森鴎外 (岩波文庫 緑 94-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003109410

感想・レビュー・書評

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  • 大好きな作家が大好きな作家について語ってるというので、手にとらずにいられなかった石川淳の「森鴎外」なんですが、評伝というでなく、作品評というには偏りがあり、当時の文壇の話とか、ちょっと退屈だったかな。作品については、石川淳は「澁江抽齋」が大好きみたいで、「山椒大夫」あたりはけちょんけちょん(笑)。ひたすら「澁江抽齋」の素晴らしさについて力説されてます。個人的には、石川淳が中学生の頃、たまたま電車で鴎外を見かけて、自分が降りるはずの駅で降りず、ずっと鴎外をストーカー(笑)してたエピソードなんかが、失礼ながら可愛らしくて好きでした。

  • 鷗外随一の傑作は何か。ということを冒頭から論じる。
    結論〈とにかく『渋江抽斎』『伊澤蘭軒』『北条霞亭』を読んでくれ〉
    大方の作品を褒めているが、『山椒大夫』と『大塩平八郎』については批判的。
    自分の好きな『羽鳥千尋』については一切言及なしだった。

  • 本書 114 ページより。<br />
    ...そうして出来上がった文章(「即興詩人」のこと)が作用して行ったさきは、あたかもそんな作用を漠然と待ち受けていたような享受者の裡なる情緒の境界にとどまって、そこより先には拡がらなかった。享受者の位置を錯乱転倒させるようないかなる事件のけはいさえおこらなかった。ひとびとの心はやがて平静に帰するためにしばらく愉快にしか振動されないのだが、ただそういう振動が詩的な韻律であるかのごとく啓発された。これは「即興詩人」の教育学的意味である。そして、心がやがて平静に帰したとき、ひとびとは気持が一段と豊饒になったかのごとくさとらしめられた。これは「即興詩人」の栄養学的意味である。そのとき作者の名は消え、作品も死んでいるはずではあるが、そこから「即興詩人」の俗化がはじまった。ひとびとはあらかじめ胸を躍らせることにきめて、この季節を通過したがる。あたえられた物語を通じて、なにものかと唱和し合歓しようとする。たぶん永遠の恋人かなにかを相手にするつもりなのであろう。こうなると、本の売行はなかなかとまらない。ついに初版発行後十三年目に、一中学生(石川当人のこと)が縮刷版を読んで笑止にもこれを暗誦するという飛沫的現象を生じたわけである。<br />
    しかし、一般にすぐれた芸術作品が享受者にあたえる感動はまた格別のものである。感動は享受者の内部の一事件たるにとどまらず、今度は享受者みずからの仕事に於て再生され実現されるべきエネルギーとなるであろう。精神の努力を強要して来るそんな感動はときとしてひとを不愉快にするかも知れない。快不快に係らず、それはつねに精神の必須の糧である。だが、「即興詩人」はそういう類の作品ではない。...<br />
    ここに石川氏の文を長々と引用したのは、ただ ↓ の阿呆なレビュー(Amazonのやつね)の前置にしたかったからにすぎましぇん。
    山縣 敦くん、レビューなんて書いてる暇があったら、<a href="http://undo-bu.hp.infoseek.co.jp/" title="運動部TOP">運動部</a>にでも入部して「運動」の何たるかを学びなさい。w

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著者プロフィール

作家

「2020年 『石川淳随筆集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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