歯車 他二篇 (岩波文庫 緑 70-6)

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (112ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003107065

感想・レビュー・書評

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  • 芥川龍之介の遺稿の一つ。苦悩と傑作。

    「歯車」あらすじ
    筋のない小説の一種で、きわだった構想はないが、幅の広い作品で、芥川龍之介が直面した人生の種々相をそっくりとり入れようとしている。

    作品を順に4つに分けると
    ① 知人の結婚式に向かう途中、主人公はレインコートを着た幽霊の話を耳にする。その時を境に、「僕」は幾度となくレインコートを着た人間を目にするようになる。
    ② 義兄がレインコートを着て自殺したと知り、「僕」は世の中に存在する様々な物や言葉から死に対する連想をするようになる。
    ③ 憂鬱に苛まれた彼の視界には原因不明の半透明な歯車が広がっている。歪んでいく精神状況で、自分も母親のように気が狂ってしまうのだろうか、という強迫観念が彼を襲う。
    ④ 安息のために実家に帰宅したが、精神は錯乱し、まぶたの裏に銀色の翼が浮かび上がる。「僕」は、誰か眠っている間に締め殺してくれないか、と考える。

    書評
    『歯車』は「地獄」に落ちた彼自身を描き上げた作品である。激しい強迫観念と、神経のふるえが、一行、一字の裏にまで流れている。彼がしばしばこころみた怪奇の描写が、恐ろしい迫力をもって、見事になされている。
    この『歯車』の世界に住んでいた彼の、自殺することは必然というべきであった。

    作中に出る「寿陵余子(じゅりょうよし)」とは中国の田舎の若者が、都会に行って洗練された歩き方を取得しようとしたが、結果的に身に付けることが出来ず、それどころか本来の自分の歩き方すら忘れてしまう、という説話から来る言葉。
    これは、芥川龍之介は長編小説に悪戦苦闘した結果、傑作を完成させることはできず、それどころかかつて夏目漱石に賞賛されたような秀逸な短編も書けなくなってしまった、という自身の作家としての苦悩が表現されている。

    キリストにさえ救われなかった。芥川龍之介はキリスト教を批判していたわけではなく、いくら努力をしても理解することが出来なかった。

    芥川龍之介の前期の作品は秀逸な短編が多い中、後期になって長編が書けないという苦しみがあったというのは意外なことのように感じる。また、自殺直前の作品であることからその当時の状況を知ることができる貴重な資料という面も併せ持っている。

  • 芥川、晩年の作品。芥川の神経のすり減っていく様、精神のバランスが崩れていく様が描かれている。
    産まれたばかりの自分の子を見て「何のためにこいつも生れて来たのだろう?」と思いそれをわざわざ書き残す深刻さといい、なぜこの人はいつも何かに打ちひしがれているのか。なぜこんなに罪悪感に駆られているのか。と正直度が過ぎており理解の範疇を超えていると思っていた。しかし、小林敏明氏の評論に或る「露出する神経」というワードがしっくりきて、腑に落ちた気がした。
    小説というより彼の遺書のようで、重々しい内容だった。この精神状態を書き残せること事態が並々ではないからこそ、後世に伝えられる作品なのかなと感じた。

    • れさんさん
      最近わたしも高校生ぶりに文豪作品読みまくってるよー!もう太宰も芥川もみんなどないなってんと思いながら、昔より色々考えて読めてたのしい。。。
      最近わたしも高校生ぶりに文豪作品読みまくってるよー!もう太宰も芥川もみんなどないなってんと思いながら、昔より色々考えて読めてたのしい。。。
      2022/02/22
    • れさんさん
      ももちゃんの感想わかりやすくておもしろい!!!!そしてわたしも色々手つけすぎて混乱してます(っ’ヮ’c)ワア
      ももちゃんの感想わかりやすくておもしろい!!!!そしてわたしも色々手つけすぎて混乱してます(っ’ヮ’c)ワア
      2022/02/22
  • 芥川龍之介氏の晩年の作品、3作が収録されています。
    収録作は"玄鶴山房"、"歯車"、"或阿呆の一生"で、"歯車"と"或阿呆の一生"は死後に遺稿として発見されました。
    そういう意味では"玄鶴山房"だけ発表時期がずれていますが、生きることの苦しさを書いた作品ということで共に収録されたものかと思います。

    3作とも、強く死のイメージが出た作品です。
    精神が不安定になり、心理的に追い詰められた状態で筆を執った3作は、生々しくややキツい内容でした。
    教訓やユーモア、挑戦心があり、子供にもわかりやすい氏の前・中期の作品とどうしても比較してしまいますね。
    晩年の作品はそもそも読まれることを前提に書かれているような感じがなく、小説の体を成していないとも感じられます。
    そのため、非常に読みにくく、ドグラ・マグラのように読んだこっちの頭がおかしくなりそうな文章が続きますが、一方で、研究家には、初期より晩年の作品を評価する赴きもあり、好きな人は好きなんだろうなと思いました。

    各話の感想は以下の通り。

    ・玄鶴山房 ...
    「玄鶴」は、肺結核を患っており、"玄鶴山房"と呼ばれる自宅で療養をしています。
    玄鶴は本業は画家なのですが、ゴム印の特許で財を成しており、生活は困窮していません。
    妻の「お鳥」も寝たきり状態のため、玄鶴の身の回りの世話は、看護師の「甲野」が行っています。
    "玄鶴山房"の離れに住む娘の「お鈴」は、家事をこなすと夫の「重吉」と共に夕食を取ります。
    そんなある一般的な家庭に、「お芳」という元お手伝いさんが子供を伴って訪れます。
    彼女は玄鶴の愛人として囲われており、体調の悪い玄鶴の看病を手伝うと申し入れたのですが、お鈴は財産がお芳に奪われるのではと気が気ではない、お鳥は娘たちに八つ当たりをし、甲野はそんな家庭の諍いを覗き見ることに快楽を得るようになります。
    そうして家庭が崩壊していく中、病床の玄鶴は布団の上でひとりごちるという展開です。

    発表されたのは「中央公論 2月号」で、"河童"や"蜃気楼"より前に発表された作品です。
    20ページ強ほどの短編ですが、登場人物が多く、また、各人物の抱える負の感情が赤裸々に描かれています。
    そうなるとごちゃごちゃとしそうですが、人物の動きがわかりやすく、各々の思考も伝わってきます。
    晩年の作品の中では、"河童"も含めて最も読みやすい作品と思います。

    ・歯車 ...
    芥川龍之介晩期の代表作。本作が氏の最高傑作と評価する文人も多々いるほどの作品です。
    死の4ヶ月前からその直前まで執筆されたとされており、もはや死ぬ以外に道がないという追い詰められた気持ちが文章から伝わってくるようです。
    果たして本書は小説なのか?と思うほど、内容は散らかっていると感じました。
    はっきり言って読みにくく、話をすじをつかみにくいです。
    主人公は結婚披露宴に出席するため東京のホテルへ移動する途中、乗り合わせた理髪店の店主からレイン・コオトを着た幽霊の話を聞きます。
    それ以来、レイン・コオトを着た人物を頻繁に目撃するのですが、同時に街の風景がいちいち死を想起させるとともに、歯車のようなものが見え始めて、自分は狂ってしまったのだと怯え、苦しむ。
    奇書とも思える作品ですが、書かれる内容は真に迫っていて恐ろしさを誘います。

    ・或阿呆の一生 ...
    芥川龍之介の自殺後に見つかった文章。
    51編の短い文章からなり、各々の文章はつながっているようなつながっていないような、一連の作品としての連続性を見出すのが難しい内容です。
    芥川龍之介の自伝的な内容と言われていますが、非常に読みにくく、読んだとして理解するのもまた困難です。
    序文に、芥川龍之介の友人の久米正雄に宛てて、原稿を託す文章が記されています。
    以降は羅列、といってもいい死に面した奔流が書かれていて、短いですがずっしりとした重い、暗い作品でした。

  • 歯車とは偏頭痛で出現する「閃輝暗点」のこと。
    しかし芥川にとっては、悪い予兆、彼にとって死を暗示する数々の符号の一つであった。
    彼の自殺の数ヶ月前に書かれた本作は、死の不安というものが人の心理にどう感じらせるかを上手く描いているとともに、おそらく芥川が実際に陥っていたであろう死の強迫観念をそのまま小説にしたようにも思われる。

  • ★3.5
    「死にたがったいるいうよりも生きることに飽きているのです」

  • おめめぐるぐる。

  • とりあえず「歯車」の感想。

    自伝的小説ってやつでしょうか。度々作者の人生年表を見ながら読みました。 

    前半の『オオル・ライト』が繰り返されるところで、脳内に「作者は病気」タグがつきました。読み進めていくうちに「病院が来い」とか「だめだ早くこいつなんとかしないと」っていう言葉がポコポコ出てきました。俗っぽい感想ですみません。でも今っぽい言い回しを使うと、まさにそんな感じです。

    兎に角もうなんといいますか、何を見ても聞いても「もう駄目だ」なんですよ。
    お店に入ろうとしたら営業してない「もう駄目だ」
    インク買おうとしたらセピア色しかない「もう駄目だ」
    モグラの死体あった「もう駄目だ」
    それがいろいろな事象で延々と続くわけです。
    もう何を見ても聞いても話しても絶望しか感じないっていう作者の狂気。おそろしや。
     
    解説か何かに「死の追体験」という言葉がありましたが、まさにそうで、作者が狂気で死に向かっていく様にシンクロできてしまう。だからすごくすごく怖い。自分がこんなんなっちゃったら…って思うと、それはそれは恐ろしい。
     
    でも、狂った人が狂気のままに書いた文章とは徹底的に違っていて、それはここまで狂って書いていても、ちゃんと「小説」の体を成しているんですね。それが芥川の芥川たるところ。こんなに狂気に苛まれてるのに、ちゃんと一線引いて、冷静に自己が観察できている凄みがね、さすがなんですよ。逆にそれが怖い。なんでそんなことできるのよ、と。見方を変えると、本当に頭の良い人だったんだなあ、と思います。
     
    最後の最後、主人公が自室で横たわってたら、奥さんが血相変えてやってきて「お父さん(主人公)が死んでしまいそうな気がしたので…」っていうくだりが、なんか、こう、作品的でいいなあと思いました。
    あと、義母と弟と話しているシーンも好きですねえ。狂気ばっかりの文の中で、ちょっとだけ優しい文になっていて。そこに出てくる飛行機が、すごく象徴的です。いったいこの飛行機は何を表わしているのか…。そしてこの後の狂気に拍車がかかってく感じがまた凄い。
     
    芥川の後期の作品は本当に「ああ、もうだいぶきてるなあ…」っていうのが見てとれます。けど、決して自己を暴走させずに、「作品」に仕上げてるところに芥川の実力が見てとれます。
    ただ読むだけでもだいぶ怖いですが、それを書いた芥川の心理を想像すると、さらに背筋がゾゾゾゾ……。

  • 中学生の頃に読んで衝撃を受けた。芥川の傑作だと思う。村上春樹の小説が好きな人にもこの小説の意味はわかるんじゃないかとも思う。

  • ハッピーな時に読まないとうっかり死にたくなるよ注意!晩年の芥川がかいた「死」と対峙しないことには「生」を許せないみたいな私小説で、物書きはこんな個人的な恐怖心や不安すらも作品に昇華してしまえるのだなーと指咥えたくなる。私も自分の死生観がやや歪んでいる自覚があり、死に向かって生きるというか、死ぬのを楽しみに生きている節があるので、芥川が死ぬことばかり考えているのも共感できなくはない、かも。何を得たくてこの本を読んでいるのか途中で分からなくなったので、読了した
    けど浅はかなことしか書けない※最後の一文が「誰か僕の眠ってみるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?」なのが好き、そっと絞め殺すっていい表現だな、そっと絞め殺せるわけねぇんだから。

  • 晩年の死を意識した頃の短編集。龍サマの神経がヒリヒリしている感じが伝わって来て痛々しい。
    その一方で「或る阿呆の一生」に登場する狂人の娘は誰?といった下世話な勘繰りをしてしまい、いろいろググってしまった。

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著者プロフィール

1892年(明治25)3月1日東京生れ。日本の小説家。東京帝大大学中から創作を始める。作品の多くは短編小説である。『芋粥』『藪の中』『地獄変』など古典から題材を取ったものが多い。また、『蜘蛛の糸』『杜子春』など児童向け作品も書いている。1927年(昭和2)7月24日没。

「2021年 『芥川龍之介大活字本シリーズ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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