イワン・イリッチの死 (岩波文庫)

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著者 : トルストイ
制作 : 米川 正夫 
  • 岩波書店 (1973年1月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (105ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003261934

イワン・イリッチの死 (岩波文庫)の感想・レビュー・書評

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  • ひとりの凡俗な人生を送ったイワン・イリッチが死んだ。栄達を求めて組織や上司に対してそれなりにうまく立ち回り、調和としての結婚もし、子どもも出来て、司法官として出世もした。子どもができた頃から家庭内はまずくなったが、勤務への精励を逃げ道にして、自分のこれはと思う人生を生きてきたのであったが・・・、とまあ、現在でもどこにでも居そうな人物ではあるが、そうしたありきたりな小人物を主人公にすることによって誰もに訪れる「死」というものをレフ・トルストイは容赦のない現実として読者へ突き付けた。
    誰もが直面するはずなのに、それが現実感を持つまで自らのこととして向き合うことを避ける「死」。そうした普通の人物が「死」と向き合った時、その「人生」とは一体何であったのか?主人公イワン・イリッチが病魔の苦しみに悶える中で、「人生」を振り返る時、まさに身につまされるような葛藤が次々と展開されていく。痛みが身体を襲い、四肢が不自由となり、排泄物を人に頼らなければならなくなる「死」への身体的過程と、自分に対し真実を避けるような言動をとる家族への憎悪と孤立など、心身ともに衰弱していく生々しい描写が痛々しい。
    だが、おそらく本作におけるトルストイの主題は、当時傾倒していたという宗教的救いの可能性を訴えることにあったのだろう。どこにでもいる普通の個人の「人生」と「死」を直截的に追求することで、誰もが体験するはずの最期の時にどう向きあえるのかを冷厳に提示し、ラスト直前にもたらされる「救い」はどのような人間にも等しく可能なのだと訴えかけているのだろう。しかし、ここにあえて普遍化を要求するならば、唐突感のある「救い」ではなく、もし「救い」が本当にあるのならば、葛藤の果ての諦観の転換としての到達をもう少し深化して欲しかった。いつか起きる自分の可能性のためにも。

  • 一見すると「死」をテーマにしているようだが、本当のテーマは「心の目覚め」だ。

    主人公は病床で肉体的苦痛に苛まれながら、苦痛、死、人生の意味など答えのない自問が次々に湧き起こり、精神的にも苛まれていく。

    死の直前になって、ようやく地位、名誉、世間体、経済的な富裕、他者との比較評価など、自分が当たり前のように信じていた人生の価値尺度が全て「間違い」だと気づく。

    凡人を主人公にしたのは、この主人公こそわれわれ読者であり、他人事ではないという著者のメッセージだ。

    死の間際に、まだ「本当のこと」ができると気づいた主人公は、息子が手にしてくれたキスでようやく心が目覚める。

    最後に自分のことを忘れて家族のことを思って、いまその瞬間にできることをして、息を引き取る。

    だから、心の目覚めた主人公にとって、それは「もう死ではなくなった」のだ。

    このメッセージは、裏を返せば「心の目覚めない人生は死んでいるのと同じ」ということかもしれない。

    残念なのは、訳。原文にフランス語が使われている箇所は、そのニュアンスを訳そうともしていない。

    本書に興味がある人には、光文社から出版されている新訳をお薦めしたい。

  • 2016.1.28
    うあーこれはすごい。多少裕福ないわゆる凡人、俗的快楽に生きるまさに凡人、そんなイワンが不治の病にかかり、苦しみ、それまでの人生の薄っぺらさを自覚し悟るまでを描いている。私も死について考えることは多々あって、死はすべての人間に約束された絶対の終わりであり、いつか私も(いつかとさらっと書いちゃう当たり自覚が足りない。明日、または2秒後だってあり得る)死ぬわけであり、その避けられない事実とどう向き合うべきか、いかなる生き方をすれば死を乗り越えられるのかを自らの人生に問いたいと思い、この本を読んだ。ゲーテのファウストにおいては、自らの生命より生まれた文化という名の子どもが自らの死後も生きていくことを直感した瞬間、主人公は息絶えた。しかしこのような生き方は超人的であって、一般的な死の克服法とは言えない気もする。本著はもっと一般的、凡的な側面から死を描いている。死を目の前にすれば、日々の生活のなんと薄っぺらいことか。彼は苦悶する、ではまた生きるとして、今までの薄っぺらい、虚偽に覆われた生き方以外の道を選ぶとして、本当のものとは、本当の生き方とは何か、と。死という絶対性に張りあえるだけの本物を、生のうちに見出すことはできるのだろうか。その本物のひとつの姿が、先に述べたファウストなのかもしれない。しかし結局その苦悶においてはイワンは答えを見つけられない。終盤、自らの生きてきた人生の薄っぺらさ、虚偽をついに自覚してしまい、激しい苦しみに苛まれる中、ついに彼は悟る。妻も息子も、そして自分自身も、楽にならなければならないと悟った時、彼から死は消え、その代わり光があったのである。生あるところに死はなく、また死あるところに生はない。彼は直前まで生を手放せなかった、しかし自らの生が家族を、そして己自身を苦しめていると知った時、生とはしがみついてでも離したくないものではなく、周りも自らも苦しめるものだと悟った時、彼にとって死は、生を奪う恐怖でなく、生から逃れる救いになったのである。死とは救いである、これが死の乗り越え方なのか。しかしこの境地は、本当に本当に人生に苦しまないと得られないような気もする。死にたいと思ったことはあるが、あれではない、死にたいという思いは生きたいの裏返しである以上、一般的な意味での生の苦しみとはまた別のレベルでの、生の放棄が、死が救いとなる条件なのだろう。この小説から学べたことは、まず、死という絶対的真理から照らされたら生活の虚偽はすべて無に等しくなってしまう、だからこそ、出来うる限り、虚偽の殻を破り、本当を生きたいと思う。イワンのように病床につき人生を振り返る時がいつか私にも来る、その時に、振り返る人生の中にどれだけ本物があるか、それが私を死を前にした絶望から救う唯一のものである。本当を生きたい、では本当に生きるとはどういうことか、よく生きるとはどういうことか、やはりこの問いは考え続けたい。そしてもう1つは、生きること、年をとることは生から死へ近づいていくことであり、もし私がある程度の年齢まで生きることができるのならば、しっかりと生を手放しながら、生を燃やしながら、死に近づいていきたい、最期には死を救いとして受け入れたいということである。きっと苦しむだろう。死の苦しみは、一思いにそこに行けるのではなく、その恐怖を目の前にして徐々にしか進まないことにもあると、書いてあった。一思いに死なせてくれ、こんな苦しみを私も味わうだろうし、その苦しみを以って、生を苦しみとし、死を救いとするのだろう。今の私では、死にたい、生きるのは苦しいと思っても、でもやっぱり生きたいと思っている。生きるのは苦しいとはまたちょっと違う、苦しみによってでなく、別の尺度、例えば充実、苦しみも含めた充実、諦観と受容というか、そういうものを持って生を手放し、死を迎えたい。そのためにはまずなにより、生きねば。生きた!いやー生きた!そう思えるような生を生きねば。100ページと短いながらも死について非常に含蓄ある一冊。メメントモリというように、人間の人生の絶対的真理である死を思い返すため、これからも読み直したい一冊。

  • 日々の生ごみを逐一取り上げ、顕微鏡で拡大して細かくスケッチしたような短篇。

     ここで死ぬイワン・イリイチという人物は、とりたててどうというところもない会社員、どちらかといえば社会的に成功した部類に入る。冒頭、やけにあっさりこのイワン・イリイチの死が告げられる。だから、この話は最初から主役死んでる。

     彼の妻や同僚らは、その死を悼むよりも自分たちの進退に考えをめぐらせる。金銭的な問題だの、社内の人事異動だの。非人間的なようだが違うのだ、これが人間的な反応なのだ。
     友人(?)ピョートル・イワーノヴィッチは、わき上がる「明日は我が身かもしれない」の思いに愕然とする。そう、イワン・イリイチの死はサラリーマンの死。これがピョートル・イワーノヴィッチの死であっても何らおかしくはない……。

     それから、このどこにでもいるような平凡な勤め人イワン・イリイチの人生が振り返られ、彼の味わった苦痛、死ぬ間際までがつぶさに書き込まれている。「お疲れさまでした」と一声かけたくなるような最期。死に様までサラリーマンらしい人物だった。

     平凡であることを保つために出す日々の生ごみを逐一取り上げ、顕微鏡で拡大して細かくスケッチしたような小品。平凡な平凡な生活の実態をクローズアップしていて、時代や国籍は違えど身につまされる部分が多い。平凡さを保つためには恐ろしいほどの無理を積み重ねているわけで。
     よく「あなたの変わりはいない」という人がいるけど、本当はその人がいなくても世界は回っていく。普通の人間は、普通に存在するために苦しんでます。

     言ってみれば「主人公が死ぬ」というそれだけ。短く筋書きもシンプルだが、非常にものものしい文体が印象的。低い、抑揚を欠いたような声で朗読されるのを聞いてみたい。作者は『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』などのトルストイで、最も平凡な生活からぞっとするほどの迫力を生み出す、荘重な語り口が「ザ・文豪」って感じ!

  • 一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ、死の恐怖と孤独にさいなまれながらやがて諦観に達するまでの経過を描く。(表紙解説より一部引用)

    死は永遠のテーマですね。
    これまで何度か病床の物語は読んだことがありましたが、よくよく考えてみれば死ぬ側の心理を書き綴った物語はあまり読んだことがないかもしれません。

    主人公であるイワン・イリッチは物語の冒頭で死に、その後の部分で死に至るまでの経緯が書かれています。
    初めてのロシア文学、そしてトルストイ。
    先にドストエフスキーを読む予定でしたが人気のためになかなか図書館になく、こちらにしました。・・・というのは言い訳で、とても薄っぺらい本だったので惹かれました。ロシア文学ってやたら長い。
    でもこの本ほど薄っぺらいのに中身が濃い本はなかなか無いかもしれません。
    最近の日本の小説はやたら分厚いくせに中身はペラッペラですからね。

    この本を読みながら、病床に臥している親類のことを思いました。それこそ、イワン・イリッチが患った病と同類の病でしょう。
    自分が病気に掛かったことのある人、若しくは近しい間柄の人間が病気になったことがある人なら解ると思いますが、病気になると明らかに変貌します。それは単に見た目だけの問題ではなく、心の変化が表出しているといった具合です。
    何度かそういった場面に出くわしましたが私はとても安易に言葉を掛けられなかったです。
    イワン・イリッチもどんどん変貌していきました。

    イワン・イリッチは病が進行するにつれ、自分の人生を回顧し、自分はどこで何を間違えたために今このように苦しむ羽目になったのかと思考を廻らします。
    ・・・私も同じ境遇に置かれたら同じことを考えるのだろうなと思います。
    この辺がとてもリアルで、トルストイが世界的に評価されているのも頷けました。

    イワン・イリッチは最後にとうとう死を受け入れることが出来ます。(ん?ネタばれ?wネタばれしても物語を読むのに影響はしないです!!)
    その点救われた気がしました。多くの人が同じ経験をするのだと思います。絶望の淵に立ち、最期突き落とされて意識を失うだなんて考えたくもない。

    人が死ぬということは当然のことです。
    でも、今の私は若かりし頃のイワン・イリッチと同様に自分とは切り離して考えてしまいます。
    それに直面したとき、もう一度これを思い出して読むことができたら良いなと思います。

  • 2008年12月28日~29日。
     よくある題材であり、普遍的なテーマでもある。
     それでも最後までグイグイと読ませてしまうのは、文体によるものなのか、あるいは避けては通れない己自身の物語として自分に被せているからなのか。
     短い作品なので、短時間に読み終えてしまうが、心に残るものは大きい。

  • 死に対して、何の小細工も弄せず、愚直にまっすぐ向き合った作品だと思う。いろんな形で、いろんな方向から死にアプローチすることだってできるはずが、真っ正面から対象を見据え、無駄なものを一切排除して描き切ったところが、トルストイらしい。イワンの死に対する価値観の変容が、身体の容態とリンクしている様が、本当に真に迫っている。理解しきることはないが、それでも分かる分かるとうなづいてしまうようなリアリティがある。聖人君子でもなければ、イワンと同じ心境に陥ることはあるだろう。どうでもいいけど、トルストイと言えばイワンだな…。

  • 諸行無常。と一言で言ってしまうことを小説にした感じ。一見、順調に見える人生を歩んできた表題人物の死と生涯。苦しみはどこから来るのか、救いはあるのか幸せはどこに存在するのかそんなことを考えさせられる作品だった。

  • 死、愛、人生とは・・・
    トルストイを読むたびに、「ここにはすべてがある」と思わずにはいられない。

  • ここにはトルストイの幾つものメッセージが込められています。まず自分が他人にした事はいずれ形を変えて自分にも返って来るという事。
    凡人が陥り勝ちな自分の欲望を最優先に追い続ける生き方をするといつか後悔する時がくるということ。人間はどんな状況でも生きている限り他人の為に出来ることがあるということ。死にたくないという本来の生存への執着ですら持つ事が本当ではないということ。自分の生活が法にかなって作法に外れてさえいなければ正しいわけではない。
    イワンはそれに気付くために病気になって苦しむ必要があったのだと思う。ただ生きるのではなくどう生きるかが大事なんだと思いました。
    素晴らしいです。何度も読み返してさらに深く気付いたらまた追記します。

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イワン・イリッチの死 (岩波文庫)の作品紹介

一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ、死の恐怖と孤独にさいなまれながらやがて諦観に達するまでの経過を描く。題材は何の変哲もないが、トルストイ(1828‐1910)の透徹した人間観察と生きて鼓動するような感覚描写は、非凡な英雄偉人の生涯にもましてこの一凡人の小さな生活にずしりとした存在感をあたえている。

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