- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003224410
作品紹介・あらすじ
日本を終生愛してやまなかったハーン(一八五〇‐一九〇四)が我が国古来の文献や民間伝承に取材して創作した短篇集。有名な「耳なし芳一のはなし」など、奇怪な話の中に寂しい美しさを湛えた作品は単なる怪奇小説の域をこえて、人間性に対する深い洞察に満ちている。
感想・レビュー・書評
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ラスカディオ・ハーン(小泉八雲)の怪談集ですね。
ハーンは日本に来る前のアメリカ時代から怪談に並々ならぬ関心を寄せていたそうです。
この作品集は翻訳で、訳者の解説で恒文社版『全訳小泉八雲作品集』におさめたものを、同社の許可をえたうえ、二三の誤植を訂正したものだそうです。
ハーンの怪談研究は、ハーンと言えば怪談と言われる位にハーンの著作の中でも検挙に暇が無いくらいですね。
夏と言えば、踊りを主体にした祭り、花火、怪談話ですからハーンに導かれて日本の怪談を読みませう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
毎年お盆の時期になると、怪談が読みたくなる。
どこからともなく聞こえてくる祭囃子。
参道に連なる提灯。
神社の境内に並ぶ石灯籠。
迎え火のゆらめき。すすの匂い。……
日本の夏の風物詩とともに、怪談はあるように思う。
怪談を愛でることは、季節を愛でることでもあるのだ。
世に怪談は数あれど、どうせ読むなら極上の一冊がいい。
上田秋成『雨月物語』や柳田國男『遠野物語』。泉鏡花に内田百閒。
杉浦日向子や森見登美彦、夢枕獏も捨てがたい。
今年は八雲の『怪談』を読むことにした。
ちょっと風変わりな一冊だ。
『怪談』は1904年、ギリシャ出身のイギリス人、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが、日本の民話をもとに創作した怪奇小説の短編集である。
「耳なし芳一」「雪女」「むじな」「ろくろ首」など、日本人に馴染みの深い話のルーツがここにある。
しかし八雲は終生、日本語の読み書きができなかった。
作品は英語で書かれ、初版はアメリカの出版社から発行されたのだ。
ゆえに『怪談』は岩波文庫の赤、すなわち海外文学として登録されている。
しかし『怪談』は紛れもなく日本の物語である。
そう感じる理由は、物語の内容もさることながら、その世界観のためだ。
いたずらに読者の恐怖を煽るタイプのホラー小説とは違い、抑制的で淡々とした八雲の語り口は、むしろ読者に静謐と向き合うことを要求する。
生への執着と未練。愛する者との別れと悲しみ。
ヒトではないモノの存在を通して描かれるのは、他ならぬヒトの姿である。
魔と呼ばれるものは、日本にあっては、我々の外部からやってくるものではなく、我々の内部にもとから内包されているものだ。
魔を語ることは、すなわち人間を語ることである。
しかし、この感覚がどこからくるものなのか、私には説明することができない。
仏教か、神道か、それとももっと太古の世界に由来するものなのか。
いずれにせよ、この説明しがたい日本的霊性が、西欧人である八雲の筆によって見事に表現され、それを日本人の私が「日本的だ」と感心して読んでいるという事実に、私は興味をそそられるのだ。
8月16日の送り火が済んだら、私の住む北日本では、もうまもなく秋である。
9月を待たずして、すでに半袖では肌寒く感じるほどだ。
夏に跋扈していた魑魅魍魎も、きっと根城に帰ったことだろう。
北国の夏は、かくも短い。-
佐藤史緒さん
山田太一が脚本を書いたNHKドラマ「日本の面影」は、ジョージ・チャキリスが小泉八雲を演じ、なかなか素晴らしかったです。
と、怪...佐藤史緒さん
山田太一が脚本を書いたNHKドラマ「日本の面影」は、ジョージ・チャキリスが小泉八雲を演じ、なかなか素晴らしかったです。
と、怪談とは別の話をする猫でした。。。2020/12/06 -
2020/12/10
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佐藤史緒さん
岩波から脚本が出ていたのですが、今は品切れみたい
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b2...佐藤史緒さん
岩波から脚本が出ていたのですが、今は品切れみたい
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b256031.html2020/12/10
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【概略】
ギリシア・アイルランド・アメリカその他、様々なエッセンスを持つ小泉八雲、その視点から日本の民話・寓話などを怪談に。また八雲の「蝶・蚊・蟻」に対するユニークな考えも併せて堪能できる。
2024年01月24日 読了
【書評】
洋書(これが原書だよね、きっと)→児童書、ときて、通常の「怪談」も読んでみた。
内容ではないことを何個か挙げさせて。3つ、かな。①ひらがなの難しさ ②解像度の違い ③美しさは翻訳にも宿る なんて感じ。
この本の前に児童書(あおぞら文庫)を読んだ時に感じたこと、それは「あぁ、ひらがなだけ、ひらがなが多いって読みづらいなぁ」というもの。漢字も適度にあって、ルビもついてる状態だったのだけど、やはり漢字の総量が少なかった。漢字って究極のフォトリーディングで、漢字の形や雰囲気から意味を予想できるじゃない?自分の日本語の語彙力だと、おそらくは漢字が多い方がよいのだろうね。今回、痛感した。
解像度の違いについては、自身の英語と日本語の差異だね。洋書で読み進めた時に脳内で描かれる情景の細やかさの違いたるや。ちょっと凹んだなぁ。特に「蝶・蚊・蟻」の箇所、蚊のところの・・・なんというか、八雲の妄想劇場のニヤニヤな執着心の部分、読み切れなかったもの、洋書だと。
そして読み進める中で日本語に翻訳されてもなお、小泉八雲が描く文章の美しさが損なわれず楽しめたのよ。そこは翻訳をされた平井呈一さんの素晴らしさ。「(レベルの高低は別として)英語を話せる」ことと「それを素敵な日本語に翻訳・通訳することができる」って、別の能力なのよね。翻訳されたものを読む楽しみって、ここなんだなとあらためて認識したよ。本当に感動した。
さてさて本書の感想として・・・。実際の感想は、あおぞら文庫の部分と変わらないかな。「青柳ものがたり」での女性の美しさもやはり楽しめたし。「あっ、これ英語落語にしたら面白いかも」と思ったのは、「葬られた秘密」かな。たんすを前にした和尚とお園のやりとりなんか、面白く、そしてすこし甘酸っぱい感じにできるんじゃないかなと。やってみようかな。
そして新たな一面、「蚊」から。筒井康隆さんのようなテイストで、東京都が条例で東京中の水がたまるところに油をひいてボウフラをわかせないようにする辺りなんて、ゾワゾワしてしまった。・・・って、これは確実に自分の倒錯した精神のツボにはまっているだけなのだろうなぁ。 -
19世紀の日本を訪れ、日本研究に生涯を捧げた英国人、ラフカディオ・ハーンが蒐集した日本に伝わる怪談・奇談を集めたもの。
子どもの頃に一度は名前が聞いたことのある妖怪にまつわる怪談話の原典が多く入っており、現代の日本人から見ても新鮮。
今の怪談話や怖い話とは違い、古典的な怪談話は善因善果、悪因悪果といった教育的な内容や美しさを残して終わるような読むものに余韻を残す内容が多いのがいいなと思った。
中には意外にもコミカルなものもあったりして面白い。 -
どれも背筋がゾクっと凍るような怪談で暑くなるこれからの季節におすすめです。全て短編なので隙間時間にサクサク読めます。個人的には雪女、むなじ、青柳物語が楽しく読めました。
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真面目に読むのは初めて。恐さの中にも美しさがある。なお,ろくろ首というのは首が長く伸びるものかと思っていたが,首が胴体から離れてふらふらするものもあるらしい。「鏡と鐘」という話は,鐘を突き破ったら財宝が得られるという言い伝えがあったが,さすがに容易には打ち破れない,この言い伝えに「なぞらえる」かたちで手水鉢を割ったら三百両が手に入った者がいるという噂を受け,放蕩者が泥で鐘のかたちを作って割ったところ,地面から長い髪の毛をたらした白衣の女が現れ重い壺を置いていった。「夫婦はともどもに壺の蓋をあけてみた。とたんに,夫婦が見たものは,壺の口もとまでいっぱいにあふれている……。/おっと,壺のなかに何があふれていたかは,ちょっと言いかねる。」というリドル・ストーリーのような終わり方。
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2018.10.1(月)¥100(-15%引き)+税。
2019.2.1(金)。 -
¥
mmsn01-
【要約】
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【ノート】
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ブンガク?
かかった時間90分
ひさびさに読書。夏だし読書リハビリも兼ねて、八雲の怪談を読む。怪談自体は有名なものばかりだったが、訳者の美しい、というか、豊かな?日本語で読むのはまた一興。
ところで、この本の後半には八雲の虫に関する随筆が収められているのだが、それがけっこうおもしろかった。蟻は社会全体の利益のために食欲、睡眠欲、性欲までもを自分の利益と社会の利益が矛盾しないように発達している。もしかしてこれは人間よりも高次の社会形態じゃなかろうか?的な。
昆虫学者の説の引用らしいが、なかなか面白い。 -
日本を終生愛してやまなかったハーン(一八五〇‐一九〇四)が我が国古来の文献や民間伝承に取材して創作した短篇集。有名な「耳なし芳一のはなし」など、奇怪な話の中に寂しい美しさを湛えた作品は単なる怪奇小説の域をこえて、人間性に対する深い洞察に満ちている。(アマゾン紹介文)
ラフカディオ・ハーン=小泉八雲の古典小説。
思っていたよりも、いわゆるホラー的な怪談は少なく、もの悲しい作品が多い。一方で、「ろくろくび」なんかは活劇としても面白い。
勘違いしていたけれど、これって翻訳作品だったんですね。