尹東柱詩集 空と風と星と詩 (岩波文庫)

著者 :
制作 : 金 時鐘 
  • 岩波書店
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感想 : 27
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003207512

作品紹介・あらすじ

「死ぬ日まで天を仰ぎ、一点の恥じ入ることもないことを」-。戦争末期、留学先の日本で27歳の若さで獄死した詩人、尹東柱(1917‐1945)。解放後、友人たちが遺された詩集を刊行すると、その清冽な言葉がたちまち韓国の若者たちを魅了した。これらの詩を「朝鮮人の遺産」と呼ぶ在日の詩人金時鐘が、詩集『空と風と星と詩』をはじめ全66篇を選び、訳出した。原詩を付す。

感想・レビュー・書評

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  • 尹東柱の詩に魅了されると必然的に原詩を読んで(見て)みたいとの思いに駆られるはず。
    金時鐘 編訳『尹東柱詩集 空と風と星と詩』(岩波文庫)には原詩が付されているのがうれしい。わたしは読めないのを残念に思いつつじっくり眺める。
    それだけでなく、kuma0504さんから訳者の詳細な解説がついているとお勧めしていただいたおかげで、詩人である訳者の解説「解説に代えて ──尹東柱・生と詩の光芒」を読むことができた。この解説が本当に素晴らしくて。kuma0504さん、ありがとうございました。

    今までわたしは尹東柱の詩を読みながら日本での彼の足跡を辿ってきたけれど、やっぱり行き着く先、いや、帰るべき場所は、彼の描く詩の世界だった。
    その世界を知るためにも「尹東柱の詩の理解のために」書かれた金時鐘氏の解説は、彼の詩に出合ったばかりのわたしにもわかりやすく様々なことを教えてくれる。
    民族詩人としての追慕と尊敬を集めていながら、尹東柱の存在性とその詩の解釈については、相対する二つの意見が平行していること。尹東柱の詩には聖書からの採用が予定調和の暗喩となっているところがかなりあること。尹東柱の詩がかかえもっている方法意識と、その詩がにじませている抒情の質の問題など、同じ詩人としての視点は冷静な分析をしながらもどこまでも温かい。
    また尹東柱へ向ける優しい眼差しは、そのまま彼の詩に登場する「いたいたしいまでにつつましく、胸に沁みるほどいとおしい人々」にも向けられていたと思う。

    「有無を言わせず、日本人への皇民化が苛烈に進められていた植民地朝鮮で、ただ勉学にいそしむしかない安穏な自分と、学徒として、キリスト教徒として、何ひとつ成すことを成しえないでいる無力な自分。それでも信仰には自己救済を求めずに、どうすればキリスト教徒たりうるのかと自問する、暗がりの中の自分。この誠実な問い返しに貫かれているのが、私には『空と風と星と詩』というただ一冊の尹東柱の詩集です。」と訳者は綴っている。 
    この解説を足掛かりとして、これからも何度でも尹東柱の詩を読んでいきたい。


    「たやすく書かれた詩」

    窓の外で夜の雨がささやき
    六畳の部屋は よその国、

    詩人とは悲しい天命だと知りつつも
    一行の詩でも記してみるか、

    汗の匂いと 愛の香りが ほのぬくく漂う
    送ってくださった学費封筒を受け取り

    大学ノートを小脇にかかえて
    老いた教授の講義を聴きにゆく。

    思い返せば 幼い日の友ら
    ひとり、ふたり、みな失くしてしまい

    私はなにを望んで
    私はただ、ひとり澱のように沈んでいるのだろうか?

    人生は生きがたいものだというのに
    詩がこれほどもたやすく書けるのは
    恥ずかしいことだ。

    六畳の部屋は よその国
    窓の外で 夜の雨がささやいているが、

    灯りをつよめて 暗がりを少し押しやり、
    時代のようにくるであろう朝を待つ 最後の私、

    私は私に小さな手を差し出し
    涙と慰めを込めて握る 最初の握手。
                (1942.6.3)

  • 尹東柱(ユン・ドンジュ)は、大日本帝国占領時代の朝鮮出身の詩人である。現在の韓国、延世大学を卒業した後、1942年に日本に留学、立教大学・同志社大学で学んだ。1944年2月に治安維持法で起訴され、3月に有罪となり、福岡刑務所に収監された。その後、1945年2月、終戦の6ヶ月前に、原因不明の獄死を遂げた。27歳の若さであった。
    延世大学を卒業し、日本に留学に来る前に、彼は「空と風と星と詩」と名付けた詩集を自分で発行しようとしたが、かなわず、3冊だけを自筆で作り上げた。戦後、その中の詩が新聞で紹介され反響を呼ぶ。その後、彼の詩は中学校・高校の教科書に取り上げられるなど、尹東柱は死後、とても有名な詩人となった。
    日本で勉強しようと、終戦間際のあの時代に留学してきた将来のある若者を、訳の分からない理由で、結局は死に至らしめてしまう(要するに殺してしまう)、当時の日本という国のどうしようもなさと、本人・親御さん・知人の無念さを思うと、何とも言えない気持ちになる。
    尹東柱について調べる必要があり、岩波文庫を手にとってみたが、とても厳粛、かつ、やり切れない気持ちになった。

  • 「空と風と星と詩」尹東柱 金時鐘 編訳 岩波文庫

    「弟の肖像画」
    ほのあかい額に冷たい月が沈み
    弟の顔はかなしい絵だ。

    歩みをとめて
    そっと 小さい手を握りながら
    「大きくなったらなんになる?」
    「人になるよ」
    弟の説はまこと 未熟な答えだ。

    何食わぬ顔で手を放し
    弟の顔をまた覗いて見る。

    冷たい月が ほのあかい額に濡れ
    弟の顔はかなしい絵だ。
    (1938.9.15)

    「아우의 印象画」

    붉은 이마에 싸늘한 달이 서리아
    아우의 얼굴은 슬픈 그림이나.

    발걸음을 멈추어
    살그머니 애딘 손을 잡으며
    「늬는 자라 무엇이 되려니」
    「사람이 되지」
    아우의 설은 진정코 설은 対答이다.

    슬며시 잡았든 손을 놓고
    아우의 얼굴을 다시 들여다 본다.

    싸늘한 달이 붉은 이마에 젖어
    아우의 얼굴은 슬픈 그림이다.

    尹東柱(ユントンジュ)の詩集岩波文庫版が21世紀のこの時に至って、やっと出版された。韓国における詩の位置付けは、本屋に行けば圧倒的に高いということがわかる。一番いい場所をいつも陣とっているのである。その一番人気が未だに出ていなかったことが不思議でならない。

    「死ぬ日まで天を仰ぎ、一点の恥じ入ることもないことを」という有名な詩句を聞いたことはあっても、その詩業の全容を知っている人はほとんどいない。私も知らなかった。

    リリカルな優しい心と、キリスト教に支えられた強い精神、中国に国境を接する場所を故郷とする心像風景、時代が常に死と接することを強要した覚悟、若くして才能を花開かせ散らしていった運命、平易な言葉で豊かな内容を表した表現力、それらは、ここに収められている66編を読むことで納得するだろう。

    原詩を巻末に載せているのも嬉しい。尹東柱の人生を紹介した訳者の解説も力がこもっていた。
    2012年12月14日読了

  • 尹東柱(윤동주)は、太平洋戦争中に日本の立教大学に留学し、その後京都の同志社大学に転学し、そこで朝鮮独立運動に関わると疑われ治安維持法違反の容疑で逮捕され、福岡刑務所にて収監されている間にわずか27歳で獄死した。その残された詩は、学校での朝鮮語教育も制限された時代に、全編朝鮮語で書かれていた。有名な「序詩」、
    死ぬ日まで天を仰ぎ
    一転の恥じ入ることもないことを
    葉あいにおきる風にさえ
    私は思い煩った。
    星を歌う心で
    すべての絶え入るものをいとおしまねば
    そして私に与えられた道を
    歩いていかねば。

    今夜も星が 風にかすれて泣いている。
    その他、特に、「星をかぞえる夜」、「たやすく書かれた詩」などが心に残る。

  • “思い返せば 幼い日の友ら
    ひとり、ふたり、みな失くしてしまい
    私はなにを望んで
    私はただ、ひとり澱のように沈んでいるのだろうか?”
    (p.43『たやすく書かれた詩』)



    “新しい日を求めていた私は
    眠りから醒めて見回すと
    その時はもう明日ではなく
    今日であった。”
    (p.89『明日はない―幼な心の問い』)

  • 平明な言葉でここまで細かい心の襞を描き出すことができるのかと思った。

    透き通った詩たち。

    素朴で若干幼稚とも思える表現が、複雑さを讚美するような風潮に逆に鋭く問いかけてくるようです。

  •  「星を歌う心で/すべての絶え入るものをいとおしまねば/そして私に与えられた道を/歩いていかねば」。このような「序詩」の印象的な一節が象徴するように、尹東柱の詩は、無数の星々を一つひとつ数え上げるかのように、小さきものたち、儚きものたちの一つひとつに細やかな眼差しを注ぐ。そのことが、孤独のなかに吹き溜まった心情を研ぎ澄ますことと一体になっているのだが、そのことが時に、例えば「こおろぎと ぼくと」に見られるように、童謡のように口ずさみたくなるような素朴さにまで純化されているのには、逆に胸を衝かれる。しかも、そのなかで詩の独特の形式感が損なわれることはない。さらに、詩作をつうじて自分自身の心情を突き詰めていくことが、聖書を読み抜き、みずからの信仰の揺れを跡づけることと結びついているのも、尹東柱の特徴と言えるかもしれない。そのことが、パウル・ツェランの「テネブレ」を思わせるほどに、神と厳しく対峙する地点にまで立ち至っていることにも瞠目させられる。おそらくはこうした葛藤のなかから生まれた作品である「夜が明ける時までに」のなかで、「すべての絶え入るもの」への眼差しは、極限まで純化されているのではないだろうか。死にゆく者と生き続けようとする者が分け隔てられることなく休息の場を得るなかで、生の営みが静かに続くことへの研ぎ澄まされた祈り。それを言葉にした詩人は、帝国日本が敗亡する半年前に、福岡で獄死させられた。彼の詩のなかには、その危険に曝されながら、また友人が捕らえられていくなかで詩を書きえている自分への恥じらいと、呼び出されることへの怖れの両方も刻まれている。本書は、そのような「非命の」詩人の遺稿による詩集『空と風と星と詩』に収められた詩と、それ以外の詩、合わせて66篇を集めて、在日の詩人金時鐘が日本語に翻訳して編まれたものである。ある朝鮮語の言葉を「すべての絶え入るもの」と訳した訳者の金時鐘による解説が、一つの詩学とも呼ぶべき次元に達していることも特筆されるべきであろう。その末尾には、今あらためて銘記されるべき思想が刻まれている。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/707553

    戦争末期に留学先の日本で獄死した27歳の詩人。
    遺された詩集は若者たちを魅了し、韓国では知らない人はいないほどの国民的詩人となったそうです。

  • ハングルへの旅 新装版 (朝日文庫)/茨木のり子を読み、尹東柱の詩に興味を持ち、さらには映画でカンハヌルが演じていると知り、手に取りました。

    なんというか、強くあれ(ここでいう強さはマチズム的な)と強く望まれそうであることが当然の世の中で、弱いまま素朴な自分を貫くことの強さを感じる。そうやってしか振舞えない部分も自身の意思でそうしている部分もどちらもあると思うけど、弱さ(無力な自分を見せること)を通して感じる強靭さみたいなものを感じてしまう。

    あと、日本で拘束中に亡くなったこともあり、何も知らないと抗日運動に励んだようなイメージがあるが、実際には、ハングル(確かに当時は使用禁止だった訳だけど)で日常にそりそう詩を書いていただけである。そして、その素朴さ、自分の無力さを貫く姿勢はその時代においては、朝鮮においても是とされるものではなく、きっと生きながらえても、厳しい道が待っていただろうという解説を読んで、単純なものではないと思った。と同時に、単純に時の時勢、権力になびかないなんらかの強さを持った人を、権力は恐れるのかもしれない。反抗的だからとかではなく、そのコントロール下に置ききれないつかめなさを無意識のうちに恐れるのかもしれないな、なんて考えも浮かんだ。

  • 全編を覆う抑圧への身悶え。

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