ホメロス イリアス 下 (岩波文庫 赤 102-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003210222

感想・レビュー・書評

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  • 下巻は友情と親子愛に泣かされる。はっきり言ってアキレスよりもパトロクロスやヘクトルの方が好きだ。彼らが仲間や家族のために戦い、死んでしまうのが悲しい…。
    アキレスは仲間のためというよりは自分の名誉のために戦っている感じかな。まぁ彼はアガメムノンにつき合わされただけで、そもそもトロイと戦う理由特にないもんね。そんなやる気の起きない戦争の中で親友が死んでしまったら、なんでこんなところで…って思うよな。最初アキレスがなんでアガメムノンに対しこんなに意固地になって拗ねているんだろうと思ったけど、今で言うならストライキみたいなものか。でもパトロクロスの、何もせずにはいられないっていう気持ちもわかる。人それぞれの心の動きがね…考えていくと切ないね…。
    トロイ側はパリスは顔だけヘタレ野郎のイメージなのに対し、ヘクトルは家族思いで民のために戦う超頼もしい男という感じで兄弟なのにだいぶ違うなって。父王がヘクトルが死んでしまったあとで、「自分の自慢の息子たちはみんな死んでしまった」というようなことを言っていて、一瞬あれ?パリスまだ生きてるよな?って思ったけど、王様の中ではパリスは自慢できるような誇れる息子ではなかったということなのかな。
    イリアスはトロイア戦争の初めから終わりまで語られていると思っていたので、これには木馬が出てこないというのをはじめて知った。中途半端なとこで始まり、中途半端なとこで終わるなぁという印象。とはいえずっと読みたいと思っていた作品なのでようやく読めてうれしい。二千年以上前の物語が今でも読まれているっていうことにも感動する。全然色あせていない。やっぱり古典が好きだ。

    • midnightwakeupperさん
      手塚治虫『火の鳥 ギリシャ編』では、パリスが「いい奴」に描かれていますよ。
      手塚治虫『火の鳥 ギリシャ編』では、パリスが「いい奴」に描かれていますよ。
      2019/04/30
  • 「イリアス〈下〉」ホメロス著・松平千秋訳、岩波文庫、1992.09.16
    516p ¥840 C0198 (2021.06.29読了)(2016.08.15購入)(2000.11.15/15刷)

    【目次】
    第十三歌 船陣脇の戦い
    第十四歌 ゼウス騙し
    第十五歌 船陣からの反撃
    第十六歌 パトロクロスの巻
    第十七歌 メネラオス奮戦す
    第十八歌 武具作りの巻
    第十九歌 アキレウス、怒りを収める
    第二十歌 神々の戦い
    第二十一歌 河畔の戦い
    第二十二歌 ヘクトルの死
    第二十三歌 パトロクロスの葬送競技
    第二十四歌 ヘクトルの遺体引き取り
    訳注
    ホメロス伝  伝ヘロドトス作
    系図
    地図
    索引

    ☆関連図書(既読)
    「イリアス〈上〉」ホメロス著・松平千秋訳、岩波文庫、1992.09.16
    「ホメロス物語」森進一著、岩波ジュニア新書、1984.08.20
    「ギリシャ神話」山室靜著、現代教養文庫、1963.07.30
    「古代への情熱」シュリーマン著・村田数之亮訳、岩波文庫、1954.11.25
    「オイディプス王」ソポクレス著・藤沢令夫訳、岩波文庫、1967.09.16
    「コロノスのオイディプス」ソポクレス著・高津春繁訳、岩波文庫、1973.04.16
    「アンティゴネー」ソポクレース著・呉茂一訳、岩波文庫、1961.09.05
    「ソポクレス『オイディプス王』」島田雅彦著、NHK出版、2015.06.01
    「アガメムノン」アイスキュロス著・呉茂一訳、岩波文庫、1951.07.05
    「テーバイ攻めの七将」アイスキュロス著・高津春繁訳、岩波文庫、1973.06.18
    「縛られたプロメーテウス」アイスキュロス著・呉茂一訳、岩波文庫、1974.09.17
    「ギリシア悲劇入門」中村善也著、岩波新書、1974.01.21
    「古代エーゲ・ギリシアの謎」田名部昭著、光文社文庫、1987.08.20
    「驚異の世界史 古代地中海血ぬられた神話」森本哲郎編著、文春文庫、1988.01.10
    「古代ギリシアの旅」高野義郎著、岩波新書、2002.04.19
    「カラー版 ギリシャを巡る」萩野矢慶記著、中公新書、2004.05.25
    (「BOOK」データベースより)amazon
    第13歌から第24歌まで。勇将アキレウスを欠き苦戦するギリシア軍。アキレウスの武具を借りて一時はトロイア軍を敗走させたパトロクロスも敵将ヘクトルに討たれる。死を覚悟して復讐戦に立ち上がるアキレウス。伝ヘロドトス作「ホメロス伝」を併載。

  • ギリシャ勢、トロイア勢の双方に加担する神々のなんと人間味あることか。ヘラの策謀に気づかずあっさり協力してしまうお人好しのアフロディテ、最初はゼウス怖さに渋っていたのが「好みのミューズを紹介する」と持ち掛けられて協力するヒュプノス、色仕掛けにまんまと引っかかるゼウス、不満たらたらだが自重するポセイドン、ヘラからフルボッコにされるアルテミス...

    厳粛で気難しい一神教の神ではなく、人間のおそなえ物に喜び、祈りや嘆きを聞き、時に恩寵を与え、時に意地悪をするお茶目な神様たち。

    手の届く範囲にいる神様たちに、人間が調子づかないようなお目付役と、絶望に染まらないようなお守り役を委ねることで、人の心を護ってきた多神教という人間の知恵が、神を敬うあまりに人間を無価値なものとし、歯止めのない殺戮に手を染める人間を生み出したユダヤ=キリスト=イスラム教に取って替わられた歴史を思うと無念さを禁じ得ない。

    下巻のストーリーはあっさり。アキレウスの親友パトロクロスが討たれ、逆上したアキレウスにヘクトルが討たれる。復讐心に囚われ、ヘクトルの遺体に情け容赦ない仕打ちを続けてきたアキレウスも、やがて怒りを治め、遺族への遺体引き渡しと葬儀期間の停戦に同意する。

    パトロクロス追悼記念運動会のくだりは???だったが、「後世による出来の悪い挿入という説もある」という注釈に納得。
    ...というか本当に朗読者が即興で入れたのではなかろうか。

    巻末のホメロス伝で、当時の人が詩の言い回しを根拠に「ホメロスは××人である」と論じているのが微笑ましい。
    それにしても焼き物職人の組合から詩作を頼まれて、感謝の言葉1に対して報酬を支払わなかったときの呪い7くらいの割合で詩を作ったり、お世話になった人は作中にイイ役で登場させ、裏切られた町には呪いをかけるホメロスが人間らしくて素敵。

  • 下巻は第十三歌から第二十四歌まで。神々の介入が解禁され、いよいよ激しく両軍がぶつかり合い血が流れる。パトロクロスの死をきっかけにとうとう出陣したアキレウスの鬼神そのものの戦いぶりは、行間から血煙がもうもうと立ち上るよう。

    パトロクロスを失ったアキレウスの悲嘆は想像を絶する深さだった。パトロクロスの高潔で優しい性格が随所で強調されている。メネラオスを始めアカイアの武将たちが身を挺して彼の遺骸を守るところを見ると、パトロクロスは目立たぬながら皆に愛されていたのだろうか。

    『イリアス』の世界ではアキレウスの行動や感情が全てを動かしていく。そういう意味でも彼は神に近いのだろう。殆ど一人でトロイエ勢を牽引しているヘクトルにはアキレウスのような我が儘は許されない。家族を愛し、戦士の名誉を守ろうとしながら、怒れるアキレウスに全てを踏みにじられるヘクトルが気の毒。彼の物語もまた読んでみたくなる。

    全篇に渡り戦闘場面の勇壮さは比類がない。血湧き肉躍るとはこのことか。人物描写は近代文学のそれとは全く異なるけれど、彼らの熱量に圧倒される。

    『アキレウスの歌』を読んでの再読で、パトロクロスの人物像が自分なりに掘り下げられたように思う。こうして他の本を読んでは立ち返ることでまた深く味わえるのが『イリアス』なのだろう。

  • あらすじは、それこそ3行で書けるくらいシンプル。
    興味が向くのは筋ではなく、イリアスは成立時点では文字によって伝えられたものではない、ということ。文字に起こされたのは百年以上も後の事だという(?)。驚異的である。

    物語の原型とでもいうもの、人の心を波立たせることが出来る表現の祖型のようなものが荒々しく投げ込まれている。そんな印象を得て、愉しく読了。

  • ゼウスもヘラもアテネも酷い奴らだ、というのが単純な感想。

    とはいえ、神々に人間臭さがあるあたり、多神教らしさを感じる。

  • ホメロス「イリアス 」2/2 終盤一気に面白くなる。全体を通して、二項対立により 物語が進み、単純さと面白さを生んでいる

    壮絶なパトロクロスの最期が最も印象的で、物語を転回させたシーンだと思う。戦争の中で亡くなった勇士は 神が決めた運命の通りに動いただけというのも 戦争の虚しさを感じる

  • アカイア勢に肩入れしてしまうよね。ヘクトルに関してはやり過ぎだと思うけど、現代だって戦争してたらそれくらいするか。人間て何にも進化しないとつくづく……
    むしろ口論の態度の、礼節を失わない姿勢、とても尊敬します。このように議論すべきた。反対なのは意見だけで、人格ではない。見習いたい。

  • ホメロスによる西洋文学最初期の英雄叙事詩。ギリシア神話中のトロイエ戦争を材に取っている。このトロイエ戦争とは、アカイア勢(ギリシア軍)が小アジア(現在のトルコ地域にあたる)にあるトロイエのイリオスに遠征軍を送って行われた戦争で、主な登場人物は、ギリシア側ではアガメムノン,アキレウス,パトロクロス,オデュッセウスら、トロイエ側にはヘクトル,ラオコーンらがいる。「トロイの木馬」とラオコーンの逸話でも知られているが、本詩中では取り上げられていない。なおホメロスは『イリアス』と『オデュッセイア』の二大叙事詩の作者として一般に知られているが、そもそもホメロスという一個人が実在したかどうか、正確なところははっきりしていない。

    一読して、ホメロスの描く人物には、奥行きが無い印象を受ける。ホメロスが描いた以外の語られない部分へと想像が全く向かっていかない、内面が無い、充足したそれ自体しか無い、否定性が無い。登場人物の心情が、描写に於いて全てが剥き出しにされていて、そこで完結してしまっているように感じられるのである。精神史上の「内面の発見」(B.スネル)以前に於ける、叙事詩の叙事詩たる所以であろうか。

    凡そ英雄譚というのは、どれも野蛮で血腥い代物だ。「戦さは男の仕事、・・・」「・・・、今日のこの日に己れの意志で戦いを怠る男が、このトロイエの地から無事に帰国するようなことがあってはならぬ、ここで野犬の玩具になればよいのだ」「・・・、今こそ男子たる面目にかけ、己れが武勇のほどを思い起こしておけ」「いや、トロイエ人は一人たりとも、険しい死とわれらの手とを免れさせてはならぬ、母の胎内にいる赤子といえども、男児であるからは見逃してはならぬ、彼等は一人残らず跡も残さず、このイリオスから根絶やしにしてやらねばならぬのだ」。他者=敵を浄化せんとする殲滅思想、男は戦争・殺し合いをする存在でしかなく、女は愛欲と生殖の為の存在でしかない。そこに文化的な意匠が施されている点だけが動物との唯一の差異か。西洋文学の最初期から人間の即物的な醜悪さは今も変わらぬ。その暗澹たる事実を見せつけられる。

    精神史上は、古代ギリシアのこの時期は、概念を神として具象化・擬人化し神話(ミュトス)という物語を生成し解釈していくことを通して生を紡いでいった、神話という神々の物語の解釈を以て思考としていた。それは理性・論理(ロゴス)に基づき抽象概念を用いて為される哲学的思考とは根本的に異なっていた。思考や生の機制が、現代とは全くその形態を異にしていたと云える。則ち、近代的な内省に於ける自己対話 monologue の代わりに、内面に於いて常に神々と対話していたのではないか、神々とともにある自己と対話していたのではないか。「彼とても、いつかその気を起こし、またいずれかの神が促して下さるならば、戦いに加わるであろう」 「だがその責めはわしにではなく、ゼウスならびに運命の女神[モイラ]、そして闇を行くエリニュスにある。その方々が集会の場でわしの胸中に無残な迷い[アテ]を打ちこまれたのであった――このわしがアキレウスの受けた恩賞(の女)を奪い取ったあの日のことだが。だがわしに何ができたであろう、神というものはどのようなことでも仕遂げられるのだからな」

    古代ギリシアの文化とキリスト教以降の西欧文化との差異を考えさせられた。多神教のギリシア神話に現れる神々はみな人間臭く、一神教のキリスト教の神に観られる「神性」は一切無い。気紛れで心変わりしては両軍の人間たちを翻弄し・人間を唆して戦さをさせ・神々の間でも両陣に分かれて戦争を始め・愛欲には打ち負かされ・謀略を企てては取引をし・反目し合い・そして逡巡もするギリシアの神々は、決して揺るぎない「善」――キリスト教的「最高善」――を体現することはない。その反照として古代ギリシア神話には悪魔という存在が登場しない。そもそもキリスト教的な悪魔という観念が無かったのではないか。キリスト教世界に於いて初めて、神のアンチテーゼとしての悪魔の観念が誕生し、擬人化された悪魔から概念化された悪の観念も生まれたのではないか。上で引用したが、神々に自らの責めを転嫁するかのようなアガメムノンの言葉から長い思想的変遷を経て、人間の自由意志としての悪という観念がアウグスティヌスの時代に生まれる。

    ギリシア神話の神々は、世界万象そのもの、神話という物語のうちに投影された人間的生の運命そのものであり、キリスト教的な超越的存在ではない、世界を超越した造物主ではない。だから「創世記」の類を記そうという発想も無かったのではないか。「聖書」「聖典」の類も存在しない。則ち、「此岸」から超越した別次元の「彼岸」という観念が古代ギリシアには無かった。ギリシアには、「神話」は在っても「神学」という知性の方向はついに生まれ得なかった。「神学」は、一神教の下でなければ生まれ難いのだろうか。アガメムノン(人)も血筋をたどるとゼウス(神)に行き着くという。勿論アガメムノンは神話中の英雄ではあるが、人と神との間の形而上的断絶という思考は、当時の人間にはそれほど強くなかったのではないか。プラトンによってイデア界/仮象界という二元的世界観・形而上学が構想されることで、人間は初めて自分たち以外の世界という観念をもつに到る。それまでは、人間も神々も同じ世界に並立していた一元的世界観であった。世界は神々の下に統べられているというよりも、神々の躍動とともに在った。そして神々が与える不条理を人間は運命として解釈することで受け容れていたのだ。そういう「生」を営んでいたのだ。

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