://mainichi.jp/select/news/20130820k0000e040163000c.html

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    「猫を語り手として苦沙弥・迷亭ら太平の逸民たちに滑稽と諷刺を存分に演じさせ語らせたこの小説は『坊っちゃん』とあい通ずる特徴をもっている。それは溢れるような言語の湧出と歯切れのいい文体である。この豊かな小説言語の水脈を発見することで英文学者・漱石は小説家漱石となった。(解説 高橋英夫・注 斎藤恵子)」

    猫本専門書店 書肆 吾輩堂 | 猫の本、その他古書買い取りいたします!
    http://wagahaido.com/

  • 22歳にしてようやく「吾輩は猫である」を読んでみる。
    漱石の本は「こころ」についで2作目。

    レビューなんてのは全く自分の無知蒙昧を広めるだけのものであると思うけれども、せっかく読んでみていろいろ思うところがあるので書くことにする。


    やはりまず第一に感じたのは、猫に語らせることの妙である。
    人間ではなく、猫自身が語ることで、社会科学的に言えば、漱石自身の鋭い観察眼及び人間のバイアスをより鮮明に対象化することに成功していると思う。皮肉も人間が語るよりもずっと効いてくる。正直、ギャグ漫画を読んでいるような心持であった。

    クライマックスで、人間どもに一種の漱石的講義(?)を語らせ始めたかに見えた時は、漱石の社会に対する鋭い指摘・観察眼に大いに感心しながらも、興ざめしながら読んでいたが、最後にやはり「人間同士の嘲笑を猫が嘲笑する」という本書の面白さをしっかり押さえて終わっていた。


    また、明治初期の日本は封建社会から資本主義社会への大転換を迎えていた。物語のクライマックスで語られていたような諸個人の自由・不自由の新たな発現から、多数の人々と同様、彼自身も逃れることができないことを感じていたに違いない。そして、自身をも一人の登場人物として対象化し、当時の日本社会における人間的状況をより一層浮き彫りにすることを猫に託したのではないだろうか。


    と、無知をさらけだすことの恐怖。。。
    だがそう思ったのでそう書いておくことにする。

    とりあえず面白かったが、500ページを超えてて非常に長い。つかれた。

  •  吾輩は猫である。名前はまだない。

     この有名な書き出しは知っていても、読んだことはなかった。伊集院静さんの『ミチクサ先生』を読んで、この小説をどうしても読みたくなった。
     思ったよりもずっと分厚かったけれど(岩波文庫515ページ)、漱石のユーモア、風刺を交えた文章に引き込まれた。電車で読んでいる最中に、面白くて思わず吹き出してしまうことも。例えば、「ダムダム弾」をめぐる攻防。
     あくびを「鯨の遠吠のよう」と書いているのも面白い。

     日常を「猫」の目から見た物語ですが、人と人とのやりとりが面白かった。しかし、あのような結末になるとは思いもしませんでした。そういうことになるとの予想はつくものの、まさか本当にそうなるとは思わず、でも、その結末もユーモアがありました。

  • 誰もが知る超名作。人間の営みや世の真理に隠された明暗を純然たる猫の視点から解き明かすという甚だ興味深い作風。諧謔性の暴力ともいえるほどの極めてユーモラスな文体にはついつい笑みがこぼれてしまう。圧倒的会話量を以ってして迫真性を突きつけ、凄まじい熱量を感じた。細部に渡るディティールで稀代の滑稽味とリアリティを紡ぎ出す漱石のメソッドには感服の念が絶えない。日本随一の文豪の源流を肌で感じ、ますます敬愛が深まった。

  • 初めてまともに夏目漱石を読んだかも。
    結構読みにくかったなぁ。
    でもこれは猫が語り手となっているところが持ち味なのだろう。
    確かに猫が軍隊を作るみたいな妄想のところは面白かった。

  • 夏目漱石の処女作。小学生低学年のうちの子が知っていたこともあり、氏の著作で一番有名な作品だと思います。
    主人公は英語教師の苦沙弥先生にひょんなことから飼われることになった一匹のネコ。
    「吾輩は猫である。名前はまだ無い」という有名な書き出しの通り、吾輩などという不遜な一人称の妙に堂に入ったネコ君の目から、苦沙弥先生やその仲間たちの滑稽な会話や、ネコ同士の交流、そして不合理極まりない人々の生体をネコの視線から風刺した作品になっています。

    基本的に読みやすく、クスりとくるシーンもあったのですが、冗長なところもあり読みづらさを感じる時もあります。
    人々の日常の描写がネコの視点から語られており、物言わぬネコから人の行動の滑稽さや愚かしさをユーモラスに語られるところが本作の特徴です。
    児童文学のような設定ですが、子供でも読みやすいような、ライトに読めるような作品ではないと思います。
    有名な作品にもかかわらずちゃんと読んだ人が少ない原因は、恐らくそういったギャップによるところではないかと思います。
    本作は結構ページ数もあり、内容も冗長で難解な箇所もあるので、個人的には漱石の入り口としては「坊っちゃん」をおすすめします。
    もちろん日本文学としては比較的読みやすい作品で、日頃から文学に触れている方であれば楽しく読める作品ですが、そういった方はまず間違いなく読んでいると思うので、「吾輩は猫である」をこれから読もうとする人、つまりは普段文学作品を読まない人に向けては、いの一番に進められる作品ではないと思います。

    本作の発表当時はまだ日本の自然主義文学は黎明期なのですが、本作は自然主義とは明確な違いが感じられました。
    また、夏目漱石の文学は、後に氏が自ら低徊趣味と呼称していましたが、処女作である本作もその雰囲気が感じられました。
    実験牧場的な自然主義とは異なり、ただ登場人物がおりそれを観察するネコがいるだけのストーリーで、物語中出来事はありますが、それによって劇的に場面が変わったり思い悩むようなことはなく、淡々と、というよりは悠然と日常が、ネコによって描写されるのみとなっています。
    作中では主人公のネコが恋に落ちたり、苦沙弥先生の家に泥棒が入ったり、いろいろのことが起きるのですが、それは舞台設定に投げられた事件というよりもただのエッセンスと呼ぶべきで、「そういった内容があったのだ」で続く物語となっています。
    先が気になる話というよりは、楽しくってページを捲ってしまう、そういう小説だと思います。

  • これは名作です。
    間隔をあけて読む毎に違った印象を受けるくらい、多様な思考が詰まっているように思います。
    しかも、皮肉がおもしろい!

  • 個性的な面々による会話は軽妙かつ人の真相心理をついていた。今も昔も考えることは同じなのでと感じさせられた。一方で会話以外の説明は冗長かつ表現が古く読むのに多少苦労した。また、それぞれのエピソードが完結していなく、もう少し結論が知りたい点もあった。
     全体的にはさすが文豪の作品だけのことはあった。猫を主人公とした軽いタッチの作品ではあるが、その裏に世相への批判、人間のおぞましい心理など巧みに表現されていた。多少長いが一読する価値はある。

著者プロフィール

1867(慶応3)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)にて誕生。帝国大学英文科卒。松山中学、五高等で英語を教え、英国に留学。帰国後、一高、東大で教鞭をとる。1905(明治38)年、『吾輩は猫である』を発表。翌年、『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表。1907年、新聞社に入社して創作に専念。『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著した。最後の大作『明暗』執筆中に胃潰瘍が悪化し永眠。享年50。

「2021年 『夏目漱石大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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