ヴェニスの商人 (岩波文庫 赤 204-3)

  • 岩波書店
3.40
  • (25)
  • (54)
  • (112)
  • (7)
  • (7)
本棚登録 : 653
感想 : 66
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003220436

作品紹介・あらすじ

シェイクスピア(1564‐1616)の喜劇精神がもっとも円熟した1590年代の初めに書かれ、古来もっとも多く脚光を浴びて来た作品のひとつ。ヴェニスの町を背景に、人肉裁判・はこ選び・指輪の挿話などをたて糸とし、恋愛と友情、人情と金銭の価値の対照をよこ糸としているが、全篇を巨人のごとく一貫するユダヤ人シャイロックの性格像はあまりにも有名である。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 物語というものは、あたかも自律した生命体のように、作者の意図を無視して、勝手に読み手に感銘を与えることがあるらしい。チェーホフは戯曲『桜の園』を喜劇のつもりで書いたが、役者たちはしばしばそれを悲劇と解釈して演じてしまい、作者を苛立たせたという。

    『ヴェニスの商人』も、そういう作品のひとつである。シェイクスピアはこれを勧善懲悪の喜劇として書き、観客も当初は喜劇として楽しんだ。キリスト教の神がすべてを支配する中世西欧において、ユダヤ教徒の高利貸しシャイロックが駆逐されるべき「悪」であることは自明であり、ほとんど真理に等しかったのだろう。その「真理」に異議が申し立てられるのは19世紀。被差別民という「悲劇の人」としてシャイロックが解釈され始めたのは、西欧において神の絶対性が否定され始めたのと、ほぼ同時である。そして第二次世界大戦という真の悲劇を経て、受難者としてのシャイロック像は、いっそう現実味を帯びて定着することになる。

    とはいえ実際に読んでみると、同情や哀れみの涙を寄せるには、シャイロックというキャラクターはあまりに骨太すぎるように、私には思われる。「嫌いならば殺してしまう、それが人間のすることか?」と問われて「憎けりゃ殺す、それが人間ってもんじゃないのかね?」とすかさず言い返すふてぶてしさも、「罰はこの身で引き受けるまで!」と開きなおる潔いほどの傲岸さも、どこか中世という枠に収まりきらないエネルギーを感じさせる。それは、むしろ近代以降のものであろう。中世のキリスト教的価値観を体現するアントーニオやバッサーニオが、まったくと言っていいほど生彩に欠けるのとは対照的だ。

    シェイクスピアは、別に歴史を予感していたわけではないだろう。にも関わらず、その卓越した人間観察力は、結果として正しく「神に刃向かう者」を――ニーチェやマルクス、あるいはカミュなどを連想させる近代的自我を――描写しているようにみえる。ここにいたっては、もう喜劇も悲劇もない。ただ「劇」があるばかりである。作者の手綱を振り切った、生きた物語があるばかりである。

    • 佐藤史緒さん
      >これからのギリシャ悲劇の世界はきっと面白くて仕方ない世界になること請け合いです。

      そう聞いて安心しました。実は『イーリアス』、途中ま...
      >これからのギリシャ悲劇の世界はきっと面白くて仕方ない世界になること請け合いです。

      そう聞いて安心しました。実は『イーリアス』、途中まで読んで保留しています。と言うのも、私はてっきりこれを平家物語みたいな軍記だと思っていたのですが、読んでみたらギリシャの神様がバンバン出てきて人界に介入するわするわで、ちょっと思ってたのと違うぞ、と。確かに戦記なのだけれど神話との境界が曖昧で、ギリシャ神話の予備知識がないと難しいな、と。それで、いったん退却してギリシャ神話を読んでるところです。しかし我ながら一体いつになったらギリシャ悲劇に辿り着けることやら…と不安になっていたので、上記のようなお言葉は本当に励みになります。m(_ _)m

      プラトンとシェイクスピアについてのご推薦、ありがとうございます。『イーリアス』『オデュッセイア』を踏破したら、『饗宴』に挑戦してみようと思います。たしか美学についての対話篇ですね。シェイクスピアはあらすじを知っている『ハムレット』から入ってみようかな。いつか舞台も観れたらいいなあ。ちなみにシェイクスピアときいて私が思い出すのは、『ガラスの仮面』(演劇を主題にした少女漫画)で、ヒロインが『真夏の夜の夢』のハックの役作りのために、仲間から野球ボールを投げつけられてぼこぼこにされるシーンなのですが…。ご存知ないですよね、ごめんなさい。
      2013/03/06
    • e-kakasiさん
      『ガラスの仮面』。タイトルだけは知っていますよ。これも舞台で上演されたと思います。
      ──それで、ギリシャ神話が本棚にあったんですか。あの時代...
      『ガラスの仮面』。タイトルだけは知っていますよ。これも舞台で上演されたと思います。
      ──それで、ギリシャ神話が本棚にあったんですか。あの時代は、人間と神々がごちゃ混ぜになって生きていたのです。長い間、トロイ戦争は作り話の世界だと思われていたのが、遺跡が発掘されたりして、現実と想像力の世界の境界が曖昧になってくるのも当然でしょう。だから、神々(唯一絶対神ではありませんから)が、あまりにも人間臭く振る舞っても決して不思議ではなく、そこに人智をはるかに超えた、人間の本質をあからさまにしてくれるのです。スケールが大きく、そして深淵はどこまでも深いですよね。
      2013/03/06
    • 佐藤史緒さん
      本当にそのとおりですね。ギリシャ悲劇の世界は虚実入り乱れていて、現代人からみたら荒唐無稽ですが、だからこそ逆に物事の本質をあらわにしてくれる...
      本当にそのとおりですね。ギリシャ悲劇の世界は虚実入り乱れていて、現代人からみたら荒唐無稽ですが、だからこそ逆に物事の本質をあらわにしてくれるのだという気がします。例えるなら、気象台や東電が発表する膨大なデータも大事だけれど、現地の被災者の方達の「主観的な語り」を抜きにしては、「東日本大震災」という事件の本質は理解できないし伝えていくこともできない、というのと似ていると思います。科学が無力というのではなく、科学的分析と同じくらいに「物語る力」というものも大切なんだという意味で。
      2013/03/11
  • 読書好きとして一度はこういう歴史ある名著を読んでおこうと思い、拝読。
    率直に、すごく面白く、意外と登場人物も限られており読みやすかった。
    当時のイギリスの文化や法、背景が彷彿とさせられ、舞台はヴェニスではあるがシェイクスピアの頭の中が見て取れるようで、興味深かった。

    特に印象的な人物
    ・ネリッサ…ポーシアの侍女であるが、発する言葉に名言が多く、印象的。
    「あまり御馳走を召し上がりすぎますと、却ってこれは食物もなく、飢えている人間と同じように、やはり一種の病人だそうでございまして。してみますと、すべて中っくらいにいますということは、どうして中っくらいの幸福どころではございませんで。」
    「過ぎたるは白髪を早め、適度は長生の基のようで。」
    「月のあるうちはあの燈も見えませんでしたが。」
    (そうよ、大きな輝きが小さな輝きを見えなくする。)

    ・シャイロック…富めるユダヤ人。シェイクスピアの、また当時のイギリスのユダヤ人に対する憎悪がシャイロックの性格像に表れている。解説を読むと更に興味深いが、ここに当時の偏見とも言うべき人物像が写されている。

    他、印象的な言葉の引用
    ・「外観というものは、すべてひどい偽りかもしれぬ。そして、世間という奴は、いつも虚飾に欺かれる。世の虚飾とはすべて、魔の海へと人を誘う偽り多い岸辺でもあれば、また黒いインド美人の顔を隠す、美しい顔覆いでもあるのだ。」

    ・「外観によりて選ばざるもの、汝にこそ幸運は常にあり、選択もまた正しからん。かかる幸運の汝に帰せし上は、足るを知りて、ゆめ新を求なかれ。」

  • 初めてシェイクスピアを読めたという喜びが大きい。大学の英文学の授業ではお手上げ状態だったので(『Macbeth』が難しすぎたのを今でも覚えている)、卒業後もシェイクスピアを敬遠していたが、日本語で読むと単純にストーリーを楽しめた。解説も素晴らしく、シェイクスピアという謎に包まれた人物について、知れば知るほどハマってしまう気持ちが理解できた。次は四大悲劇に挑戦したい。

  • ユダヤ人の商人が、舞台の去り際まで悪役を演じ切る、その様が好きです。時代背景はさておいて、作品の登場人物として、頭から尻まで一貫した立ち位置を保つ彼の姿に心惹かれました。

  • 人間の強さ、弱さ、滑稽さがわかる本でした。

  • やっと読めた。面白かった。ユダヤ人への差別的なところはやはり気になるが、時代ということかです

  • シェイクスピアの有名な喜劇である。
    貧しいが高潔な若者バッサーニオは、美しい貴婦人ポーシアに求婚したいと思っているが、残念なことに先立つものがない。困ったバッサーニオは友人のアントーニオに金を借りようとする。間の悪いことに、貿易商であるアントーニオも現在、手元不如意だった。彼の船はすべて洋上にあり、その船が戻るまでは金がないのだ。友人のために一肌脱ごうと、アントーニオは吝嗇な金貸しシャイロックに借金を申し込む。普段からアントーニオを快く思っていなかったシャイロックだが、意外なことに利子を付けずに金を貸してくれるという。その代わり、彼が持ち出してきた条件は、期日までに金を返せなければ「肉1ポンド寄越せ」という異様なものだった。
    バッサーニオはポーシアと結婚できるのか。アントーニオの船は帰って来るのか。そして悪辣なシャイロックの企みを逃れる術はあるのか。
    ドラマチックな展開の後、物語は「大団円」を迎える。

    子供の頃、お話形式に書き換えられたものを読み、悪者がやっつけられ、善人が幸せになる痛快な話だと思っていた。
    十年ほど前、本作を元にした映画(『ヴェニスの商人(アル・パチーノ主演)』)を見て、いささか衝撃を受けた。
    あまり意識していなかったが、金貸しシャイロックはユダヤ人であった。彼は本当に一方的に「悪い」人物だったのか。彼の「罪」とは何なのか。

    少しストーリーの骨組みを見ていこう。
    この話は実は大部分、シェイクスピアのオリジナルではない(シェイクスピアが素材を言い伝えや有名な話から採るのはよくあることである)。元となる話は3つ。「借金のカタである人肉を巡る裁判」、「妻問いの箱選び」、「指輪のエピソード」である。これを上手に組み立て、芝居に仕立てたのがシェイクスピアの手腕だったわけだが、もう1つ、この話が残ってきた理由としては、シャイロックとポーシアの人物描写が挙げられるだろう。この話では、言ってみれば、彼ら「だけ」が浮き上がって見える。アントーニオとバッサーニオの男同士の友情物語とも見えるが、この2人はさほど、厚みを持って描き出されてはいない。求婚に来たバッサーニオにポーシアは惹かれるのだが、それは「紳士」であるからという説明しか見あたらない。
    シャイロックがいかに非道か。ポーシアがいかに美しく賢いか。
    この2点が物語の吸引力である。

    3つのストーリーラインのうち、「箱選び」と「指輪のエピソード」にはシャイロックは関わらない。
    「箱選び」の方は、金・銀・鉛の箱のうち、ポーシアの絵姿が入っているものを選んだ求婚者が「勝ち」である。多くの求婚者が現れては誤った箱を選んでいく。箱には意味ありげな箴言が書かれているが、「意味ありげ」なだけであまり深みはない。さてバッサーニオは「正解」を選べるのか、というところだ。ロマンチックだが結論ありきの印象も受ける。
    「指輪」は「裁判」に絡めてはいるが、要は妻が夫の誠実さを確かめようとするちょっとしたいたずらのようなものである。現代ならさしずめ「どっきりカメラ」だ。

    主題はやはり「人肉裁判」だろう。
    前述の映画では、シャイロックがユダヤ人であることに焦点を当て、当時(中世イタリア)のユダヤ人がいかに偏見に満ちて見られ、いかに虐げられていたかを描く。
    うーむ、と唸りつつ、いやまぁさすがにそこに重点を置いたものだから、原作はまた別だろうとも思っていたのだ。
    だが、今回、原作の戯曲を読んで驚いた。
    ある意味、映画そのものである。執拗な差別の描写こそないが、なぜシャイロックが悪人と見られるか、といえば、「キリスト教徒でなく、ジュウ(ユダヤ人)である」「利子を取って金を貸す」からである。そしてサイドストーリーとして、シャイロックの娘、ジェシカは、バッサーニオたちの友人であるロレンゾに口説かれ、恋に落ち、父親の財産を持って駆け落ちする。
    ・・・え、シャイロック、どこが悪いの・・・? 被害者じゃない?
    対するキリスト教徒側といえば、「紳士」であるために放埒の限りを尽くして無一文どころか借金まみれになったバッサーニオ、博打のように貿易に全財産をかけ先のことがわからないのに借金が返せなければ肉1ポンド取らせる約束をしたアントーニオ、父親の目を盗んで娘に言い寄り、駆け落ちさせるに留まらず大金をせしめたロレンゾ。
    ・・・さんざんじゃん・・・。行き当たりばったりなやつばっかりじゃん。

    中世イタリアで、ユダヤ人のつける職は多くはなかった。彼らはいわば生計を立てるため、金を貸して利子を取るしかなかった。しかし、それはキリスト教徒から見れば、聖書の教えに反することであった。
    このあたり、単純な宗教対立としてよいのかどうか迷うところであるが、いずれにしても、この話を単純な勧善懲悪の話として見るのは難しい。
    シャイロック自身も確かに高潔ではなく、容赦なく高利で金を貸していたようではあるが、それにしても裁判でぐうの音もでないほどにやっつけられるのはいささか一方的過ぎるようにも感じる。

    裁判になる前に、シャイロックの長いセリフがある。そこで、いかに自分が虐げられているか滔々と怨嗟を述べている。
    そこにはそれなりの「理」があるが、それでも彼はこっぴどくやっつけられるのである。

    大衆が求めるのはやはりわかりやすい物語である。悪者は悪者として裁かれねばならず、「公開処刑」で溜飲を下げることもあったろう。悪者は糾弾されるべきだ。けれどそこには一抹の疑問もあったのではないか。糾弾されているのは、本当に悪者なのか?
    シェイクスピアはおそらく、本作の中で、ユダヤ人差別も擁護もしようとはしていない。ただ時代の空気を掬い取る戯作者として、ユダヤ人を悪者と見る差別感、そうはいうものの彼らにも幾分かの理があるだろうとする微かなささやきをつかみ取っていたのではないか。
    そういう意味で、本作は1600年前後のイギリスの空気のポートレートとして読むこともできるのかもしれない。


    *教皇も輩出したメディチ家は銀行業でのし上がってきたはずですが、銀行って金貸しとはまた違うのかな・・・? そのあたり、うまく折り合いをつけていたものなんですかね。ちょっとよくわからないのですが。

  • んー、今の時代にこれは不味いなあ
    ーーーーー
    シェイクスピア(一五六四―一六一六)の喜劇精神が最も円熟した一五九〇年代の初めに書かれ,古来最も多く脚光を浴びて来た作品の一つ.人肉裁判,筐選び,指輪の挿話等をたて糸とし,恋愛と友情,人情と金銭の価値の対照をよこ糸としているが,全編を巨人の如く一貫するシャイロックの性格像は余りにも有名である.

  • 悲劇だと思って読んでたら喜劇でびっくりした。シェイクスピアは喜劇→悲劇と作風を変えているらしい。
    極悪金貸しユダヤ人のシャイロックによって、相対的にキリスト教とアントーニオが好印象となっている。アントーニオは友人のために身を差し出すため好印象だが、キリスト教もバッサーニオも作中ではいまいちパッとしない。シャイロックが強烈すぎるのだ。
    演劇のおもしろいところは、監督、俳優による解釈がなされて上演されるところである。シャイロックの解釈が秀逸であれば、必ずおもしろい上演になる。

  • シェイクスピアの作品を1回は読んでおきたいと思い、1番目に着いたものを選んだ。登場人物が多く読みずらいのかなと思っていたが、意外に読みやすく、あっという間に読み終わってしまった。シェイクスピアがどこまで見透かしていたのか。シャイロックを差別の対象としてしか見ていなかったのか、読者に訴えるものがあったのか、聞いてみたくなった。シャイロックの孤独がうかがえたと思えば、すぐにシャイロックに裏切られる。シェイクスピア文学の深さを感じることができた。

全66件中 1 - 10件を表示

W.シェイクスピアの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
W.シェイクスピ...
三島由紀夫
梶井基次郎
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×