ブッデンブローク家の人びと 下 (岩波文庫 赤 433-3)

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (367ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003243336

作品紹介・あらすじ

一家の、かつての明るい健康な気風は徐々に頽廃的なものに変ってゆく。トーマスにとってとりわけ息子の繊細な心と弱々しい肉体は気がかりであった。少年はわが家の系図を見つけ、その末尾にある己れの名の下に線を引く、他愛ない悪戯心からだったのだが。

感想・レビュー・書評

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  • 最後の2ページ‼️

  • 2022.05.26 図書館

    これもなんかでおすすめされてたか、なにかの引用で出てきたか……。

    何の前情報もなく、まあメモして借りるくらいだから面白いのだろうと期待しつつ、この上中下の大容量を読み始めた。

    読み始めてから少し調べると、作者のトーマスマンはノーベル文学賞を受賞していて、その人の代表長編とのこと。
    一気に期待値があがって読むペースが上がる。

    上巻は登場人物の把握と一族ものだからみんな名前が似てるのと、大昔のヨーロッパで馴染みない言葉に慣れるまでが大変だった。
    地の文がしっかり書かれてるタイプでなかなか進まないところもあったけど、
    ユーモラスで読みやすかったので上中下巻の分量ほどの大変さは全くなかった。
    とくに中下巻は展開もはやくて気がついたら読み終わってた。

    一族の最繁栄期からはじまって、没落までなので
    とにかく下る一方。
    上巻は明るい内容で楽しめたけど
    中下巻はどんどん転落していく。

    誰がやらかしたとか、大きな転換期があるわけでもなく、小さな不運が重なってじわじわ没落していく印象。

    それでも誰より真面目で、長男として一人で没落を阻止しようともがいてるトーマスの健気さが一番悲しかった。
    トーニはなぜか男運が無さすぎてしんどかった。

    一代で財を成す人は、傲慢さがなければ無理。
    家族に対してもでる。
    その圧力を受けて育つ長男は、臆病で真面目。
    なんか悲しい。

    全体的にはひたすら没落だから重い読後だと思いきや、
    読んでいる間も起きていることは悲しいのにそれをあまり感じさせない、引きずらせないところがあった。
    ユーモアなのか、展開なのか。

    なんで読み始めたのか全くわからないけど、
    読めてよかった!

    やっぱり昔の海外文学は
    過剰な説明と演出、勧善懲悪がなくてとても好き。

  • 2021/10/8

  • ひさびさの長編読破.ブッデンブローク家の没落を描くトーマス・マンの最初の長編.読み始めてから40日ほど.私にしては異例のハイスピードで読了.特に上巻,中巻はトーニのキャラクターに牽引されて,非常に面白く読めた.人物一人一人がいきいきと描かれて,心理描写もにくいくらいうまい.さまざまなエピソードもからまり合いながら,やがて没落を迎える家族の歴史の一つ一つを形作っている.

    ここからは思い出.わたしは大学の教養の授業でこの本の講義を受けた.当然読まされたわけだが,上巻の半ばで挫折した記憶がある.その当時は読む力がなかったんだろうな.長じて,この小説が北杜夫,辻邦生の愛読書だったことを知り,いつかは読みたいと思っていた.というわけで読了できて幸せである.生きていれば少しずつ願いが叶うということか.確か,訳者は北杜夫,辻邦生の松本高校時代のドイツ語の先生.あとがきにも斎藤宗吉君への謝辞がある.

  • 原書名:Buddenbrooks

    著者:トーマス・マン(Mann, Thomas, 1875-1955、ドイツ、小説家)
    訳者:望月市恵(1901-1991、安曇野市、ドイツ文学)

  • 出口治明著『ビジネスに効く最強の「読書」』で紹介
    あるドイツのブルジョア家庭の4代にわたる変遷と衰退を描く。

  • 難儀な旅だった。
    そう思う。
    今になり知ったのだが、マンの長編処女作らしい。初期の段階から作家として扱う主題がきっちり決まっていたのだな、と感じた。いや処女作ほど作者自身の新の姿が反映されるモノなのだろう。
    『魔の山』を読んでずいぶん経つ。
    ハンス・カストルプと言う名前は生涯忘れる事はないだろうが、あの本が持つ膨大な情報は私にはとても手には負えなかった。覚えていることと言えばセテムブリーニのしゃれたステッキと、おもちゃの兵隊のように脇目もふらず戦地を歩く主人公の姿ぐらいだ。
    そんな『魔の山』が少しばかりトラウマとなって長らく読むことを躊躇していた本作だが、廉価で絶版が手に入ったのでチャレンジをしてみた。
    そして読んでみて意外に読みやすく、ストーリーがしっかりとあることに安堵した。



    さて何から書こうか。
    ここしばらくそれについて考えていたのだが、なかなか考えがまとまらなかった。
    ほかの人の感想や書籍等も色々と見てみたりもした。そんな風に異様にまじめ腐ってしまったのは、どうもこの作品が気になってしまったからだ。
    『悪霊』以来の感覚だな。



    物語はドイツのリューベクという街に住むブッデンブローグという裕福な商家の親子4代(ヨハン→ジャン→トーマス→ハンノ(ヨハン))の姿を通して、”没落”の様を描いている。
    けしてドスト先生のような強烈なキャラクターが物語を引っ張るのではない。
    多少トーニなどは特徴的な部分も持つが、日本人には理解しやすい範囲の個性を持ち、物語を彩る。
    本著はすべてを自然な物語の流れとして描いている。けしてわかりやすい、引き金や事件などをあからさまには用意せずに静かに、静かに描いている。
    それだけに、なぜ没落したのか?と言う部分の読み解きをしたい人には不満が募りそうだが、世相や現象的な部分を持ってしてうまく解いてゆくと非常におもしろい理由が見えてくる。
    私が色々と見た中で特に印象だったのが、『プロテスタンティズムと資本主義の精神』を持ち出しての解説だった。
    あまり宗教的な話を混ぜるとややこしくなるのだが、いや面白いので少し書いておこう。




    キリスト教におけるプロテスタントでは、神による恩恵が与えられる存在ははじめから決まっている(予定説)。つまりその人が人生で善行をしようが、悪行をしようが、それが死後の世界での最後の審判に影響されることはないのだ。
    そういわれると何だそりゃと現代の私達ならなり損ねないはなしなのだが、むしろ免罪符ですべて解決という短絡的な方法こそ邪道だし、そもそも私たちごときの行動が神の判断に影響を及ぼすなどおこがましい、というはなしなのだ。
    さてさて困った話、となりそうだが、しかし、この話にもミソはある。
    決まってはいるが、その恩恵が”誰に向けられているのか”は定かではないのだ。
    こう考えたときの、つぎには話はこう転んだのだ。なら、神に選ばれたものはその意志にふさわしい敬虔な生き方をするはずだ、と。なんともウルトラCな発想なのだが、大真面目に言っているのだ。
    その結果、人々は禁欲的に敬虔とせっせと働く、自分が選ばれた存在であり天国で救われることの証を少しでもたしかなものにとしたいからだ。
    諸説あるがキリスト教における最後の審判で選ばれなかった者は、完全に消滅する。けして救済や復活はない。
    その恐怖は大きい。だからこそ用意された逃げ道を目指してせっせと人々は勤労に勤しむと言うわけだ。
    この日本人には驚くべきウルトラCなのだが、西洋諸国にとって宗教とは倫理や道徳となるモノだ。そのためそれが起こす威力とはすさまじく、影響は多岐にわたった。
    そのなかでも特筆すべきものが、”金銭を儲ける事への正当性を与えた”と言うものだ。
    利潤追求が、敬虔と繋がるわけがない、と言われそうだが違うのだ。
    あくまで金銭は副産物なのだ。それは選ばれた存在だという確証を得るための、敬虔かつ禁欲的な精進の結果にほかならない。つまりここで言う”正当性”とは選ばれた存在が精進した結果の物理的な証拠になったと言うことだ。
    加えて、精進の姿のひとつである”慎ましい献身”は「隣人愛」の実践にまで合致する。
    何とも解釈は柔軟かつ、深いときているのだが、もともとプロテスタントはかなり禁欲的な宗派といわれている。しかしここではその禁欲性がまさかの解釈によって金儲けを積極的に肯定する倫理的裏付けの立役者となり、結果莫大な生産力を人類から引き出したのだ。


    何とも壮大な話だが、この話の部分は本書においては二代目:ジャンの肖像にその姿が重なる。
    ヨハンは序章的に一族の繁栄と地位を示す存在でジャンはその後を背負う存在なのだ。
    彼は非常に信仰に厚い敬虔な人物として描かれている。そして商売的にはあまり冒険はせず、「働き、祈り、倹約せよ」を口癖としていた。彼は先に挙げた確証のために励む人々にかなり近い人物だ。そうなのだ。そして信仰をもつがゆえに彼の内部には基盤があり強さを持っている。
    プロテスタント達の敬虔で勤勉な様は、確証を目指すが故に商売に対する合理的な方法などもいくつか生み出すにもいたる。そうした効率を求めての合理性もジャンは待ち合わせており、おかげで飛躍的、とは行かずとも堅実に商会の経営はされてゆく。
    ここではひとつの”安定”が描かれるのだ。
    なるほど、彼は近代に見られる資本主義の安定的な成功の道筋を示すひとつの肖像なのだ。



    と、これだけだと、それで?と成りかねない話だが、話に続きはある。
    この話のメインディッシュは”没落”なのだ。
    先ほどの話をまた持ち出すと、こうした一連の流れが近代資本主義の発展に貢献したのは確かだが、勿論いい話ばかりではない。
    先の理論はどの項目かが抜けてしまってはその成立に歪みが生じる。
    眺めてみたところでどこにはじめに穴があくか、と言うとそれはたぶん私たち現代人には感じやすいだろう。現代でもそれはよくよく問題視されたり、物語の題材にされるテンプレなのだ。
    それは”世俗化”による穴だ。
    元々が信仰によりこの方式は成り立っている。いや、すべてはそれに端を発するといってもいい。しかし安定の中で未来のために敬虔な生活はおざなりにされ、目先の富が人を浸食しはじめる。
    信仰のための堅実な労働とその副産物としての金銭だったものが、やがて逆転し金銭を目的とした労働とされはじめるのだ。
    この結果がどうなるか、極端な合理主義と利潤追求がされはじめる。その先はテンプレの物語の多くと同じよう、破綻と崩壊が少なからず見え隠れする。
    だから共産主義や社会主義が台頭したのか、いやここまで言及すると話がこじれすぎてしまうのでやめるが、この物語の中では、そうした流れの象徴は三代目:トーマスに表されている。
    父親の勤勉な仕事ぶりを見て育ったトムは商会をさらなる繁栄に導くべく手を尽くす。
    その通りに彼は名誉ある参事会員にも選ばれ、そして新たな邸宅も構え、おまけに商会は百年の節目を迎えることとなる。
    しかしどうだ、それに反比例するようにトム自体の内も外もどんどんと崩れてゆくのだ。
    トーマスは気質的には非常にまじめだが、信仰には薄い存在として描かれている。先ほどの理論で言う根源がそもそも彼にはないのだ。その根幹がないままに利潤追求に走り、一族の血に対する責任におわれるばかりで彼には目的が、つまり救われる”出口”がないのだ。だからこそ彼は追い詰められ、一族も時勢を読めずに閉塞感に満たされてゆく。
    ここに一族の”没落”の影が差す。


    いやはやおもしろいのだ。この読み解きは非常におもしろい。
    資本主義と信仰という一見すると距離のある存在同士がまさかの混じり合いを行う。
    二つの混じり合いは絶妙なバランスを持ち人類の発展に大きな貢献をするのだが、パワーバランスが増してしまったことによりそれは共倒れの憂き目にあうのだ。
    とここまで書いたが、ひとつ言及しなければならないのが、この『プロテスタンティズムと資本主義の精神』よりも『ブッデンブローグ家の人々』の方が先に執筆されたと言うことだ。
    驚くべきはマンだろう。
    彼は世事をよく読めていたのだろう。のちに有名になるこの理論を先取りしたように、物語に埋め込んでいる。だからこそのこの物語の自然の流れなのだろう。
    実体験が多少なりとも含まれていると言うのもあるだろうが、(トーマス・マンは裕福な商家の子息という生い立ち)そうした風潮の読み込みは、深みある没落の姿をここに描いていると思う。



    と、ここまでは饒舌に、やろうと思えば今以上にふくらますこともできるのだが、トムの見せた一族の斜陽から先の部分で私はつまずいてしまったのだ。
    それは4代目にあたるハンノだ。
    いやハンノ自体はよい。体が弱く、目に母ゆづりの影を持つ、音楽に造詣が深い少年。
    彼は一族の最後の血となる。その死に様はあっけない病気なのだが、どちらにしろ彼には商会を背負うような資質は見られなかった。
    ハンノがどうしてそうなったのか、に繋がるのがトムの妻であり、ハンノの母であるゲルダだ。
    ゲルダはトーニの同窓生でオランダの裕福な大商人の娘だ。芸術に深く心を注いでいる女性で、当人はヴァイオリンをこよなく愛する名手である。
    不思議なのがトムがなぜ彼女を選んだかというところだ。もちろん膨大な持参金も期待できるが、それは理由のメインには成らない。
    トーマスはゲルダとの結婚の際にこう考えている。


    【「この娘と結婚をするか、永久に結婚しないでしまうかだ。」】


    しかし、その割にけして一目惚れ等の熱烈な恋愛結婚と言うわけでもないのだ。


    【しかしまた、恋愛、世間で恋愛と考えたがっている気持は、二人のあいだには最初からほとんど存在していなかった。二人の関係に最初から感じられた気持ちは、お互いに尊敬を持ち合うという気持ちだけであった。世間の夫婦間では例のあまりない、几帳面な尊敬にみちた礼儀正しさであったが、この礼儀正しさは二人の気持ちが離れ合っていて、資質がちがっているためではなく、ふしぎなことに、二人がお互いに理解と親近感を持ち合っていて、お互いに無言のうちにいたわり、思いやりを持ち合っているという、あまり例のない深い気持ちから生まれた礼儀正しさらしかった。―――(以下略)】
    (下巻)


    こう言った記述がされるような結婚だ。
    加えてトムは明らかに反音楽的な性質の持ち主である。
    繋がらない、のだ。
    結局私はここに悩んでしまったのである。
    これについては、先の読み解きが非常におもしろかったので、逆にそれゆえに抜け出せずうまい発展が取れなかったのが悪かったのだろうと思う。
    社会学好きなんだよね。宗教と社会学が。
    しかし先ほど自分でも書いたが、ウェーバーの先の理論よりもマンの方が本著を先に記しているのである。ならば社会学的な解説に即した読み解きを続けても出来る訳がないのだ。
    だからこそ、はじめに立ち返ってみた。”処女作ほど作者自身の真の姿が反映されるモノなのはない”という部分に。
    マンにとって市民生活と芸術の対立という言うのは、他の作品にも共通してみられる題材だ。
    それも芸術を至上のものと耽美的に主張するのではなく、『トニオ・グレイゲル』などでも扱われたような芸術が含みがちな病理性を正面から見据える冷静な慧眼をマンは持っていた。
    それを踏まえた上で、トムの言葉を少し引用しよう。


    【「ぼくは、君のようになりたくなかったから、こうなったんだよ。」】


    これはジャンの妻が亡くなった話し合いの折に、トーマスが思わず弟であるクリスティアンに叫ぶ言葉だ。
    クリスティアンは学者を目指してもだめ、商売をさせてもだめという男で、体が弱いのもあるがトムと違い芸術に対する琴線を幾分か持ったが故に不真面目な放蕩を繰り返している。
    そのクリスティアンにトーマスはさらにこう言い放つ。


    【「ぼくが、君を密かに避けていたのは、ぼくにとって君という人間が危険を意味していて、その危険から自分を守らなくてはならなかったからだよ。……これは、ほんとうだよ。」】



    外聞はばかり異端の者として侮蔑するのではなくトムはクリスティアンを”恐れていた”のだ。
    それはなぜか。
    裕福さはある程度のピークを過ぎると個人主義の側面を深くさせる。物質的な欲求が満たされると、精神的な部分へと人は領域を広げたがるのだ。生活の余裕は、人に己の内面に対する異様なる関心と自己本位を深めるのだ。
    ウェーバーの話でいう結果としての金銭、から目的のための金銭が浸透した中で人は、不信仰が故の礎の穴を何らかの形で埋めようとして内に目を向けるようになるのだ。
    芸術というのは、そう言う部分を補ったり慰める側面がある。いわばそれは宗教が不在となった所を補う新しい出口や救いに成り代わるのだ。
    結局、世俗化の代償として、宗教的な礎をもたなかったトムは、本能的に己の出口を探していたのだろう。
    だからこそゲルダに引かれたのだ。対処方法を持つものと持たないものという差異はあるが、同じ苦しみを知っていると言う一種のシンパシーがあったのだろう。
    しかし、先に言ったようにトムには芸術的なものへの琴線があいにくない。そしてその救いによって道を大きく誤っている、悪いたとえであるクリスティアンがいる。
    トムには行き場がない。しかし、探しているものは早々簡単に見つかるようなモノでもないのだ。しかし追い詰められた際に一度、ひとつの救いを彼は見いだす。
    そこにまさかのションペンハウアーのご登場だ。
    ここでションペンハウアーの説明まで入ってしまうとたぶん、終わりが見えない文章になってしまうので、簡潔に済ますが、トムはその著書より、宗教の威力を一時的なものだという否定と、ペシミズム、もしくはこの世に満たされた苦から解脱するという仏教的な観念の元の死に対する希望を知る。加えて、一族の枠を超えた人間という生物単位の生の継承の中におのれは生かされているのだという、考えに目覚め安楽を得る。
    トムはそうして”死”に人々と共有できる価値や”より所”を見いだすのだ。
    何とも先駆的な男だな。これには恐れいったのだが、しかし己の現実と乖離したものに救いを見いだすには彼は歳を取りすぎていた。
    彼の目覚めは一時的なもので結局彼は世俗の中にそれをまた見失う。ションペンハウアーのような死の恐怖の肯定、ひいては自殺の実行などそうそうできるわけがない。トーマスにとって現実とその思想の間にはあまりに距離があるのだ。
    結果、トーマスはますます追い詰められてゆく。そして彼の死は先に挙げたションペンハウアーの見せてくれた希望が不在の場面で訪れる。
    トーマスは何という悲劇の存在なのだろう。現代人にも言えるような、根本を失ったが故の救いのない苦悩に苛まれる肖像なのだ。
    この後に続くハンノについてなのだが、けして正当な市民生活を送っていた一族が芸術に蝕まれた結果という肖像だけなのではないと私は思う。芸術の浸食が一族を没落させたのではない。終わりの足音はその前から聞こえていたし、それはあまりにもわかりやすすぎる構図だ。世俗化が生んだ歪みを補うための対処の一つとして一族は芸術を招き入れたにすぎない。
    しかしそれとは別に健全な社会生活なくしての芸術への傾倒が導く悲劇的な結末のひとつとしてマンはハンノの末路を用意したのだろうとは思う。
    マンは芸術至上主義ではないのだ。だからこそそれだけに救いを見いだす生き方には否定的なのだろう。それはけして芸術を否定するのではなく、己の不満足への行き場のないはけ口としてそれを選択するという芸術が持つ一種の病理性を批判しているのだろう。





    さてここまで書いて思った事は色々ある。
    資本主義の閉塞感、
    信仰の道徳上の有用性
    市民生活と芸術の不和
    意志と表象としての世界
    大河の流れと死の希望
    芸術の病理性

    なんだか漢字がよくあがるが、そうした時代の変動とともに見える動きももちろん読みどころだが、結局の所私が一番凄いと感じたのは物語としてのうまさだ。
    いろいろな肝をはらみながらも、それを抜きにしたとしても物語として非常におもしろいのだ。
    トーニャの数々の不幸、トーマスの華麗な仕事ぶりと苦悩、クリスティアンのアクネードと放蕩、そして4代すべての劇的な死に様。
    おもしろい、何度でも言うが物語として非常におもしろいのだ。
    結局小説なんてそれにまさるものはないのだ。
    なんだよここまで書いといてって話したが、いやでもねって。
    ようやくトーマス・マンのすごさってものが多少なりとも味わえるようになったのかもしれない。
    今回は本当に驚いた。表の物語としても読みごたえ十分、裏の読み解きをしても仕掛けは十分という、素晴らしい著作なのだ。
    恐れいった。はい、すいません、と言う話だ。
    色々な読み解きが他にもあるやも知れないが、私は今回の紐解きをとりあえず気に入っているのでここまでにしておこうと思う。
    いや、本当は『魔の山』こそ本当はもっとすごい仕掛けが隠されているのだろう。
    興味はなきにしもあらず、でも怖さはあるな。重いんだものあれ、しばらくはやはりセテムブリーニのおしゃれなステッキの記憶だけで十分かな、と。
    そう、マンの他の著作に行くのもまだ少し、時間をおこうかと思う。

  • ブッテンブロークスついには滅びぬ。ラストの描写方法は秀逸!そしてついに街から逃れられなかったトーニ、過去の栄光にしがみつくトーニを思うとやっぱりリューベックに行こうと思う。今はみどころを1日でまわれてしまう街。

  • 一族の栄枯盛衰には、読者の心に哀愁を感じさせる何かが存在するものです。家族の没落を見事に描いてみせたこれぞまさに物語の中の物語と言えるでしょう。

  • 楡がブッデンブロークに先んじるってのは、結構マイノリティじゃないのかな?世界的には絶対そう。

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著者プロフィール

【著者】トーマス・マン(Thomas Mann)1875年6月6日北ドイツのリューベクに生まれる。1894年ミュンヒェンに移り、1933年まで定住。1929年にはノーベル文学賞を授けられる。1933年国外講演旅行に出たまま帰国せず、スイスのチューリヒに居を構える。1936年亡命を宣言するとともに国籍を剥奪されたマンは38年アメリカに移る。戦後はふたたびヨーロッパ旅行を試みたが、1952年ふたたびチューリヒ近郊に定住、55年8月12日同地の病院で死去する。

「2016年 『トーマス・マン日記 1918-1921』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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