- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003262214
感想・レビュー・書評
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話しとしては、登場人物たちの報われない恋愛模様がもどかしいですね。誰もが満たされない鬱屈した悩みを抱えている。チェーホフは、これは喜劇だと言っていたらしいですが、この恋愛模様が巧みに描かれていることが、話し的には悲劇なのに喜劇的要素を与えています。登場人物は、自己中な人たちばかりだし…ただ、タイトルの『かもめ』の女性の強さには関心しました。まるで悲劇と言われる行動を起こす男性と対称的な、前向きなところがとても印象的でした。
ところで、この演劇、第二幕の後半がいいですね。チェーホフの作家論が、登場人物である作家のセリフを借りて語られているところ。ただし、チェーホフは自分を卑下しすぎてる気はしましたけどね。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
四幕の戯曲で、さほど厚くない本だが、少しずつ読み進める。一人一人の台詞は短いし、次々登場するので、最初は「えっと、コイツ誰だっけ?」登場人物のページを何度も見直す。
様々の恋が織りなす人生模様とカバーの裏にあるが、誰もが自分勝手だと思う。
一番違和感を感じたのは、アルカージナかな。息子を愛しているというけれど、無理解だし、女優なので衣装にお金がかかると、息子にはろくに服を買い与えない。
登場人物の誰にも感情移入が出来ないけれど、不思議な感触がある。
そして終幕。正直、息を飲んだ。
生の舞台を観たくなった。
「私はカモメ」って女性宇宙飛行士、テレシコワの科白と思っていたけど、元ネタがあったんだ。 -
研ナオコさんの唄う「かもめはかもめ」(中島みゆきさん作詞作曲)は、このチェーホフの戯曲が何処かにあって生まれたのだろうか。
唄を知っていたせいか、読んだ感想に歌のイメージが被る。ドールンが感じるトレープレフの作品の印象と、かもめと、ニーナの背景に、日本海のようなブルーグレーの印象が残る。ウルフの「波」に似た、ひんやりした、透明な、美しき侘しさ。 -
戯曲である。津村の読み直し世界文学の1冊。こうした脚本を読むよりも演劇を見た方がいいが、古いので上演されなくなったのかもしれない。野田秀樹の早口ですすんでいく現代劇よりもこうした古典劇を何回も上演した方がいいのではないか。
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ただただ侘しい。
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登場人物がみな生き生きとしている。そしてそれぞれの物語がある。
ニーナに注目すると悲劇にも喜劇にも読めて不思議な味わい。 -
内容はよく分かりませんでしたが、劇中の雰囲気は好きです。
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“かもめのように湖が好きで、仕合わせで、かもめのように自由だった。ところが、そこにたまたま男がやってきて、彼女を見そめ、退屈まぎれにその娘を破滅させる”
これは、戯曲『かもめ』の登場人物である小説家の言葉。その小説家は、チェーホフ自身のようだ。なぜなら、それがこの戯曲のテーマであり、ここで作品の手の内を明かしているならだ。
トレープレフとニーナという若い男女は、互いに惹かれていた。
ところが、片方の愛が先に冷めてしまう。
他に好きな人ができたからだ。
世界中、どこにでもある話だ。
ふたりは距離的にも離ればなれになる。そして、二年後、ふたりは再会する。
ふたりの最後の会話の場面は、手に汗握った。そして、嗚呼、結末が...
もしあなたに忘れられない人がいるのなら、胸に響くものがある作品だろう。
なお、ボリス・アクーニンという現代ロシア作家が、『かもめ』の続編をwebで公開している。
http://www.akunin.ru/knigi/prochee/chaika/
p170
悲劇とは主人公を光源としてながめられた世界、つまりただひとつの視点によって成り立つ世界だ。まわりの人間から解放されない主人公と、彼を取りまく俗物たちの対立-悲劇は、その主人公の世界が孤立すれば孤立するだげ、その光彩を発揮する。
p179
世界を見る視線はひとつではない、世界は複数の視線、視点でもって成り立っている