モンテ・クリスト伯 7 (岩波文庫 赤 533-7)

  • 岩波書店
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  • / ISBN・EAN: 9784003253373

感想・レビュー・書評

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  • 今回のレビューであるが…
    前半は最終巻である7巻のレビュー
    後半は全編のまとめとする
    もし「モンテ・クリスト伯」を未読だが興味のある方は後半部分を参照いただけると良いかもしれない

    泣いても笑ってもとうとう最終巻

    毒を盛られながらも生き延びたヴァランティーヌ
    体調不良の中、幽霊に遭う(笑)
    正体はマクシミリヤンからの助けるに応えることにしたまさかのモンテ・クリスト伯
    もちろんモンテ・クリスト伯はやることなす事が完璧なため、ヴァランティーヌすなわちヴィルフォールの屋敷の隣の空家を借り、徹底的に見守るのだ
    モンテ・クリスト伯からヴァランティーヌはサン・メラン夫妻と自分を殺そうとする犯人を知り、ショックを受ける(人の良いお嬢様だからなぁ)
    モンテ・クリスト伯はヴァランティーヌに必ず命を守ると誓い、自分を信じてほしいと懇願
    ヴァランティーヌはその通りにすると誓う
    ……
    が、ヴァランティーヌは死亡
    (えー完璧主義のモンテ・クリスト伯がしくじる訳がない!…ってことは…⁉︎⁉︎⁉︎)
    マクシミリヤン、父親ヴィルフォール、祖父ノワルティエらが大いに嘆き悲しむ
    絶望のマクシミリヤンは自らの命を絶つ決意をする
    何とか留まらせたいモンテ・クリスト伯は自身の正体を告白
    マクシミリヤンとその家族は父を救ってくれた恩人とわかり感激のあまりよろこびにむせかえる
    マクシミリヤンも放心状態になるものの、簡単に気持ちは変わらない
    モンテ・クリスト伯はマクシミリヤンに何とかあと1ヶ月だけ生きて欲しいといい、約束させる(何があるのだろう…⁉︎)

    さて最大の宿敵であるヴィルフォール
    父であるノワルティエの厳しい視線からももはや逃れられない
    やるべきことはわかっている
    4人に毒を盛った犯人、そう自分の妻に制裁を課すのだ
    夫や子供の顔に泥を塗るようなことは、まさかしやしまいと夫人を追い詰める
    おれの帰ってくるまでに裁きをつけないでいたなら、この手で逮捕すると言い放ち、外出
    外出先はベネデットの公判を行う裁判所である
    ここでベネデットは自分の名前を尋ねられ、姓名はわからないが父親の名前ならわかると言い、父の名前と父であるヴィルフォールが生き埋めにしたことまでを告白する(刑務所に面会に来たベルツッチオに全てを聞いた模様)
    ついにヴィルフォールも観念し、後任の検事総長からの沙汰を待つと言いフラフラと帰宅する
    道中彼は放心していたが、やがて妻のことを思い出す
    彼はその女に対し死刑の宣告をしたのだ
    自分の罪深さゆえに、妻にも罪という影響を及ぼしたのだ!それなのにこのおれが彼女を罰するなんて…
    死なないでくれ…痛烈に願いながら急いで帰宅するが、間に合わず
    さらには息子も道連れにしていたのだ
    その絶望が絶頂の最中、モンテ・クリスト伯が登場し、正体を明かす
    しかしヴィルフォールの息子の死を見たモンテ・クリスト伯はショックを受け自分の復讐の権利を踏み越えてしまったことに気づく
    一方のヴィルフォールはとうとう気が狂ってしまう

    モンテ・クリスト伯はマクシミリヤンとともにパリに別れを告げる
    そしてまずマルセイユでメルセデスに会う 
    すっかり落ちぶれた貧しい暮らしとなったメルセデスと息子のアルベール親子
    アルベールは二人の明るい未来のためにアルジェリア騎兵隊に志願(立派になったアルベール君!)そしてまさに出帆したばかり
    メルセデスは悲しみに一人沈んでいる
    ダンテスが復讐鬼になったのも自分のせいだと責めるメルセデス
    そんなメルセデスを誠心誠意友人として慰め、そして二人は永遠の別れをする
    メルセデスとの別れは辛く、またヴィルフォールの息子までが死んでしまったことで心の大きな変化と対峙するモンテ・クリスト伯
    気持ちの整理を続けながら旅を進める
    そしてあのシャトー・ディフのかつて自分のいた土牢へ行く
    そこで案内人の診察によりファリア司祭の残した書物を手に入れることができ、何かが吹っ切れる

    一方のダングラールは、モンテ・クリスト伯の策略により、とうとう金銭的に完全追い詰められ、逃亡を決意
    そして道中のイタリアで山賊ルイジ・ヴァンパの手下に捕まる
    金のものを言わせてきたダングラールに相応しい仕打ちが始まり、苦しむ
    散々苦しんだところにモンテ・クリスト伯が登場し、毎度の如く正体を明かす
    結局ダングラールは5万フラン貰い、自由を得る(だいぶ甘い復讐に感じるが、モンテ・クリスト伯も既に心の整理がついたからなのだろう)

    さてモンテ・クリスト島にマクシミリヤンを招待したモンテ・クリスト伯
    例の生き続けるという約束の1ヶ月である
    マクシミリヤンの死に対する希望は変わらず
    モンテ・クリスト伯がどれだけ慰めても、励ましても、頑として死にたいと言う
    どうにもマクシミリヤンの心が変わらないことを知り、モンテ・クリスト伯は最後の手に出るのだが…
    そう死んだとされたヴァランティーヌの登場
    (でもなぜここまで引っぱったのかよくわからない…)
    そしてエデを自由にしようとするが、エデはモンテ・クリスト伯と別れるなら死ぬと言う(やったー!)
    モンテ・クリスト伯は
    〜わたしを敵に対して立ちあがらせ、わたしを勝たせてくだすった神さまは、わたしの勝利の果てに、こうした悔恨の気持ちを残させたくないと思っておいでなのだ
    わたしは、我と我が身を罰しようと思っていた
    ところが神さまはわたしをお許しくださろうとおっしゃるのだ〜
    そう考え、運命を受け入れエデと生きる決意をする
    そして最後にマクシミリヤンへの手紙
    〜この世には、幸福も不幸もあり、ただ在るものは、一つの状態と他の状態の比較にすぎない…
    きわめて大きな不幸を経験したもののみ、きわめて大きな幸福を感じることができる
    人間の智慧は、すべて次の言葉に尽きる
    待て、しかして希望せよ!〜


    いやいや最初から最後まで一貫して面白い!
    この長さで延々惹きつけ続けられるのもなかなかじゃありませんか

    【自分なりの解釈とまとめ】
    モンテ・クリスト伯は大きく分けて3遍から成るように思う
    最初の一部目はエドモン・ダンテスという青年を知るための紹介とそこから地獄に落とされ14年もの間獄中生活で全てを無くし死の極限まで行きながらも、復讐のために残された何かを搾り出しながら生まれ変わろうとするまで
    第二部はモンテ・クリスト伯となり、巧妙な復讐劇を仕掛け、実行
    第三部は復讐が終わり、何を思いどう生きるのか

    【なぜ面白いか】
    当初復讐劇で7巻もどう展開するのか⁉︎
    そんな風に読みはじめたのだが…
    散りばめられたジグソーパズルのピースが、圧巻の方法で回収され収まるところにピタっとハマる
    痛快さ
    また復讐と言えども直接的に手を下すわけではなく、家族や過去の弱点、人の欲望や野心を洗いざらい見つけ出しジワジワと炙り出す
    使えるものはとことん使う
    金で解決することは惜しまない
    この辺りのエンタメ度の高さは見事

    そしてモンテ・クリスト伯の人柄 
    徹底した努力と鍛え抜かれた精神力
    恩は決して忘れない、約束は守るその人情深さ
    完璧に見えても迷ったり葛藤する人間臭さ
    作中でも皆がモンテ・クリスト伯に惹きつけられるが、読み手もまた然りなのだ
    そうどれだけ非情な復讐鬼と化したかに見えたものの、やはりエドモン・ダンテスなのだ!
    そして彼の心情の見せ方が実に上手い
    エドモン・ダンテスとしての苦しみと絶望は徹底的に一人称で読み手に見せる
    しかしモンテ・クリスト伯となり、ある程度復讐の目処が立つまでモンテ・クリスト伯側の心境や胸の内は我々には見えないのだ
    そのため彼が今何を感じ、これからどうしていくのか全くわからないのだ!
    だが終盤から少しずつ心の叫びが溢れ出す
    何の迷いもなかった復讐劇に思わぬことが起こり、心が乱れ出す
    溜まり溜まった彼の心の圧が噴き出る様は素晴らしく心が揺さぶられた
    そして最後は哲学だ
    「とにかく復讐して幕が降りる…」という作品ではない
    モンテ・クリスト伯の葛藤や神への問いかけ
    全ての復讐が終わった後、彼が何を思い、どう感じ、どう始末をつけ、どう行動するのか
    きちんと責任持ってデュマが描き切る  
    そこに読者が満足するのではなかろうか

    アドベンチャーであり、ミステリーであり、サスペンスであり、ヒューマンであり、ラブロマンスまである、しかし哲学さえも感じる痛快で究極の復讐劇エンターテイメント
    ちょっと褒めすぎだが、しっかり楽しめ大満足であった

  • もう圧巻の出来。無実の罪で投獄された青年が、24年の歳月の果てに彼を陥れた男たちに復讐する壮大な物語。日本だと江戸時代にあたる1846年完結のフランス古典小説ですが、緻密に張り巡らされた幾多の伏線が長い時間の中で実に見事に回収されていく様と、徐々に全体像が明らかになる過程がものすごく面白くて刺激的で、ページをめくる手が止まらない極上の娯楽作品でした。

    1815年のフランス。ナポレオンが失脚してエルバ島に追放され、王党派が幅を利かせていた時代。
    19歳の船乗りエドモン・ダンテスは、仕事ぶりを雇い主に認められ、美しい婚約者メルセデスまでいる。しかし彼を憎む男が二人。出世で彼に負けている同僚のダングラールと、メルセデスの従兄で彼女に恋慕するフェルナン。

    二人は、航海中に死亡した船長の遺言をただ果たすために内容を知らずにナポレオンの側近から一通の手紙を預かったダンテスの行為を利用して、彼がナポレオン再興を画策する反政府主義者であると嘘の密告をする。
    幸せ絶頂の婚約式の最中に捕縛されたダンテス。本来なら嫌疑不十分ですぐに釈放されるはずだった。
    けれど、検事代理のヴィルフォールは、ダンテスの預かった手紙がヴィルフォールの実父で強硬なボナパルト派であるノワルティエ宛であり、ナポレオン再興計画に係るものであることに気づく。これが世間にバレたら自身の立場が危うくなると悟った彼は、ダンテスから巻き上げた手紙を燃やして証拠隠滅を図り、人身御供としてダンテスを有罪としてしまう。

    厳しくつらい獄中生活の中で一時は自殺も考えたダンデスだが、隣部屋のファリア司祭という囚人と出会い、徹底した教育を受ける。
    投獄から14年後、彼は脱獄を果たし、しかも、これまたファリア司祭のおかげで巨万の資産を手に入れる。

    ダンテスは、モンテ・クリスト伯爵と名乗り、手に入れた頭脳と富を最大限に利用して、自分を陥れた三人の男たちへの復讐を開始する。開始から10年をかけた復讐がとうとう果たされた時、彼は…。

    もう、徹底した緻密な構成がたまりません。
    三人への復讐は、ダンテスの事件とは無関係な彼らの後ろめたい過去、そして、彼らの妻や子といった家族の行動や欲望を巧みに操り、同時進行していきます。
    復讐開始序盤の、意味も関連性もなく冗長とまで思われた場面や役割のよくわからない脇役などが、読み進めるうちにどんどん繋がって重要な意味を持ち、本当に見事な伏線として機能し回収されて壮大な相関図と展開になっていく様は本当に圧巻です。気持ちいいくらいの快楽です。

    ダンテスが、まるで怪盗かってくらい、”おもての顔”であるモンテ・クリスト伯爵だけでなく、ある時はイタリア人司祭、またある時はイギリス人商人、別のある時は…と、様々な人物に変装して、状況を利用し、多くの人々を動かしていく様は、小気味いいエンタメ。

    なにより、彼が単なる復讐の鬼ではない点も、この物語の魅力を高めています。
    彼は、自分を認め手を差し伸べてくれた人間や、無垢な人間には、どこまでも優しく、彼らが危機に陥ったときには救おうとする心意気、そして、強い迷いがあるのです。
    そんな彼の、捨てきれない優しさと弱さが、完璧だったはずの残酷な復讐に大きな変更を与えた果ての結末は…。

    岩波文庫で全7巻という長編です。でも、読み終わった後、全体像やあの見事な伏線を改めて確かめようと再読してしまったぐらいとても面白い作品だったので、読みたいけど躊躇っているような方にはぜひ手にとってほしいですね。

    • goya626さん
      最高に面白い本ですね。何回も読み直しました。デュマは凄い。
      最高に面白い本ですね。何回も読み直しました。デュマは凄い。
      2020/03/06
    • hotaruさん
      goya626さん、コメントありがとうございます。
      本当に、何度でも読み返したくなるすごい小説でした。
      こんな作品に出会えて本当によかったで...
      goya626さん、コメントありがとうございます。
      本当に、何度でも読み返したくなるすごい小説でした。
      こんな作品に出会えて本当によかったです。
      2020/03/07
  • 全ての復讐の種が花開く時、物語は終わりを迎える。
    フランスを代表する復讐劇、ここに完結。

    もうね。なんも言えん。なんも言えんのよ。面白かった。それだけ。→
    ダンテスくんは四人に復讐したわけだけど、どの人の場合もまさに自業自得で、復讐されて当然やん?と思いつつ、でも、やっぱり彼らには家族がいて、そこに罪はないわけで、ダンテスくんもその辺りめちゃくちゃ悩むわけで。いやぁ、人間味があるんよなぁ。
    うーん。難しい。難しいけど面白い。→

    あと、デュマが千一夜物語とシェイクスピアが好きなのはすごく伝わった(笑)作中にオマージュが散らばっていて、ニヤニヤできる。千一夜物語読了済みで良かったし、シェイクスピアも少しだけ齧っていたから嬉しい(シェイクスピアはもっと読みたい)

  • 病床のヴァランティーヌを毒殺しようと虎視眈々と狙う継母エロイーズから守るため、モンテ・クリスト伯爵はヴィルフォール家の隣家をブゾーニ司祭として借りてこっそり行き来、ヴァランティーヌに仮死状態になる薬を与える。真実を知らないヴィルフォール家ではヴァランティーヌの死を疑わず葬儀を行う。ヴァランティーヌが本当に死んだと思い、自殺しようとしたマクシミリヤンを止めるため、モンテ・クリスト伯は自分がエドモン・ダンテスだと明かす。

    ダングラールはモンテ・クリスト伯の企みでついに経済的に破綻し、妻エルミーヌを捨てて夜逃げ。エルミーヌは愛人ドブレーを頼るが、ドブレーはすでにエルミーヌに愛想をつかしており、ビジネス上の金銭整理だけをして彼女と縁を切る。二人が密会用に使っていた宿の上階では、偶然にも家を捨てたアルベールとメルセデスが暮らしている。貧しい暮らしの中、母を養うためにアルベールは軍隊入りを決め、メルセデスはエドモン・ダンテスのアドバイス通りパリを去りマルセイユの彼の生家に行くことに。

    カドルッス殺害犯として逮捕されたベネデットは獄中にいるが、そこへ育ての親ベルツッチオが面会に現れる。ヴィルフォールは毒殺犯人が妻エロイーズであることを確信、家の名誉を守るため自殺を促し、自分が戻ってくるまでに死んでいなければ検事総長として法で裁くと厳しく言い渡し、ベネデットの裁判へ赴く。しかしその裁判の中でベネデットは自分の実の父親はヴィルフォールであると暴露(ベルツッチオから聞かされたんですね)彼の語る詳細が悉く事実と一致しているため、傍聴席にいた母エルミーヌは卒倒、ヴィルフォールは蒼白となり事実を認め去る。

    茫然自失のヴィルフォールは僅か数時間前に妻を裁こうとしたことを後悔、生きていてくれるよう祈るが、もはや手遅れ。妻エロイーズは、息子エトゥワールまで道連れにして毒を飲んでいた。そこへモンテ・クリスト伯が現れ、自分が復讐のために蘇ったエドモン・ダンテスであることを明かす。すべてを失ったヴィルフォールは発狂。二人目の復讐が果たされるが、モンテ・クリスト伯は幼い子供まで巻き添えにしたことに罪悪感を覚える。そしてマルセイユの生家に立ち寄った彼はメルセデスと再会。彼女に手を差し伸べるがメルセデスは自分の罪を詫び毅然として伯爵を拒絶する。

    復讐に迷いが生じたモンテ・クリスト伯は、かつて自分が投獄されていたシャトー・ディフを訪問。土牢に残る自分の苦悶の痕跡、ファリア司祭の遺品などを手にして復讐の念を新たにする。残る一人、ダングラールは夜逃げしてからイタリアに渡っていたが、山賊ルイジ・ヴァンパに拉致監禁されてしまう。彼らはダングラールを飢えさせ、食料を与えるたびに法外な金額を要求、ダングラールは飢餓と吝嗇の狭間で苦悶する。ついに彼が根を上げたときモンテ・クリスト伯が現れ自分の正体を告げるのだった。

    こうして復讐はすべて終わり、モンテ・クリスト伯はマクシミリヤン・モレルをモンテ・クリスト島に連れていく。そこには実は生きていたヴァランティーヌが匿われていた。伯爵は二人にエデのことを頼み一人去るつもりだったが、エデが現れて伯爵への愛を告げる。モンテ・クリスト伯はエデと共に新しい航海へと旅立って行くのだった・・・。



    やっと全7冊読み終えました!とにかく面白かった!フランスで連載されたのは1844年からなので、今から約180年くらい前の小説が今も世界中で読み継がれているのはシンプルに「面白いから」なのだな、名作ってやっぱり面白いものなのだなと痛感。長編ゆえ腰が引けてる名作の数々に今後もチャレンジする勇気が出ました(笑)

    とにかく登場人物の因縁と伏線のはりめぐらせかた、そしてその回収が抜群。悪役含めキャラクターも個性的、財宝探しの冒険感、変装や駆け引きのワクワク感、悪いヤツが退治される痛快さもあって、かつ歴史の勉強もちょっとだけできました。

    変幻自在のモンテ・クリスト伯の魅力は言わずもがな、個人的には超有能執事のベルツッチオが密かにお気に入り。元チンピラとは思えない全方面万能の処理能力の高さ。悲劇のヒロイン・メルセデスは、終盤でエドモンと寄りを戻さずに毅然と自分の罪を認めたところがカッコよかった。アルベールくんもちょっと単細胞だけど素直で良い子だったし。

    フェルナンは自殺、ヴィルフォールは発狂、となると、ダングラールに対する復讐だけはちょっと甘いような気もするのだけれど、フェルナンはエデについての復讐もあるからより罪が重いという感じなのだろうか。あとノワルティエも孫娘ヴァランティーヌへの愛情に免じて復讐対象から外してもらえたのか。とりあえずエデと伯爵がハッピーエンドで良かった!

    • hotaruさん
      yamaitsu さん、こんばんは。
      長編完読お疲れ様でした!
      本当に伏線の面白い作品でしたよね。

      私も偶然にも同時期にこの作品を読んでお...
      yamaitsu さん、こんばんは。
      長編完読お疲れ様でした!
      本当に伏線の面白い作品でしたよね。

      私も偶然にも同時期にこの作品を読んでおりました。
      yamaitsu さんの一巻一巻の細かいあらすじと人物紹介、いつも、「そう!そう!」と感動しながら読ませていただき、長編故に忘れそうになる内容を、おかげさまで忘れずに思い出させていただきました。

      本当にありがとうございました☆♡
      2020/03/13
    • yamaitsuさん
      hotaruさん、こんにちは(^^)/
      いや~面白かったですね!!やっぱり名作は読んでみるものですね。

      こちらこそhotaruさんの...
      hotaruさん、こんにちは(^^)/
      いや~面白かったですね!!やっぱり名作は読んでみるものですね。

      こちらこそhotaruさんの簡潔に要点をまとめつつ鋭く考察した感想に、そう!それが私も言いたかったの!と頷きっぱなしでした!

      同時期に読んでいたことで、感動をわかちあえて嬉しかったです。こちらこそありがとうございました(*^^*)
      2020/03/16
  • モンテ・クリスト伯爵の復讐が終わった。ただ、ダングラールへの復讐の方法が他の二人に比べて甘くないか?おそらく、この人は痛い目に会っても全然反省しないで、翌日からケロっとまた金だけが生き甲斐の俗っぽい暮らしを繰り返すんじゃないのか?
    それにしても、ダングラール家は男爵も夫人も娘も、揃いも揃って低俗でしたたか。この人達はいかなる環境でもするっと蛇のように生き抜いていくのだろう。それはそれで天晴れだ。

    反対にヴィルフォールへの復讐は最も過酷だ。他の二人が嫉妬から来る単なる嫌がらせなのに対して、彼自身はダンテスに何の恨みもなく、立場上最も罪が重いのは間違いない。にも関わらず気の毒に思えてしまう。

    勧善懲悪である意味出来すぎで突っ込みどころ満載ではあったけど、キャラクターがなかなかいい味を出していて、ストーリー展開も波乱に満ちていて一大絵巻物として楽しめた。

  • 19世紀フランスの小説家アレクサンドル・デュマ(デュマ・ペール、1802-1870)の代表的長編小説、1841-1845年執筆。19世紀のフランスはしばしばその政体を変えており、物語も第一帝政・復古王政・百日天下・七月王政という歴史的情況を重要な背景としている。また、近代市民社会が勃興するのにともない新たな近代的メディアとしての大新聞が誕生することとなったが、当時は各紙が新聞小説を掲載することで読者獲得を図った時期でもある。本書も或る大新聞に2年間にわたり連載されたもので、物語も大衆性・通俗性を帯びている。


      □ 第一巻

    1815年、ルイ18世の復古王政下。エドモン・ダンテスが、人生の幸福から一転、ナポレオンの「百日天下」に巻き込まれるような形で政治的謀略に嵌められて無実の罪を着せられ、牢獄に幽閉されるまでを描く。筋の起伏が明白かつ豊かで読んでいて実に楽しい。特筆すべきは、やはり獄中に於ける老学者ファリアとダンテスとの遣り取りだろう。ファリアは獄中で且つ病魔に侵されながらも、脱獄の為の諸計算やその実行に必要な様々な工具類や縄梯子、更には精密な日時計や紙・ペン・インクそしてロウソク等々を気の遠くなるような長い時間と絶えること無き創意を重ねて作り上げていた。そればかりでなく、様々な言語の単語帳を作って勉強したり、持ち前の学識を用いてイタリア統一に関する大論文まで執筆しているというのだから驚く。舌を巻いたダンテスから「紙とかペンとかインクとか、それをおもらいになったのですか」と尋ねられてファリア曰く、

    「いや。わしがつくった」

    痛快な一言。不撓不屈の精神と強靭な知性(「順序は、あらゆる問題にとっての鍵だ・・・」)に、清々しさを覚える。そして、ダンテスが陥った謀略の真相をファリアが次々と暴いていく過程は探偵小説の如く(「・・・、犯人を見付けるためには、まずその犯罪によって利得する者を求めよ!」)、また旧家の財宝の秘密を探ってモンテ・クリスト島を暗号解読さながらに導き出す過程は冒険小説の如く、読んでいて胸が躍る。

    個人的には、条件が限られた閉鎖空間の中で知性と創意を躍動させる情況に、昔から不思議と魅了されてきた。なお、幼少の私に今は亡き祖父が聞かせてくれた『巌窟王』は、ちょうどこの場面だった。


      □ 第二巻

    1829年、投獄より14年を経て、脱獄。この有名な脱獄場面は、読む者にまさに冒険活劇の興奮を与える。その後、モンテ・クリスト島の財宝を手にし、故郷へ。そこで、父の既に亡きこと、14年前に自身を陥れた者たちによる謀略の真相と彼らのその後、許嫁の行方、そして昔日の恩ある船主モレル氏の窮状を知る。嘗ての雇い主であり庇護者でもあったモレル氏に対するダンテスの恩返しは、モレル氏が困窮の最後に於いてまで家族や部下の船員たちに失うことなく示し続けた気高く腹蔵無き真の愛情とともに、読む者に大きな感動を与えるだろう。

    脱獄を果たしたダンテスの相貌は、「眼には深い悲しみがしめされ、その悲しみの底からは時折、世を厭う心と憎悪の心との暗澹たる閃きが迸り出て」、「自分自身にさえ自分がわからないのだった」。ダンテスは、この世が、神の存在のもと善悪が真っ当に報われる"最善"の世界ではないことを痛感し、神に代わって神が為すべき正当なる報いを実行しようと決意をした。「・・・、遅かれ早かれ、正直者にはたしかにお賞めがありましょうし、悪いものにはきっと報いがありましょう・・・」。これは実に畏怖すべき決意である、人間が神に取って代わろうと、人間自身が決意するのだから。ダンテスにあっては、最早、ライプニッツ(1646-1716)が唱えた「弁神論=世界最善説・予定調和説」など全くの無力である。ここに、ヴォルテール(1694-1778)によるライプニッツ批判(『カンディード』など)を通過して、神に対する奴隷状態からの、人間の倨傲とも呼ぶべき自律の兆候が読み取れる。善への報い(モレル氏への恩返し)が果たされれば、残るは悪への報いのみである――神ならぬ人間が為すそれは、「復讐」と呼ばれる。人間が神に代わってその役割を果たそうとするとき、人間は、次第に唯名化していく神という観念から自律しようとするとともに、人間性という観念をも超え出てしまいかねない。

    「なさけよ、人道よ、恩義よ、さようなら・・・・・・人の心を喜ばすすべての感情よ、さようなら! ・・・・・・私は善人に報ゆるため、神に代わって行った・・・・・・さて、いまこそは復讐の神よ、悪しき者を懲らすため、御身に代わっておこなわしめたまえ!」


      □ 第三巻-第七巻

    エドモン・ダンテスはモンテ・クリスト伯爵を名乗り、巨万の富をその力の背景として、復讐の鬼神となって、パリへ、モンセール家へ、ダングラール家へ、ヴィルフォール家へ、入り込んでいく。そこは「価値ありげな顔をせよ、しからば世間も価値をつけよう」という欺瞞の準則が罷り通っている俗物社会だ。効率的な利益の獲得という即物的な無内実を糊塗する為につけられる仮面。仮面の下が虚無であることを自他に対して欺瞞的に隠蔽する為だけの仮面。目前に迫った死がその仮面を剥ぎ取る段になって初めて、仮面の下には何も無かったということが、他ならぬ自己自身に対して突きつけられるだろう。仮面は、その下が実は虚無でありながらさもそこに意味ある何かが存在するかのように仮構する為のものでしかないが、こうした俗物"界(champ)"にあっては当の仮面そのものが内実そのものであるかのような倒錯が起こるだろう。「社交"界"」とは、そうしたルールに則ったゲームだと云える。

    人間が神に取って代わろうとするとき、逆説的に、当の人間は悪魔じみてくる。

    「『わたしは、いままで神の摂理という言葉を聞かされていた。だが、それを見たこともなければ、またそれに似たようなものさえ見なかった。したがって、わたしは、それが存在しているとは思わない。わたしは神の摂理そのものになりたい。なぜかというと、わたしの知っているかぎり、この世においてもっとも美しい、偉大な、そして崇高なことは、自分の手で賞罰を与え得ることにほかならないのだから』。すると、悪魔は、首うなだれて、溜息をつきました。『・・・。わたしがお前のためにしてやれること、それは、お前を神の摂理の使徒の一人にしてやることなのだ』。取引はできました」


      □

    長大な物語は次の句で結ばれる。

     【待て、しかして希望せよ】

    ここでは、「待つこと」そして「希望すること」が可能とされる。しかし、神なるものが完全に無化されている現代にあっては、ニヒリズムが行き着くところまで行き着きニヒリズムがニヒリズム自体に捩れを来している情況にあって、これは余りにオプティミズムが過ぎないか。現代にあっては、希望を徹底的に否定し断念した上でそれでもなお「待つ」という自己矛盾を含んだ態度以外に不可能ではないか。希望は、語られた途端に口の端をボロボロと崩れ落ち、語るに堪えぬ紛い物と化す。しかしここで居直ってしまうなら、それは即物的なシニシズムに到るしかない。それを峻拒するならば、希望を予定することなく、その上でなお、「待つ」しかない。何を? それは決して語られることなく。

  • 「この世には幸福もあり、不幸もあり、ただ在るものは、一つの状態と他の状態の比較に過ぎないことだ。」そうなんだよ、自分も含め人は幸・不幸は誰かと比べて評価するが、その比較こそが不幸や格差を生むんだ。モンテ・クリスト伯を取り巻く憎悪はまさしくこれだった。デュマさん、降参だ!あなたはとても素晴らしいことを私に教えてくれたよ。今自分が愛するものは何か?今したいことは何か?これは他人と比較して決めるということはしてはいけないんだ。何故ならば、唯一無二の自分の人生なのだから。全7巻、今日からの活力になったよ!

  • 絶望と希望の第七巻!
    ヴィルフォールへの復讐は、思わぬ命までも奪うこととなった。
    悩めるモンテ・クリスト伯が訪れたのは、
    あのシャトー・ディフ。
    ヴァランティーヌ、マクシミリアン、メルセデス、そしてエデ。
    彼らの運命は?そして最後の一人、ダングラールへの復讐は?
    フランス版大河小説は、これにて完結。
    ボヴィル氏(意外と登場回数多し)、ペピーノ、ルイジ・ヴァンパ、
    そしてジャコポと、1,2巻での登場人物が再登場します。
    最終巻は多少退屈に感じる場面や独白が多いのですが、
    超人的だったモンテ・クリスト伯の人間としての部分が
    ここで噴き出しているようにも思われます。
    復讐について懐疑的にもなった彼がシャトー・ディフで
    見出したのが、あのファリア司祭の著作!
    過去は未来への指針というべきか・・・感動してしまいました。
    ヴィルフォールの絶望は、自らが犯した罪・・・子ども!
    ダングラールはの絶望は、積み上げた富の喪失。飢えの恐怖。
    マクシミリアンの絶望は希望へ。
    メルセデスの希望はアルベール。
    モンテ・クリスト伯とエデは・・・「待て、しかして希望せよ!」
    今回は世界地図帳を側において読書しました。
    実在するモンテ・クリスト島とマルセイユ、
    コルシカ島の位置関係、
    ノルマンディーのトレポール(ル・トレポール)や
    ノワルティエ氏の待つリヴールヌ(リヴォルノ)の場所等を
    確認しながら読むのも面白かったです。

  • すべての終わり。待て、しかして希望せよ。

    そこまでやる必要があったのか、当然だった、何がしたかった、何を得られた
    ここまで来ても一気に終わりに進むのではなくいまだに葛藤が描かれる、最後まで一気に読み切ってしまった。

    読み切った!達成感がすごい!同時に終わってしまったという無気力感もすごい!
    エデ、マクシミリヤン、それぞれが幸せに暮らしていけるかと思う。
    伯爵は今後も葛藤することがあるかもしれないけど、エデがいれば大丈夫かと思わせてくれる。

    最後数ページ、読了の翌日も翌々日も余韻がずっと続いていてなんども読み返してしまう。
    きっとまた最初から読み返すんだろうなあ…
    全7巻、なかなか手を出しにくかったものの読んでよかったと思える長く愛される名作。

  • 今まで読んだ復讐劇の中での最高傑作。人物相関が分かりにくく途中で誰が誰が分からなくなってきた。でもこれでもかという程の伯爵の復讐の仕方に過去に自分を無実の罪に陥れた人達への強い憎しみがひしひしと伝わってくる。

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著者プロフィール

1802-70。フランスを代表する小説家・劇作家。生涯に長短合わせて250篇あまりの作品を書いたとされる。主な作品に『コルシカの兄弟』『モンテ・クリスト伯(巌窟王)』『三銃士』『ブラジュロンヌ子爵(鉄仮面)』『ダルタニャン物語』『王妃マルゴ』『王妃の首飾り』など。

「2016年 『ボルジア家』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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