魔の山 上 (岩波文庫 赤 433-6)

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  • Amazon.co.jp ・本 (598ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003243367

感想・レビュー・書評

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  • 1924年刊。スイス高原のサナトリウムで療養生活を送ることとなった、青年ハンス・カストルプの精神の軌跡。

    20世紀三大小説家のひとり、との声もあるトーマス・マンの代表作。年配の某文学系YouTuberの方が、『魔の山』はトーマス・マンの中では亜流で『ブッデンブローク家』こそ正統派だ、とおっしゃっていて、なるほどそうなのか~と思いつつも、やはり有名なので先にこちらを選んだ。何よりも、「今読みたい」と直感が働き、これがドンピシャだった。

    というのは、本作で主人公の青年ハンスが、過去に想いを寄せていたプリビスラウとの関係を引き合いに出しながら、ロシアの婦人への恋心をひそやかにしつつ、あまりにも控えめな行動力で陰キャ的なやり取りをする描写に、たまらなく共感を覚えるタイミングだったからだ(汗)。
    P250 「現実的に、いまのひそかな関係以上の交渉は持てないという確信、二人のあいだには越えられない深淵が横たわっていて、彼女と一しょでは彼の承認しているどんな批評にも及第できないという確信」
    絶対に越えられない壁がある相手に恋をしてしまったら、こうするしかないだろうな、という行動をハンスがとるので、恋の行方が気になり、それが引力となって読み続けられた。

    したがって、自分は本作の上巻をほぼ恋愛小説として読んだのだが、もちろん下のレビューや各所で言われているように、本作は20世紀初頭の思想や医学などについてつらつらと書き綴られた教養小説というやつで、読んでいて退屈な部分は確かにある。あまりにも変化のないサナトリウムの生活は、実は死と隣り合わせで、いやでも思索的にならざるをえない環境でもあり、こういった議論や語りが続くような小説には格好の舞台といえる。

    しかし、数多い個性的な登場人物と人間関係の描写はなかなかに面白く、高原の景色も趣に富む。物語というよりも、こういった光景を楽しむ小説として考えていると、いつしかハンスと共に自分自身もその場にいるような不思議な感覚すらわいてきた。章の間にいくつもの節で区切られているためコツコツ読むには向いていて、この小説に取り組んでいる数日間ずっと手元のそばに置いていたので、サナトリウムの世界にどっぷりつかっていた感じが強い。その他、時間感覚についての考察は興味深い。

    上巻ラスト付近の急展開は楽しくて仕方なかった。ハンス君やらかしすぎ(笑)。つくづく自分には合う小説だなぁと。下巻はもっと長いようだけど、全然イケそう。

  • 年の頃24の青年ハンス・カストルプは、スイス・ダヴォスの山間のサナトリウムにやって来る。従兄弟のヨーアヒム・チームセンを見舞いつつこの高原で3週間程の休暇を過ごすためであった。

    物語はこの国際サナトリウム「 ベルクホーフ 」の日常、療養所の“住人たち”の群像を、こってり丁寧に詳述してゆく。

    端正で正確なドイツ語を話すイタリア人セテムブリーニも療養所の住人の1人。セテムブリーニはハンス・カストルプにつきまとい、折にふれ政論や哲学談義を投げ掛ける。
    セテムブリーニとハンス・カストルプのやりとりは、くどくどしく、少々鬱陶しい。セテムブリーニはハンス・カストルプを“啓蒙・教化する”役割を自任している模様。作品の構造上も、当時の時代の空気を盛り込む役割を担っているように思われる。

    19世紀後半頃の長編文学作品、ドストエフスキーの長編でもままあるのだが、作中に生硬な政治論議が挿入され異物感を感じさせる。セテムブリーニの持論はそれを思わせた。

    第五章「探究」 の章では“生命とはなんだろう?”という問い掛けの下、16頁にわたり医学・生理学に関する論考がみっちり展開される。( ハンス…は医学系の書物に没頭、ベッドサイドに医学書を集めて 読み耽っていた。)
    文学作品としてはある意味暴走の感あり。ただこの硬い論考・生命論の中に突如としてショーシャ夫人の肉体身体の幻影が立ち上がる一節は文学表現として斬新な感じもした。

    作品中、無教養な者への蔑視、非欧州の人々/“東方的”文化への見下し、が散見される。

    一方で、ハンス・カストルプは療養患者の女性ショーシャ夫人に強く心惹かれる。この女性の“キルギス人風”のアジア系の顔立ちに魅かれるのである。この点、矛盾、倒錯があるやに思うのだが…。ハンス・カストルプとクラウディア・ショーシャ( ショーシャ夫人 )の関係は下巻で如何に展開してゆくのだろう。

    とにかく大変なボリュームで、上巻本編だけで580頁程。上巻読了に2週間を要した。

  • 上下巻合わせて1200ページ余りながら、不思議な物語と精神論・宗教論が混ざり合い、非常に難解な物語でした。
    読み進めることが、まさにタイトルのごとく「魔の山」を登ることのようでした。。。

    と冗談はさておき、
    本書は、主人公ハンス・カストルプの結核を中心に、病気という面から「生と死」の考察と、サナトリウムという療養所のある平地と隔離された街を「時間」の考察という、2つの大きな主題から成り立ちます。
    主人公のハンス・カストルプは、優柔不断というか、自己主張の少ない青年で、従兄弟のヨーアヒムを見舞うために、3週間の予定でサナトリウムを訪れます。しかし、サナトリウムで結核と診断され、長期療養を言い渡されるも、主人公のハンスはそれほど抵抗なく、療養を受け入れます。そして、時間的に孤立した療養所に留まることになるのです。
    病気が人生観を変えたという話は、聞いたことがあると思います。病気は生と死の中間にあるものとも言えますが、病気は生の方向を良くも悪くも修正できる力をもつものなのかもしれません。
    もう一つの主題である「時間」についてですが、この時間の魔術は、私達の時代でも容易に想像できるものなのではないでしょうか。普段の社会生活の中でも、時代の潮流に乗れていないと感じたり、世のトレンドとは無縁なコミュニティしか持ち合わせていなかったりと。。。
    ある種、ゲーテとは異なる教養小説。

  • 大学時代にドイツ語をやっていたこともあってある種イキっていた自分は、トマスマンを読んでいれば教養人のような気分になれるのではないかと思い、この本を手に取った。結果として、この本を理解するために必要な教養が不足していることに気づき、教養人のような気分どころか、己の無教養を痛感することとなった小説。評価するほど理解もできていないので、星はなし。

  • とにかく長い。退屈。特に何も起きないまま上巻が終わる。ちょこちょこ動きはあるのだけれど。サナトリウムでの様々な人々との交流を通した青年の成長物語、とでもいうのかしら。病気、死、宗教、戦争、いろんなテーマを登場人物を通してひたすら討論していく場面が続く。しんどい。下巻、盛り上がりを見せてきたところで終わってしまう。しんどい。小説というよりも哲学書のような。しんどかったけど達成感はあった。これを読めたらもう何でも読めそう。ハンスが遭難しかけて生と死について開眼していくところは繰り返し読んだ。あの部分のために他を読んだのだと言ってもいいレベルで沁み入った。結論、しんどかったけど読んでよかった。しんどいけど読んだ方がいい。

    好きだった箇所をメモしておいたので貼っておく。
    「人間は死よりも高貴であり、死に従属するには高貴すぎる、頭脳の自由を持つからだ。人間は生よりも高貴であり、生に従属するには高貴すぎる、心の中に敬虔さを持つからだ。」

  • 読書日:2017年3月1日-5日,3月20日-26日.
    Original title:Der Zauberberg.
    Author:Paul Thomas Mann.

    恐ろしい山での物語なのかと読む前は思っていたのですが、
    その様な事は全くありません。
    重病患者がDavosにあるsanatoriumで静養している様子が描かれています。
    主人公のHans Castrop青年がここで療養生活を送っている
    母方の従兄Joachimに会いに行く所から話は始まります。
    ここで療養生活を営んでいる人々に比べると健康であり、
    3週間だけの滞在であったのに帰宅間際になり熱を発症してしまい、
    短期での滞在だった筈が長期になってしまいます。

    話の前半である従兄を訪れ始めた3週間までは物語は遅々としていますが、
    Hansの発熱後は物語が躍動感を帯びて行き、物語にも面白味が加わります。

    面白いと感じる点は、
    時間感覚がおかしく感じられ、時間について考えさせられる点と、
    HansがItalianのセテムブリーニと話す内容が、非常に哲学的、文学的だと感じられる点です。
    彼はたまに話す事に歯止めが利かなくなりますが、それでも言っている事はまともだと思います。

    この巻は、Hansが熱を出し過ぎて興奮し過ぎて頭の螺子が数本飛んだ様子で終わるので、
    次巻では正気に戻って物語が進む事を願っています。

  • 上巻は3日、下巻は読み終えるのに1ヶ月半もかかってしまった。
    なんと切り口の多い作品。。
    まだ完全には消化しきれていない状態でこの文章を書いている。

    こういった間口の広い作品は、
    フィニッシュをどこに持ってくるかという問題があり、
    巻末の解説でも書かれているように、
    実は作者自身も明確にはそれを決めずに書き始めて
    流れに身を任せたようだが、
    個人的には最終章の決闘のシーンが終わった時点で
    充分な満足感が得られ、
    あとはどう結論をつけても何らかの片はつくだろうと感じたので、
    それだけに、このフィニッシュには少々不満が残った。

    他の人はどう感じたのか気になったので色々とレビューを読んでみたが、
    まあ「時間の扱いが見事な作品」「精神論の教養小説」などと
    評する人の多いこと。。
    これだけ切り口の多い作品に対して、特に印象に残ったのがそこ?
    感性が拙いとしか言いようがない。
    そのような中学生の読書感想文レベルの感想にしか消化できないような
    内容の薄い作品では決してない。

    まず、舞台設定の見事さだろう。
    標高1600メートルの山上にある高級療養施設。
    抑圧の強い地上の現実世界から隔離されていて、
    病気と死がいつも隣り合わせ、建物の周辺は自然に恵まれ、
    気候変化が激しく四季に捕われない季節感があるという、
    筆力次第で様々な非現実性を創出しやすい舞台。
    見事な設定だ。

    また、この作品を難解と感じさせる要因として、
    第6章のセテムブリーニとナフタの激しい会話のやり合いがある。
    精神と自然、病気と死、革命と伝統、自由と秩序。
    色々詰め込んでいるが、
    メルヴィル「モービィ・ディック」のような、
    ただ単に詰め込んだだけで、
    その事が全く何の効果も成していない駄作とは違い、
    この作品は「詰め込み」が作品と綺麗に調和し、
    芳醇な広がりを演出している。

    しかし何と言っても、この作品の一番の読ませ所は
    各シーンの起承転結のつけ方だろう。
    過剰なまでの精神論、政治論、宗教論の応酬、
    気まぐれに表情を変える美しい自然の描写、
    音楽の与える高揚感、
    様々な方法を駆使してクライマックスまで持っていき、
    感情が最高潮にかき立てられた所ですぱんとシーンがカットされる。
    この切り方が実に見事で、この読後感だけでも
    読んで良かったと思わせるものが充分にある。

    こういった粒ぞろいの各章を全体として俯瞰したとき、
    上記「時間の扱い」「精神論」が作品に与える深みにも
    唸らせられるのであって、
    この作品を「時間に関する小説」「教養小説」などと単純に
    一面的な部分を切り取って断定するのはナンセンスである。

  • ハンブルクでの就職を控えた「文化人」、厨二病的で高慢ちきな性質をいくぶん強く持った、いわゆる多感な、しかし純朴で平凡な青年、ハンス・カストルプ。

    彼はひょんなことから、「精神と時の部屋」(ドラゴンボール的なそれではなくて、文字通りの。)ともいえるスイスの高原にあるサナトリウムで、地上と隔離されつつもさまざまな人物や自然と対峙しながら精神の旅を始めることとなった。

    時間を徹底的に分解し無意味化していく高原の気候とサナトリウムの習慣、ひっそりと患者の入れ替わりが進行する細胞体のような病室、美しい自然のなかで、時は十年一日のごとく過ぎ去り、ハンス・カストルプも次第に順応し、魔の山に陶酔していく。

    (「文化人」にとっては理想的な)まどろみのような自由のなかで、青年は自らの好奇心によって、「理性と神」「死と生」「精神と自然」「個と普遍」「概念と力」「合理と非合理」「自由と混沌」「進歩とニヒリズム」「生の意思と自己否定」といった深刻な分裂が、精神の理想郷を目指すそれぞれの欲動のなかで「ごちゃまぜ」となっている姿を目の当たりにする。

    精神の逍遥は、しかしながら、自然の一部たる肉体の活動、生命のはたらきによらなければそもそも発生しない。ある日雪山で自然と対峙し、死に直面したハンス・カストルプは、厨二病的な「死への親愛」を克服し、新たな善意と人間愛の姿をとらえるのであった――


    こうしてみると多分に「教養小説」ではあるけれども、この物語の楽しみは、白紙状態の自由で危うい青年の心をめぐってさまざまな形態で行なわれる「二つの流れ」のガチバトルだと思う。
    いずれも普遍的な善と高貴さへの収束の希求から発生した流れであるのに、なぜ両者は違ってくるのか、どこから同じなのか、なぜ対立しなければならないのか、人間的とは何か。そして、そんな問いかけなどお構いなくやってくる不条理と、魔術的な誘い。自然と、生と死と、時間。ミクロとマクロ、有限と無限。

    モラトリアムも終わりが見えかけている時期に、そうしたことをのんびりと考えられるような機会に巡り会うことができ、今までシコシコと続けてきた「お勉強」も捨てたものではないなと思えるような小説だった。つぎにこれを読むのは何年後になるだろう?

    個人的にはセテムブリーニさんのキャラが憎めない感じで好きだったなぁ。


    長いけど、暇な人は読んでみるといいと思う。世界史、思想史、音楽に興味がある人は特に面白いはず。

  • 死との距離。
    豊穣な描写。

  • 記録

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著者プロフィール

【著者】トーマス・マン(Thomas Mann)1875年6月6日北ドイツのリューベクに生まれる。1894年ミュンヒェンに移り、1933年まで定住。1929年にはノーベル文学賞を授けられる。1933年国外講演旅行に出たまま帰国せず、スイスのチューリヒに居を構える。1936年亡命を宣言するとともに国籍を剥奪されたマンは38年アメリカに移る。戦後はふたたびヨーロッパ旅行を試みたが、1952年ふたたびチューリヒ近郊に定住、55年8月12日同地の病院で死去する。

「2016年 『トーマス・マン日記 1918-1921』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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