- Amazon.co.jp ・本 (391ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003232347
感想・レビュー・書評
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アメリカ南部の旧家コンプソン家。上巻は、第一章がベンジー、第二章がクエンティンの視点から描写される。
白痴のベンジーの内側から見る世界は、不可思議だけど詩的で心が揺り動かされる。クエンティンの止まない回想や幻想は、どんどんその思考の中に閉じ込められていくようで不安になる。
まだ全体像は掴めない。ただ幸福な人が誰もいない印象。どこからか狂い始めた、というより、最初から何かが狂っていたのでは、という不穏な気持ちを抱きながら下巻へ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
文学
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岩波文庫版は、巻末に詳細で丁寧な付録を掲載。地図もある。それらを頼りにしたことで、幾分、作品世界を味わう助けになったと思う。ただ、「場面転換表」(これまた大変な労作なのだが)を引きながら読み進めたのだが、ややもすると、付録をひくことが煩雑にすぎて、読むリズムを妨げたかもしれない。次回再読の際は(もう全体像は把握できたので)場面や時制の転換は気にせずにそのまま読みたい、と考えている。
岩波文庫版の上巻では、「(三男)ベンジャミン」の章と、「(長兄)クエンティン」の章、2つを収録。ベンジャミンは33歳、白痴。彼の主観・視点で描写される。ゆえに、論理的な思考というのでなく、過去の出来事の断片的な映像(場面の記憶、印象、思い出)や、匂いの記憶が、連なってゆく。そう、ベンジャミンは、匂いに敏感だ。姉のキャディーの心境変化も、匂いで察知する。ベンジャミンは、誰よりも、キャディーを思い慕っているのであった。
※ちなみにコンプソン家兄弟姉妹は以下の順となっている。長男クエンティン、長女キャディー、二男ジェイソン。三男ベンジャミン(ベンジーから改名)。
作品全篇については、下巻読了後に改めて、memoを書くことにする。 -
思考の混沌。
クエンティンの章が好き。特にキャディ関連。綺麗で儚い。 -
「あなたは妹を持ったことがありますか。」
カギは血縁?絆?この「妹」は必ずしも実際の妹である必要はないのだと思う。クエンティンの場合は実の妹だったというだけで。兄弟姉妹や、友人、子供といった自分の大切な人に恋人ができたとき、「奪られた」という気がしてしまうことは珍しいことではない。自分と相手の絆が他人という第三者の闖入によって断たれてしまうということへの不安。相手は本当にこんな他人を愛しているのか。自分との絆以上に?エゴだと気付いていても嫉妬は止められず二人の間から他人を締め出そうとする。クエンティンが近親相姦という虚言に至るにはこんな流れがあったのではないだろうか。自分がキリスト教徒じゃないせいもあるだろうけど、クエンティンのはちょっと過剰気味なだけで普通の兄妹愛のように思える。お前みたいなチャラチャラした野郎に俺の妹はやれん!妹溺愛お兄ちゃん。そんなに思い詰めるなよ〜、兄妹離れ、子離れ、親離れできない人間なんてこの世にいっぱいいるよ〜。アブサロムを読んだ時も思ったけど、クエンティン君繊細すぎる。途中から突然暗く落ち込んだ感じになったのは、ジューディスにキャディを重ねたから?とはいえ結局一線は超えなかったのだから、時間が経てば気持ちは落ち着いていったのではないかと思うのだけど。いったい何にそんなに囚われているの。下巻で明らかになるのだろうか? -
何の予備知識もなく読むと最初は戸惑うかもしれない。
思考の流れを文字に表わそうとするとこのようになるのかと驚嘆した。
ある風景を見ている時に頭の中では記憶がフラッシュバックするということはよくあることである。
一度全体を読み、必要であれば解説に目を通し、再読するのがよいかもしれない。 -
「アブサロム、アブサロム!」のクウェンティン君に惹かれ手に取ったものの……わーお……
にしてもフォークナーやっぱすげぇ。アブサロムで体験した高い壁、不動の巨岩をこの作品でもびんびん感じた。五感フル稼働してやっと上下読了。シャンディ然り、灯台へ然り、この種の「読みにくさ」とはイコール「『心理的肉薄』に対して抱く軽い目眩」なのではないだろうか? -
これは大学の講義で勧められ。
まだ上巻しか読んでないが、本の描写のされ方故
全然意味がわかっていない。
現在下巻を読んでいる。物語に深みが出てくることを願う。
ただ、そうだな。上巻の、クエンティンの過ごした日々の描写は、好きだな。
色んな小さな描写が、「読み終わること」によって徐々に浮き彫りになってくる感じが、面白い。
1月30日。
下巻読了なり。下巻は読みやすかった。
家に暗い影を落とし、少しずつ一家の歯車を狂わせていったそもそもの原因など、求めるべきではないのかもしれない。
うちには、老いの進んだ祖父がいる。
孫娘の私のことを、既に嫁いだ娘だと思い込み、
「何でお前は母さんの夕飯の支度を手伝わないんだ」
「何で結婚もせずに家にいるんだ」
(残業で遅くなると)「女がそんな時間まで働くことあるか。どこほっつき歩いてたんだ」
と、しばしば戦前的価値観で頭ごなしに怒られることがある。
うまくいなせるときは、我慢できる。
でも、どうしようもなく耐えられなくなることが、たまにある。
そんなとき、一人部屋にこもり、やり場のない怒りを(なんせ向こうは分かっていない)、声にならないうめきをあげ泣く自分の無様な姿は
「響きと怒り」に似たものが、あるのかも知れない、と思う。
やり場のない鬱屈を抱え、人は生きていく。
自分とは違う鬱屈を抱えているがゆえに、見ようによってはまるで屈託のないように見える他人を羨みながら。
不幸自慢なんて、キリがない。そう、分かっていながらも
出口の見えない自分の環境に、時々息切れしそうになる。
お前はいいよな、くらい言いたくなる気持ちが、
私には痛いほど分かる。
分かりたくなんてないんだよ。ほんとは。
自分ばっかりなんて、そんなことあるわけないって、分かってるんだもん。
自分の矮小さと残酷さと、行き場のない閉塞感を、
思い知らされるこの現実。
私には、この困難の先に何が残る?
響きと怒りをひた隠し、私は今日も生きる。 -
『アブサロム、アブサロム!』以来久々のフォークナーだが、やはり彼は凄い。標準の字体とゴシック体を使い分け、ゴシック体の箇所は基本的に内面の描写に当てられているのだが、本作ではそれを意図的に脱臼させることによって時に内面の世界が現前化し、逆に現実が内面の世界の様に非現実化されている狂人の世界観を再現してしまっているのだ。一部では白痴のベンジー、二部では強烈なトラウマ体験を持つクウェンティンの視点によって記憶と現実が混濁した物語が紡がれていき、コンプソン家を襲った悲劇が徐々に輪郭を帯びていく。この勢いで下巻へ。