人間とは何か (岩波文庫 赤 311-3)

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  • Amazon.co.jp ・本 (180ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003231135

感想・レビュー・書評

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  •  個人的に何度も読み直したいと思った本。


     例えばです。
     私の身の回りにはもう亡くなった人も含め、何人か認知症を患っていました。

     そのとき、「日常生活でできなくなってしまったこと」が数多くある中でさえ、人を選んで攻撃をする姿を幾人も目にしました。

     大体、人により、(八つ当たりなど)攻撃する対象は限られてるのですよね。弱者に向かう。もちろん当人が一番の弱者なわけですが、当人が元気だった頃の認識で弱者と思われる人間が攻撃対象になる。強い人間にはあまり向かわない。


     わたし、何となく見ていたり、その対象になったりして、
     「あぁ、自分に対する弱者強者を見分ける力って、結構人間の根源的な能力なんだなぁ。」なんて思っている。


     そこで、いかにうまく取り繕おうとして、勉強したり訓練したりしたところで、


     そんな努力なかったかのように身包みはがされる。


     それが、人間の性質なんであろうとすると、


     自分の性質は、決して素晴らしいものとは言えない。本当に。

     今までひたかくしにしているものが、いつしか決壊して漏れ出る可能性を考えると、

     自分の性質ってやつについてよく考える。

     まだよく見えていない部分も多いのだけど、

     せめて「そんなにひどくない」くらいだったらありがたいのですが…。

  • 人間とは外部から与えられる様々な力によってのみ動かされる、機械と変わりない存在だという内容。

    話の運びが巧く、こちらの抱いた疑問が青年の口から次々と飛び出すので最後まで関心を持って読めた。
    終盤に出てきた不幸になる人と幸福になる人の話からは著者の人生に対する諦観のようなものを感じた。

    この本の内容を楽観的に受け取るか悲観的に受け取るかは読者自身に委ねられていて、その受け取り方こそが幸せになる素質の有無なのだと思った。

  • ニーチェの悲観主義とは比べ物にならないぐらいの悲観論です。人間は自分を安心させたい、自らが満足感を得たいという衝動しか持ち得ないといいます。例えば人の手助けだって、結局は自分の満足感に過ぎないかあるいは良心に対する苦痛の回避というものでしかなく、ある意味で苦痛の回避を買った結果にすぎないのだと。恐るべき悲観論。1度読めば、神経毒のように体を蝕んでいくような気な感覚を味わいます。こんな感覚はニーチェ以来です。人間は自己是認を得たいという衝動しかない。こんな思想のどこに救いがあるのでしょう

  • 私たちの思考や言葉は、外的な力によってもたらされた結果でしかない。自己は形成されるものである。
    利己も利他も形状が違うだけで中身は一緒。
    人間の共通目標は主衝動に基づき、自己満足、自己陶酔することだけ。
    教育は、欲望のベクトルを正しい方向に向ける。
    著者のこのペシミズムは、さっぱりとした考え方で気質的なものなのかもしれない。

  • 人間は教育をはじめとする外因からできた機械にすぎない
    すべての行動は自己是認を求める。他者への思慮も、自己犠牲も、自分が納得するかどうかが最大の基準となる。

    晩年のトウェインがペシミスティックな面を露わにした作品、との解釈が多い。同意であるが、それ以上の解釈の可能性を見出したい。青年の台詞を書いたのもトウェインであるなら、老人がどんなに説得にかかっても何とか食いつこうとする姿勢を見せるのはなぜだろう。


    機械にすぎない人間がここまで「進歩」してきたのはなぜだろう。歴史は繰り返す、しかしそれは螺旋階段だと聞いたことがある。

    キーは「想像力」と「創造力」に在るかもしれない。


    せっかくならば、良い素材をインプットし人類の進歩に寄与していけるようなアウトプットをする機械でありたい。


    自分の幸せが中心にあってもいい。

  • マーク=トウェインの人間観・思想が色濃く表れた、エッセイのようなもの。老人と青年の対話に仮託して描かれる。1906年に書かれたという。

    構造主義の先駆的な文学ととらえると、非常にすっきりと頭に入ってくる。そういった知識がわずかでもあればけっこう楽しめる。

    構造主義の限界や矛盾が指摘されている今日では、この文章もところどころ論理的に誤りがないとは言えない。ただ、当時の著者の逼迫した精神状態を伝えるには十分なほどの、ギリギリの状態というか、筆の力を感じるのも事実。
    だからロジック的には一種の頭の体操のような、パズルに近い感覚。でもその心理的背景を真に受けると割と鬱。

    ただ、僕は人間を機械とこき下ろすような、一見冷徹な文章の裏に、筆者のある種素直な人間愛というか、皮肉の裏返しというか、生への肯定というか…そんなものも見てとれたような気がする。

    「ようするに、気質がすべてだ」という主張は、所詮気質で決まってしまう、そのあきらめにも近いゼロ値を設定することで、ならそっからどうなるかなんて環境と、運任せだ。どうにでもなれ、気楽に行こうじゃあないか・・・(気楽というのも筆者にしてみれば気質の一つかもしれないが)。
    そんな意味で、読了後は暗いよりはむしろすがすがしい気分。
    最後の老人の〆の台詞もまさにそうだと言える。

  • ・本の内容紹介(本書表紙より引用)
     老人と青年の対話の形で書かれたマーク・トウェイン(1835‐1910)晩年の著作。人生に幻滅している老人は、青年に向かって、人間の自由意志を否定し、人間は完全に環境に支配されながら自己中心の欲望で動く機械にすぎないことを論証する。人間社会の理想と、現実に存在する利己心とを対置させつつ、著者はそのペシミスティックな人間観に読者をひきこんでゆく。当初匿名で発表された晩年の対話体評論。

    ・感想
     人間は外的環境に影響を受けながら自身の欲望に従って動く機械にすぎない。老人は青年との問答を通じて、このような人間機械論とでも呼ぶべき悲観的な人間観を訴える。私はこのような人間観に共感できるところが多かった。このような前提に立ったうえで、自分の行動が社会や身のまわりの人の役に立つことが出来ればそれでいいと思う。「情けは人の為ならず」という言葉には、この本で訴えるような人間観が背景にあるのではないだろうか。
     経済学でアクターとしての人間を、自己利益(インセンティブ)のみに従って行動する完全に合理的な存在と捉えるが、これも似たような考え方だと思った。

     また「創造」について言及した問答が18ページや126ページなどに出てくる。これらの箇所で述べられている老人の創造に対する考え方が興味深いと思ったので引用する。

    青年 つまり、人間なんてものに創造の能力はない。創造は無だと、本気でそうお考えになっているのですか?
    老人 そうとも。人間はただ知覚するだけの動物。知覚されたものを自動的に結合するのは、つまり、その頭脳という機械なんだな。それだけの話さ。
    青年 じゃ、蒸気機関みたいなもんで?
    老人 そう。だが、それを発明するのに、何十人って人間が百年間もかかった。発明ってことの一つの意味は、発見だな。わしはその意味でこの言葉を使う。無数といってもいいほどの部分品を、少しずつ彼等は発見し、応用し、結局完全な機関をつくり上げた。蒸気を閉じこめると、急須の蓋を持ち上げる力があるってことに、ウォットがまず気づいた。だが、別にそんな考えを創造したわけじゃない。ただその事実を発見したってだけにすぎん。
    (本書 p126,127より)

     無限に近い事実に対して観察を続け、その中からある事実の関係性を発見する。そして、それをさらに発展させ、あるいは適切に事実を抽出し、ひとつの成果に行きつく。老人によると結局それは無から何かを作りげるのではなく、すでに存在する事実の模造にすぎないのだという。ゼロから何かを生み出すことは出来ないという意味で、老人はこれを創造ではないとする。
     老人の「無から新しいものを生み出すことはできない」という考え方には共感する。しかしだからこそ、私は、観察可能な事実からこれまで着目されていなかった何かを発見することを創造的な営みだと呼ぶようにしたいと思っている。

  • おもしろかった。当時としては発刊できないほどショッキングな内容だったのだろうか。人間=機械のグルジェフの思想と重なり合う部分が多く、グルジェフがテキストとして使用したのも頷ける。同時代に同じように思考した人が存在するということだけでも驚きです。

  • 人間は機械と同じだ
    「何人のどんな行為にしても、すべてそれらは外的力によって生まれるものだ」と。
    という、人間に対しての悲観論ともいうべき見解を、論理だて、比較しながら述べてゆく。
    青年との対話形式になっており、
    とても面白くスムーズにも読める。

    ここまで言われると、はっきり言ってその通りだ、とも思えてしまうから怖い。
    信条と気質の対比も興味深い。

  • そりゃ尊敬はするよ、帽子を取って敬意も払うさ、なに、ただ習慣と教育の結果だけでね。

著者プロフィール

Mark Twain 1835年-1910年.
邦訳された自伝に、
時系列順に並べられている
『マーク・トウェイン自伝 〈上・下〉 ちくま文庫 』
(マーク トウェイン 著、勝浦吉雄 訳、筑摩書房、1989年)
や、トウェインの意図どおり、執筆順に配置され、
自伝のために書かれた全ての原稿が収録されている
『マーク・トウェイン 完全なる自伝 Volume 1〜3 』
(マーク トウェイン 著、
カリフォルニア大学マークトウェインプロジェクト 編、
和栗了・山本祐子 訳、[Vo.2]渡邊眞理子 訳、
[Vo.1]市川博彬、永原誠、浜本隆三 訳、
柏書房、2013年、2015年、2018年)などがある。



「2020年 『〈連載版〉マーク・トウェイン自伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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